2012年12月17日月曜日

終わりの始まり 選挙戦を終えて

「終わったけど始まった」というのが、私の感想です。

日本共産党の北海道8区候補として総選挙に挑んだ私は及びませんでした。

2012年12月3日月曜日

推敲と反芻と

いよいよ、明日が公示です。

今日は、明日からの演説原稿を何度も推敲し、反芻しながら、一日を過ごしています。

2012年12月2日日曜日

あなたの夢は?


新聞社のアンケートで「あなたの夢は?」と聞かれ、「死ぬまでに、まじめに生きている人々の群像を描いた長編小説を一編だけでも書くことが夢」と書きました。

武士の情けで「20点」 函館青年会議所公開討論会に参加して

さきほど、本日の函館青年会議所主催(湯の川花びしホテル)の公開討論会での失敗談を書きましたが、それ以外は、私の思いは時間の範囲内で語れたなと思っています。

公開討論会での失敗

本日、函館青年会議所主催の「衆議院8区立候補予定者公開討論会」があり私も4人の一人として出席しました。

2012年11月28日水曜日

北海道新聞主催立候補予定者討論会に出席して

北海道新聞の企画で「衆院選立候補予定者公開討論会」がホテル函館ロイヤルで開催され、立候補予定者の4人の1人として出席しました。

私は函館市議会議員を12年間つとめてきたので、他の党派の方々と討論するのは、これまで何度も何度も経験してきたのですが、テレビカメラがたくさん入っていたからか、発言の時間制限があったせいか、大きな政治選の結果に直結するためなのか、やはりとても緊張しました。

2012年11月26日月曜日

大間原発と活断層 渡辺満久東洋大教授の講演に学ぶ

今日の夜は、函館市民会館小ホールで行なわれた講演会「変動地形学者の警告-大間原発周辺と敷地の活断層」に行ってきました。変動地形学の渡辺満久先生は大飯原発の活断層調査の委員のひとりとしてテレビでもよく顔をみる専門家ですし、大間原発にストップをかけたいと多くの人が願っているので会場には多くの方が参加していました。

「ふっくりんこ」おぼえてください

今日の午前中、紙智子参議院議員とJA函館市亀田の佐々木修平専務理事、JA新はこだての畠山良一代表理事組合長にお会いしました。

「共産党がTPP阻止で一貫しているのはよく知っています」「TPP断固反対の政党を応援する」「TPPに賛成の政党は応援しない。個人として反対であっても所属政党が賛成なら応援しない」とおっしゃっていました。

TPPを阻止して北海道の農業を守る決意がひしひしと伝わってきました。日本共産党のポスターも5枚、10枚と張っていたくことに。私もTPP反対をかかげたたかいぬきます。「ふっくりんこ。名前をおぼえてください」と新米の商品見本をいただきました。

2012年11月25日日曜日

勇気1000倍の紙智子さんの訴え

私の事務所びらきでの紙智子さんの訴えがとてもよかったと参加者のみなさんが感動していました。録音していないんですかと何人かの方から聞かれ、私が途中からなんですが、録音した内容を起こしてみました。

勇気1000倍の事務所びらき

今日は「高橋佳大事務所びらき&決起集会」が函館市民会館で行なわれました。道南各地からたくさんの方々においでいただき勇気100倍、さらに紙智子さんにかけつけていただき勇気1000倍の事務所びらきとなりました。マスコミの取材もたくさん入っていました。

2012年11月24日土曜日

消費税は間接税?直接税?

消費税は間接税と言われています。

しかし、ここ数年、業者のみなさんの苦境、消費税を転嫁できないというお話を聞くにつけ、消費税は、赤字黒字に関係なく、売上げに容赦なく課税される事実上の直接税ではないだろうかと考えるようになりました。

2012年11月23日金曜日

対岸大間の青森2区で候補者擁立決定

うっかり見逃してました。20日付「しんぶん赤旗」の北海道・東北のページ。党青森県委員会が青森2区に小笠原良子さんを擁立すると発表したとのこと。

青森2区は大間原発が工事中の大間町をふくむ選挙区です。私は候補者決定をずっと注目していました。

小笠原さんとはまだ面識がありませんが、津軽海峡をはさんで、ともに大間原発ストップ・即時原発ゼロを訴えられることは幸せです。

2012年11月22日木曜日

みんな同じ?

函館市深堀町電停前の朝の宣伝で、テレビ局の取材を受けました。この間いくつかのマスコミの取材を受けていますが、「北海道8区の4人が、消費税はともかく、大間原発反対、TPP反対など同じことをいっている。そのことをどう思うか」と、口をそろえて同じことを聞くんですね。

私は「4人全員が政党の公認を受けてたたかいます。それぞれの政党は大間容認政党や原発推進政党などですね。TPPについても、TPP参加を踏み絵にしたり、『自分の方がちゃんと交渉できる』など基本は賛成ですね。日本共産党は党の政策と候補者の間にぶれがありません。そこを見てほしいですね」-政党選択が大事と答えました。

2012年11月20日火曜日

ぶれない政党の意味

衆議院が解散になって、テレビ局や新聞社の取材も多くなりました。今日の取材では、道南の将来を脅かす3つの危険(①大間原発建設、②消費税増税、③TPP参加)と私が訴えている内容のうち、大間原発の建設とTPPについては、「他の党の方(北海道8区から立候補を予定している民主党と自民党の人のことを固有名詞を出さないよう配慮して聞いているんですね)も反対と言ってますよね。これについてどう思いますか」と聞かれました。

そこで私は「日本共産党はぶれない政党です」と答えました。取材で答えた内容を自分なりに整理して、「ぶれない政党」の意味について書いてみます。

2012年11月17日土曜日

衆議院解散翌日の風景

衆議院解散から一夜明けた17日、北斗市で解散にあたっての街頭演説。テレビ局や新聞社などの取材もあり、政治戦も本番さながらになってきました。昨日は、志位和夫委員長の街頭演説をネットでじっくり聞いて今日の訴えの内容を練っていました。選挙に挑戦は市議選もふくめて5度目ですが気合いを入れて心地よい緊張感です。

あいにくの雨でしたが北斗市大野地域は中学時代を過ごした懐かしいところ。じっと傘をさしながら聞いてくれていたのは大野中学校の同期生。38年ぶりの再会ですね。「応援しますよ」に励まされました。

2012年11月14日水曜日

いよいよ16日衆議院解散!

今日は畠山和也さん(党道政策委員長・北海道比例ブロック予定候補)と終日行動、移動の車中で党首討論を聞いていました。いよいよ16日衆院解散・総選挙ですね。

道南の将来を脅かす、大間原発建設、消費税増税、TPP参加に反対し、即時原発ゼロ、消費税に頼らない道、本当の農林漁業の振興を訴え、がんばりぬきます。

2012年11月13日火曜日

復興予算の流用と一緒にされては困ります

ひどい話です。3・11で津波の被害を受けた函館の企業が申請する準備を進めてきた「グループ補助金」が「対象外」になりそうなのです。復興予算が被災とは関係のない大企業の事業などに流用されていたことが大問題になっていますが、今回「対象外」とされそうなグループ補助金はまぎれもなく被災地の復興のためのものであり、復興予算の流用問題とはまったく別の問題です。

2012年11月11日日曜日

津軽海峡をはさんでの握手

11月11日は東京で「1000000人大占拠」の原発ゼロをめざす行動があり、全国各地でこれに呼応する集会やデモがありました。全国の人々が同じ日に同じ思いで行動するなんてなんとすばらしいことでしょうか。

あわせて感慨深いのは、津軽海峡をはさんで北海道の函館市と青森県の大間町の両方で同時刻に集会が開かれたことです。思い出すのは、9月に、原発をなくす道南連絡会のみなさんと下北半島原発見学ツアーに行った時のこと、青森のみなさんと交流する懇親会がありました。

2012年11月6日火曜日

揺るがぬ道南の団結と日本共産党の躍進で原発即時ゼロ・大間原発建設中止を

11月5日、6日の両日は、函館市の隣の自治体、北斗市と七飯町で終日街頭宣伝をしました。

北斗市の高谷市長も、七飯町の中宮町長も、大間原発建設に異議を唱え、気骨ある発言を「しんぶん赤旗」日曜版に寄せていただいているので、私の演説でもそのことを紹介しました。

2012年10月31日水曜日

縄文弁当とがごめこんこん

訪問活動で函館市と合併した旧南茅部町地域、旧椴法華村地域、旧恵山町地域に行ってきました。縄文の里南茅部では「縄文文化交流センター」を視察、国宝「中空土偶」にご対面しました。「北海道・北東北を中心とした縄文遺跡群」を世界文化遺産にしようというとりくみにも注目していたのでよかったです。視察後、隣の道の駅で「縄文弁当」をおみやげに買いました。がごめコンブを練り込んだこんにゃく「がごめこんこん」も。

その後、この地域の訪問活動に。「しんぶん赤旗」日曜版の大間原発特集のページを開いてみなさんに見せると、「ああ、これこれ、これはダメだ」と。すばらしい景色を満喫するとともに、3名の方に「しんぶん赤旗」読者になっていただきました。

2012年10月25日木曜日

「負けました」といえること

今日もいろんな出会いがありました。赤旗将棋大会の運営でお世話になった農業関連会社の社長さんを党函館地区副委員長の三国武治さんと訪問、お礼とごあいさつをしました。

「あ、高橋さんですね。お会いしたことありますよ」。もう今から十何年も前の赤旗将棋大会の開会あいさつに行ったときにお会いしていたとのこと。憶えていてくれてうれしかったです。

2012年10月23日火曜日

「クリーンな政党」と胸を張れる理由

北海道の各地から地区委員会の財政部長があつまる会議に出席しました。総選挙で「議席倍増」の躍進を支える財政をどう確立するのかというのがテーマでした。

私たちの党の財政活動は、他の政党と大きく違います。企業・団体献金を受けとらない、政党助成金を受けとらないところです。

2012年10月15日月曜日

道南赤旗まつり イン 八郎沼公園

「雨」の週間予報に反して晴れ渡った北斗市(旧大野町)八郎沼公園。14日開催の道南赤旗まつりは、日本の政治のあり方や進路を考えるととともに、家族や後援会のみんさんが楽しめるまつりとして大いに盛り上がりました。

記念講演あり、後援会対抗玉入れあり、合唱あり、バンド演奏あり、カラオケ大会あり、抽選会あり、たくさんの出店ありでみなさんに喜んでもらえました。

私が担当した記念講演も、合いの手、拍手、笑いなどでこたえていただき、大役を果たすことができました。

2012年10月11日木曜日

ウガノモクが佃煮になった

ウガノモクの製品化の記事が今日の北海道新聞の別刷り「みなみ風」に載っていました。

ウガノモクは函館の宇賀浦にちなんで名前がつけられた海藻です。健康にもよいことがわかり、ガゴメコンブとともに、函館の海の幸をまちおこしに活用できないか注目していました。

記事の内容をそのまま紹介しましょう。

「漁師も迷惑」やっかいものの海藻・ウガノモク
漁協と協力 佃煮に
七飯・中水食品工業が開発


ウガノモクは、福島県以北から北海道に分布する海藻。函館市の宇賀浦にちなんで名前が付けられた。4月から6月にかけて成長し、根元はハタハタなどの産卵場所になる。生態系に欠かせない海藻だが、これまではほとんど食用にならず、コンブ漁の際にスクリューに絡むこともあって、漁師から迷惑がられる存在だった。

海藻研究の第一人者である北大大学院水産科学研究員院の安井肇教授は、ウガノモクに食物繊維の有用物質・フコイダンが多く含まれることなどに注目。「かなりよい素材なので商品化できないか」と、つきあいのあった中水食品工業に提案していた。同社も「漁師にとっての厄介者を商品にできたら面白い」と製品開発に乗り出し、根崎漁協に協力をあおいだ。

同社の市川英樹部長は「シャキシャキとした食感を残すため、乾燥させたものではなく、生のものをつかっているのがポイント」という。砂糖やしょうゆで味付けし、女性や子どもでも食べやすいよう、まろやかな味に仕上げている。「ウガノモクという海藻があることを函館や近郊の人に知ってもらいたい」と力を込める。(以下略)

ウガノモクについては、私も以前にブログ「ガゴメの次はウガノモク」で紹介したことがありました。http://takahasikadai.blogspot.jp/2010/12/blog-post_729.html

2012年10月9日火曜日

ありのままの自分で

恒例の「道南赤旗まつり」(10月14日 北斗市八郎沼公園)に記念講演の弁士である畠山和也さんが来れなくなってしまいました。党の中央委員会総会と日程がぶつかってしまい、中央役員の畠山さんはそちらに出席。記念講演の弁士のおはちが私のところへ回ってきました。さあ大変です。

児玉健次さん(元衆議院議員)のアドバイスを思い出しました。たしか、聴衆の多い演説会ほど準備を念入りにということを教えてもらったことがありました。

児玉さんとの思い出はいろいろあります。私が函館市議だったことを知っている人は多いのですが、その前、16年前の衆議院選挙にも出たことがあるんです。そうです、道3区予定候補の森つねとさんと同じくらい若かったころです。

児玉さんの活動に学ぼうと1週間児玉さんについて歩きました。研修です。最後の日は児玉さんのところに泊めていただき、そこに紙智子さんまで来てくれてはげましてくれました。感激でした。そのとき、児玉さんは言いました。「はったりはいけません。必ずぼろが出ます」と。そうか、選挙に出るからと言って自分の虚像をつくることは間違いなんだ、ありのままの自分でたたかうんだと自分の心に誓いました。

ある時、児玉さんから電話が来ました。「気軽に聞いてほしいのですが」と前置きしたあと、演説のアドバイスでした。一緒の演説会での私の演説のまずい点を指摘してくれました。たしか「演説は有権者の関心のあるところから入りましょう」ということでした。

明日からがんばって準備しなくちゃ。「道南赤旗まつり」の日は天気予報では雨模様です。晴れることを願っています。みなさん、お気軽にご来場ください。

2012年10月8日月曜日

尖閣諸島問題と彼岸花

嬉しかったですね。

今日(10月8日付)「しんぶん赤旗」の「読者の広場」に「中国からきた彼岸花は言う」という投稿が載っていたんですよ。ちょっと内容を拾い読みしてみましょう。

「日曜版配達の途中、土手に鮮やかに咲き誇る彼岸花を見た」「緑と赤のコントラストが見事・・・」

「奇しくもこの日は日中国交正常化40周年だが、尖閣諸島の問題で日中関係はどん底で先が見えない状況だ」

「彼岸花はコメと同時に中国から渡ってきた。球根には毒があるが、水にさらすと食用になる」「食糧難のとき、何度お世話になったことだろうか」

「憲法の精神を生かし、胸襟を開き冷静に丁寧に話し合いをと、土手を埋め尽くしている彼岸花が言っている気がした」

この投稿は、領土問題の解決と日中友好の願いを彼岸花と結びつけているんですね。

実はこの彼岸花のことが、昨日紹介した「植物はすごい 生き残りをかけたしくみと工夫」(田中修著 中公新書)」に詳しく書かれています。

この本では彼岸花の毒について説明があり、さらに彼岸花の名の由来について「この植物は墓地や田や畑の畦に育ってきました」「お墓に植えられたのは土葬だった時代、埋葬した遺体を食べに来るモグラやネズミを寄せつけないためでした」「畦に多いのはモグラやネズミが畦を壊すことを防ぐためでした」と書かれています。

また、「作物が不作の年、球根で飢えをしのぐ救荒植物の役割があった」「球根には、多くのデンプンが含まれているからです」「毒さえ抜けば、空腹を満たす食べ物になります」とも。

そして、こうまとめているんです。「私たちとヒガンバナとの昔からの長いつきあいは人間と有毒な物質を持つ植物との共存、共生の典型的な例です」。

冒頭、私が嬉しかったといったのは、きのう読んだ本のことが、今日の新聞に出ていたこと、「人間と植物との共存、共生」に加えて、「日中友好の願いをかけることができる花」ということがわかってとても嬉しかったということなんです。

2012年10月7日日曜日

はずかしながら「えぐい」の意味いまさら知りました

「植物はすごい 生き残りをかけたしくみと工夫」(田中修著 中公新書)がおもしろかった。

はずかしい話しですが「えぐい」の意味がはじめてわかりました。あく抜きしていないタケノコの味だそうです。「あくが強く、のどをいらいらと刺激する味」、「人を強烈に不快にさせる」という意味もあるそうです。民主党政権を形容する語彙がもうひとつ私の中に増えました。

私が「道南新報」に書いているミニエッセイ「たたかうトマトは美しい」のヒントもこの著者の「ふしぎの植物学」からヒントをもらいました。FBにも「いいね!」の他に「すごい!」があればいいなと思います。

ちなみに「えぐい」の漢字は「蘞い」と書くそうです。

2012年10月6日土曜日

大間は全国の原発問題の焦点のひとつに

5日電源開発本社に大間原発の建設を中止するよう抗議の申し入れに行ってきました。

たしか10月1日だったと思いますが畠山和也さんから私に電話がありました。「佳大さん、こういう状況だから電源開発に抗議の申し入れをしたいと思っているんです。佳大さんのスケジュールを教えてくれませんか」という内容でした。畠山さんのブログやFBの発信も大間原発の問題で力がこもっていたので、さらにもう一歩駒を進めることを私は喜びました。

私は枝野大臣の大間建設再開容認発言と1日の工事再開によって、大間原発の問題は、われわれ函館や道南だけの問題ではなくなった、全国の原発問題の焦点になったと思って動いていましたので。そして、スケジュールは電源開発行きを最優先にすることにしました。

紙智子さん(党参議院議員)の努力もあり、電源開発本社も了解してくれました。また紺谷よしたか函館市議も一緒にいくことになりました。

さて話は前後しますが、電源開発の幹部が函館に来たのが1日13時でした。私はてっきり大間の建設再開を説得しにくるもんだと思っていましたが、そうではなく、工事を再開したという事後報告でした。工藤函館市長が怒るのも当然です。この日の市長と電源開発の話し合いはマスコミに公開されていて、その場にいた本間勝美議員が詳細なメモをとり、ブログに乗せています。これを読むと電源開発幹部を寄せつけない市長の気迫を感じます。

さらに市長の決意を感じたのは、その次の日、市長と市民団体との懇談の席上での市長の発言です。これも本間勝美議員のブログ(http://honmakatsumi.blogspot.jp/2012/10/blog-post_2.html)が詳しい。その中で、①人間の尊厳をかけた闘い、途中で妥協するわけにはいかない、自分の生きるか死ぬかとの思いの中での闘いだと、②私ひとりの力では無理、国の力、電源開発の力は大きい、全国からの賛同が必要。沖縄にいこうかなという発言をしています。

ここで思い出すのは、9月22日に青森県むつ市で行われた青森の人たちと函館の人たちの原発問題での交流の懇親会で青森の人が言った言葉です。「青森(下北)は核のゴミ捨て場、沖縄は基地のゴミ捨て場」と言って、青森と沖縄の共通性を語り、連帯の気持ちを表明していたのです。原発問題と基地問題がつながっている、そうかと思ったのです。函館市長の「沖縄に行こうかな」というのは、重要な視点だと思いました。

このように、函館では市長も経済界も市民も、さらに道南全体が一体となって大間原発再開をいかっているのです。

さて話を元に戻します。電源開発本社に着きました。びっくりでした。対応した方は、電源開発の渡部肇史常務、函館市長に会いにきたひとではありませんか。紙智子さんが話しなした。畠山和也さんが訴えました。紺谷さんも訴えました。そして私も。私が言ったのは現地の党の責任者として、「函館市民に説明もなく、来たと思ったら事後報告、函館市民を電源開発さん、どう思っているんですか、どうでもいいと思っているんですか」というと、常務の隣の人は、「函館市民をどうでもいいなんておもっていません。歓迎されなくても行ったじゃないか」的なことを、むっとした表情でいいました(私が受けた感覚です)。それにしても、アリバイ的な事後報告で「函館市民のことを考えている」なんて「よくいうよ。とんでもない」と市民ならみんないうでしょう。函館での説明会についても「今までどおり、情報提供します」と拒否です。

畠山さんが「なんでこの時期に再開なんですか」と聞くと、なんでそんなことを聞くのかというように、「ずっととまっていて、地元の方々の要望もあり・・・」、つまり、工事を再開したかったのにストップせざるをえなくなり、しかしやっと枝野さんがゴーサインを出したので、ということでしょう。あっけらかんと言ってました。聞いた畠山さん、あとで私に言いました。「想定外の回答でしたね」。それにしても民主党政権の大間再開容認は犯罪的です。

さて、この日はじめて、私は首相官邸前の金曜行動に一人で参加してきました。田舎ものなんでウロウロしながら最後尾にならび「なかなか動かないなあ」などと思いながら、うしろから聞こえる鼓笛隊?のリズムにあわせた若い男の人の掛け声、前から聞こえるドスの聞いた女性の掛け声にあわせて「再稼動反対!」「原発いらない!」「子どもを守れ!」とやってきました。その掛け声の中には「大間つくるな!」もちゃんと入っていました。やっぱり大間は全国の問題になっているとつよく感じました。

なお、電源開発への申し入れについての「しんぶん赤旗」の報道と畠山和也さんのブログ報告を紹介します。

【「しんぶん赤旗」6日付の関連記事】
日本共産党北海道委員会(西野敏郭委員長)は紙智子参院議員とともに5日、大間原発の建設中止を求める要請を電源開発株式会社と経済産業省に対して行いました。畠山和也・道委員会副委員長、高橋佳大・函館地区委員長、紺谷克孝・函館市議らが参加しました。

電源開発株式会社では、渡部肇史取締役常務執行役員らが対応しました。畠山氏は、「国のエネルギー政策の中での大間の位置付けもはっきりしない。活断層の指摘もあり安全性も確認されていない。函館市をはじめ北海道全体で不安と不満が出ており、要請をしっかり受け止めてほしい」と要請しました。

これに対して、渡部取締役は、「真(しん)摯(し)に受け止めたい」としながらも「化石燃料と新エネルギーに全てゆだねるのは難しい。原子力発電所は、今後の日本を支えるのに必要と判断している」と答えました。

また、函館市民に向けて住民説明会を求めたのに対しても「住民説明会は難しい。函館市に情報を提供しているので、市の方から情報を開示してほしい」としました。

経済産業省では、資源エネルギー庁原子力発電立地対策室長補佐が対応。住民説明会について、持ち帰って検討することを表明しました。

「赤旗」の記事は以上ですが、畠山和也さんの報告ブログはこちらからです。http://hatarogu.blogspot.jp/2012/10/blog-post_5379.html

2012年10月1日月曜日

「30年代原発ゼロ」のいかさまを象徴する大間原発建設再開

集まった市民の熱気に感動しました。大間原発の事業者である電源開発が工藤函館市長に会いに来るというので緊急の抗議集会。

「大間原発 大間違い!」「MOX燃料とんでもない!」「大間原発 しりめつれつ!」「核燃料サイクル ほんまつてんとう!」のかけ声に力がこもります。

そこへ電源開発幹部の車が玄関前に到着。みんな玄関の方を向き、「電源開発は帰れ!」「大間原発やめろ!」の叫び。

電源開発の幹部が中に消えた後、参加者は市長室のある6階を見上げながら「市長がんばれ!」「市長負けるな!」「工藤がんばれ!」「工藤負けるな!」の大合唱。

会場でささやかれた、「大間原発建設はもう再開する」の言葉。ホントでした。北海道新聞の夕刊。「大間原発 建設再開」「電源開発 16年にも稼働」の記事。

函館市民の怒りは限界点に達しています。

「30年代原発ゼロ」のいかさまを象徴しているのが大間原発ですね。

おじいちゃんは人気者

家族のみんなが出張とか早くからの実習とかで、いよいよおじいちゃんのおでまし。チャイルドシートを積んで横にひまりを乗せて保育園にいざ出発!

「ちがう、ちがう、もどって! おじいちゃん」。いつもの道順と違うようです。Uターンすること2回、「そこをみぎにまがって」、指の方向は左なんですけどね。ひまりも自信がないのか、その後は指さしだけ、「そこのみどりをこっち」、「『ありた』(ひらがなで書いてある看板)をこっちにいけばほいくえんだよ」。

玄関でもってきた靴を靴箱にいれて、「おじいちゃんちがうよ、うえにいれるの」。はいはい、すみません。「ひまりぃ」「ひまりぃ」、先にきていた子どもたちに声をかけられてひまりは人気者だな。そうそう、玄関では出席簿にマルをつけるんだっけ。

ばらぐみの部屋に入って、ふとんにシーツをかぶせて、リュックをかけて、着替えはホールの箱の中、全部、ひまりの指示ですませることができました。

よし、保育園のひまりをぱちりと記念写真。われもわれもと子どもたち。いい写真が撮れましたよ。すると「ぼくもやりたい」「ぼくも」「ひまりも」。みんなにシャッターを押させて、おじいちゃんは一躍人気者に。そこへ先生がやってきました。「大人のだいじなもの触っちゃダメよ」、すみませんでした。保育園のしつけのじゃまをしちゃったようです。

まだシャッターを押してない子は「やりたい!まだやってない!」と背中を向けて泣き出してしまいました。ごめんよ、こんど、ひまりのおじいちゃんと遊ぼうね。

2012年9月26日水曜日

弘法じゃないからマイクを選びます

「弘法筆を択ばず」なんていいますが、私はダメです。

街頭で演説するなんて、引っ込み思案だった少年時代を考えれば、われながら大胆なことをするようになったと思います。街頭演説をするようになって18年、最初は「こんにちは高橋佳大です」と一行書いて、その先、うなっても原稿が進まずなんて苦しんだことがありましたね。いまは、話したいことを頭の中で描いてそれを反芻してという準備をします。いつまで立っても下手くそです。

不思議なことに、同じことをはなしても、うまくいったなあという時と、ダメだったなあという時とがあります。乗って話せたと思う時は、マイクというか、スピーカーからでる自分の声が、ほどよい音量で自分の耳に聞こえる時です。これって、カラオケと同じですね。

この前、ハタと思いついたことがありました。原発や消費税のことなどを話す前に、共産党の草の根の活動を紹介しようと。なにしろ政党は浮き草状態と揶揄されていますので。

そうだそうだ、地域の支部長さんに宣伝カーにのぼってもらって紹介しよう、どんどん夢が広がります。

「共産党は草の根の党です。旭岡には旭岡支部、湯川には湯川支部、ここ上湯川には上湯川支部があって、地域のみなさんの声を聞いて立派な活動をしています。いま私の隣に立っているのが小松支部長です。上湯川支部は、市営住宅のサッシや窓枠の修繕、ゴミステーションの設置などにとりくんできました。いまはオイルサーバーを早くつけてもらおうとがんばっています。共産党は地域の身近な要求も国の政治の問題も、どっちもがんばる政党です」

私たちの党活動の合言葉は「支部が主役」。支部のみなさんにもよろこんでもらい、やってよかったなあと。

2012年9月23日日曜日

下北半島原発見学ツアー 津軽海峡秋景色の旅

9月22日と23日の両日「原発をなくす道南の会」の仲間17人で「下北半島原発見学ツアー」 に行ってきました。

2012年9月21日金曜日

償い

さだまさしを大好きな方とフェイスブックで知り合ったんです。私もさだまさしがかなり好きです。「『償い』の歌詞全部を紹介して議会質問したことがあります」「それ知りたい」というやりとりがあり、なが~い会議録をその方は読み、喜んでくれたので、思い切って議会質問の内容を紹介することにします。

ランドセル

赤や黒はもちろん、ピンク、青、水色、うす紫、黄色もありましたね。ランドセルの色です。函館市本通の交差点、昨日までの雨が上がり快晴。朝の宣伝をしていると、「おはようございます」と子どもたちが声をかけていってくれるので、楽しい宣伝でした。

2012年9月20日木曜日

大間原発建設再開容認発言の波紋

今日の北海道新聞の函館のページに枝野経産相、藤村官房長官が大間原発の建設再開容認発言についての記事が掲載されていました。「『大間』建設再開容認」「逢坂氏『政府が暴走』」「自民・前田氏 共産・高橋氏 民主の迷走批判」という見出しです。私も昨日記者からコメントを求められ、話したことの一部が書かれています。その部分についてだけ今日は解説を加えたいと思います。

まず、私のコメントがどのように書かれているのか、紹介します。
「共産党の高橋氏は大間原発が建設されれば『今、生まれた子どもが40歳以上になるまで函館市民は原発の恐怖に日本一長くさらされる』と強調。脱原発を訴える逢坂氏について「政党としても同じことを言えるのか」と分裂する民主党を皮肉った」というものです。

私は記者に聞かれて「民主党政権の新しいエネルギー戦略が原発ゼロ、新増設なしを打ち出してすぐに大間原発容認とは許しがたい」と言って、記事で紹介された「今、生まれた子どもが・・・」とまずコメントしました。

次に「脱原発を訴える逢坂さんとの違いは何ですか」と聞かれたので、①「共産党は原発ゼロの期限について、再稼働なしでもこの夏を乗り切ることはできたし、国民世論もただちにゼロを求めていることから、共産党はただちにゼロと政策を発展させました」、②「政党というのは中央でも地方でも同じことを主張することが大事で、民主党は中央と地方でいうことが違います。この点、私たちは中央でも地方でも一貫性があります」と答えました。言いませんでしたけれど、これは自民党にもあてはまることです。

逢坂さんとは、7月に女性団体の集会で会った時、私に「原発は反対ですから。笠井さん(共産党の衆議院議員)とも一緒にやってますから」と言ってたので、逢坂さんの脱原発の心に私はいつわりはないと思います。ただ、それぞれが自分の信念で所属している政党には責任を持たなければならないということです。新聞では私が「皮肉った」と書かれていましたが、大まじめでいったことなのです。

2012年9月16日日曜日

消費税の地方税化で函館市はアウトに

私がまだ函館市議会議員をしていたころですから、2年前か3年前の秋のことです。私が所属している総務常任委員会で首都圏の自治体に行政調査に行きました。調査先の市役所に着き、滅多にないことなのですが、そこの議長があいさつに来てくれました。あいさつの中で次のようなことを議長は言いました。

「どうしたら、函館市さんのように、地方交付税をたくさんもらえるのか教えてほしいものです」

この言葉に含まれている皮肉、蔑みの思いがわかれば、あなたは地方財政に詳しい人だと思います。

地方財政は、「これくらいのまちだったら行政運営にこれくらいの経費が必要だという額」が計算で決まっていて、税収などがその額(基準財政需要額)に足りない場合、その差額が地方交付税として国から来るしくみになっています。乱暴な説明かもしれませんがだいたいこんな感じです。

函館市の歳入にしめる地方交付税の割合が高いのは、函館市が何か上手にやっているというより、税収が少ないということの裏返しです。貧乏なまちということなのです。あの議長の言葉は「私たちは地方交付税をもらわないでしっかりやっているのに、あなたたちは何て貧乏なんだ」と私には響いたのです。

たしかに函館は貧乏です。毎年函館市の財務部が、同程度の都市の財政の比較をしているのですが、税収は最下位、交付税はトップという状況です。でもそれは函館の人たちが、勤勉でないとかそういうことではないと私は思います。歴史的、地理的にもさまざまな要因があってのことです。好きで貧乏なわけではないのです。みんなが貧乏から抜け出られるように自治体は努力をしなければならないと思いますが、貧乏な町であることを恥じることはないと思います。胸を張って地方交付税を受ければいいのです。

さて、「地方交付税制度の廃止」を「消費税地方税化」とセットで主張する人たちがあらわれました。維新の会です。これがやられると函館はもうアウトでしょう。絶対やってはいけないと思います。

この問題について、「しんぶん赤旗」のわかりやすい記事がありますので紹介しましょう。

現行の消費税は1%分が「地方消費税」です。残り4%を「地方税化」すれば10・42兆円地方の税収が増えます。ところが、「廃止」としている地方交付税は約17兆円。これが不足した場合の穴埋め措置として認められる「臨時財政対策債」が約6兆円ですから、実質的には合わせて23兆円超。

つまり、消費税を「地方税化」しても、地方交付税を廃止すれば、13兆円の大穴が開いてしまうのです。ちょうど、消費税5%引き上げ分の13・5兆円とほぼ一致します。

橋下氏は、消費税を地方税化しても、地方交付税を廃止すれば「地方は損をする」と認めつつ、その場合「地方は…消費税を上げるか、サービスを削るしかない」(4月6日ツイッター)と二者択一を迫っています。13兆円といえば、地方財政のうち一般歳出総額の2割。医療、福祉、保育などのサービスを一律2割削減しなければならないほどの額です。増税かサービス切り捨てか、犠牲を強いられるのは住民です。

原発ゼロいいながら大間原発は容認?!

14日に決定した政府の新しいエネルギー戦略で「30年代に原発ゼロ」「原発の新増設はしない」などとしているのに、翌日の15日に枝野経済産業大臣が大間原発の建設再開を容認してしまいました。許せないですね。今日は函館もとても暑かったのですが、私もマイクを握り、市民のみなさんに、「力をあわせてただちに原発ゼロを 大間原発の建設を中止しよう」と訴えてきました。今日はさすがに暑くて、1ラウンドに一本、3ラウンドで3本、ペットボトルの水を飲み干しました。

大間原発の建設再開容認発言についての「しんぶん赤旗」の記事は党のホームページに掲載されていませんので、今日付の紙面を紹介したいと思います。あわせて「北海道新聞」の記事も紹介します。

「しんぶん赤旗」(9月16日付)
枝野経産相 原発の建設容認
「30年代ゼロ」のごまかし露呈

枝野幸夫経済産業相は15日、2030年代に原発稼働ゼロを可能とするとした政府の新しいエネルギー戦略の策定を受け、核燃料サイクル関連施設が立地する青森県の三村申吾知事、古川健治六ヶ所村長らと青森市内で会談しました。経産相は「経産省として設置、着工を許可した原発について変更することはない」と説明。建設中のJパワー(電源開発)大間原発(青森県大間町)などの工事継続を認める考えを示しました。

大間原発の新設工事は東京電力福島第1原発事故を受けて中断しています。建設中の原発はこのほか、中国電力島根原発3号機(松江市)た東電東通原発1号機(青森県東通村)があります。政府は14日策定した新「戦略」に原発の新増設を行わない方針を明記しましたが、建設許可した新原発は「40年原則」を適用しても50年代まで稼働することになり、新「戦略」の矛盾が浮き彫りになりました。

経産相は会談の席上、新「戦略」には六ヶ所村での原発の使用済み核燃料の再処理事業継続を明記したことを説明。また、再処理で発生したプルトニウムとウランの混合燃料を利用するプルサーマル事業についても「国が責任を持ち進める」と語り、核燃料政策に変更がない考えを強調しました。

「北海道新聞」(9月16日付)
再処理継続へ妥協 大間源の圧の建設再開容認
矛盾抱え見切り発車
「プルトニウム削減に必要」

枝野幸夫経済産業相が15日、電源開発大間原発(青森県大間町)の建設再開を容認したのは、政府が「2030年代の原発ゼロ」を目指す方針と併せて、使用済み核燃料の再処理継続を決めたことが大きな要因となった。

同県六ヶ所村の使用済み核燃料再処理工場で出る危険なプルトニウムを消費する「焼却炉」として、大間原発が欠かせないとの理屈だ。ただ、建設凍結を訴える函館市の意向は素通りしており、批判が高まっている。

「関係自治体との約束を重く受け止め、再処理事業に取り組む」。枝野氏はこの日、青森市内のホテルで三村申吾知事らを前に大間原発の建設容認を表明した後、こう続けた。使用済み核燃料の問題で、県が握る強力なカードを意識しているのは明らかだった。

県は、1998年、六ヶ所村の日本原燃再処理工場で全国の原発から使用済み核燃料を受け入れる代わり、「再処理政策を見直す場合、燃料を返還できる」とする覚書を同社と交わした。覚書が行使されれば、工場の約2900トンの燃料が返還され、全国50基中42基で5年以内に燃料プールが満杯になり停止する。

政府の原発ゼロは、再生可能エネルギーの普及が前提。その前に原発停止が続出し、電力不足に陥るのを恐れた枝野氏は、燃料が不要になる原発ゼロと将来、整合性がとれなくなると知りつつ、「当面の再処理継続」で理解を求めた。日本の再処理技術に期待する米国への配慮もあったとされる。昨年から何度も「燃料返還」に言及していた三村知事もこの日、「一定の理解をする」と矛を収めた。

この結果浮上したのは、再処理で生じ、核兵器の原料にもなるプルトニウムの余剰をいかに抑えるかという問題だ。

再処理工場はトラブルで稼働延期が続くが、フル稼働すれば、使用済み核燃料から年間5トン近いプルトニウムを生産する。これに対し、プルトニウムとウランの混合酸化物(MOX)燃料を使うプルサーマル計画は、北海道電力泊原発3号機(後志管内泊村)など18基で予定されるが、稼働実績はまだ4基だけで、いずれも停止中。仮に再稼働しても、年間1トン前後しかプルトニウムを消費できない。

MOX燃料を燃やす大間原発は、年間1.1トンのプルトニウム消費能力がある。民主党内で「再処理工場の稼働率をたかめつつ、余剰プルトニウムの増加を抑えるには、大間原発が必要」(閣僚経験者)との声が強まったことも、建設再開の判断を後押しした。

一方、同原発から30キロ圏内にある函館市の建設凍結の訴えを顧みなかった枝野氏の判断は波紋を呼びそうだ。

福島第1原発事故を機に、政府は原子力防災対策の区域を10キロ圏から30キロに広げる方針で、原発の建設や運転に周辺自治体の意向を反映させるかどうかも論点になっている。枝野氏の「見切り発車」は、こうした周辺自治体の意向を無視した形となった。

2012年9月10日月曜日

9条を世界に 9条に乾杯

9月9日は12年前に亡くなった父の誕生日でした。父は晩年、憲法9条の条文を紙に書き出して、居間のカベに張り出していました。なにを思ったのかでしょうか、平和が危ないと思ったのでしょうね。父は昭和4年生まれ。予科練に行ったそうです。そのころのことを父はあまり語りませんでした。今年、テレビで「15歳の志願兵」というドラマをみていたたまれなくなりました。ああいう状況だったのでしょうね。

さて、9月9日函館では、「戦争をしないための選択・9条を考える道南の会」の平和コンサートが、西本願寺別院文化会館でありました。私も聴衆として参加して心が洗われました。老若男女8人が出演したのですが、特に若い3人、Jack Mowsさん http://jackmows.blog.fc2.com/ 、Yo→1(ヨーイチというそうです)さん、間島輝さんが、平和の思いをこめて熱唱。よかったです。もちろん他のみなさんも。写真はフェイスブックで紹介しました。http://www.facebook.com/kadai.takahasi

福島の小松幸子さんが、福島の子どもを助けてほしいという思いと重ね合わせ、峠三吉の「その日はいつか」を朗読しました。胸に迫るものがありました。家に帰って、あらためて、峠三吉の詩集を見ました。「その日はいつか」の一節を紹介しましょう。

われわれはこの屈辱に耐えねばならぬ、
いついつまでも耐えねばならぬ、ジープに礫かれた子供の上に吹雪がかかる夕べも耐え
外国製の鉄甲とピストルに
日本の青春の血潮が噴きあがる五月にも耐え
自由が鎖につながれ
この国が無期限にれい属の繩目をうける日にも耐え
しかし君よ、耐えきれなくなる日が来たらどうしようたとえ君が小鳥のようにひろげた手で
死のかなたからなだめようとしても
恥じらいやすいその胸でいかに優しくおさえようとしても
われわれの心に灼きついた君の屍体の屈辱が
地熱のように積み重なり
野望にみちたみにくい意志の威嚇により
また戦争へ追いこまれようとする民衆の
その母その子その妹のもう耐えきれぬ力が
平和をのぞむ民族の怒りとなって
爆発する日が来る。

その日こそ
君の体は恥なく蔽われ
この屈辱は国民の涙で洗われ
地上に溜った原爆の呪いは
はじめてうすれてゆくだろうに
ああその日
その日はいつか。

さて、夜の部は参加できませんでしたが、函館の市電を借り切って、9月9日9時9分に「9条に乾杯」をするのです。

2012年9月8日土曜日

オオハンゴンソウが特定外来生物?

ドラマ「北の国から」で、正吉が蛍の心を射止めた贈り物と言えば、「100万本のバラ」ならぬ「100万本のオオハンゴンソウ」でした。私はあのシーンが大好きなのですが、今日の「しんぶん赤旗」をみていたらオオハンゴンソウは、生態系を脅かす恐れのある特定外来生物なんだそうです。うーん、残念ですねえ。

2012年9月7日金曜日

ぜったいゼロっ!

「いまNOといわなければ」「脱原発」「大間原発オーマイゴット 大間原発大間違い」などの原発ゼロの思いが書かれた行灯が今日はきれいでした。毎週金曜日の首相官邸前の反原発行動に呼応して、函館でも函館市役所前で、原発ゼロの行動が毎週行われています。

主催者を代表してのピーターハウレットさんのあいさつ。「政府のエネルギー戦略の内容はとてももやもやしてしまいます。だから私たちの行動が大事です」というような内容でした。まったく同感でした。

函館の行動はちょっと変わっています。函館市役所玄関前を出発して、市庁舎をぐるりと行進。また、出発点に戻りスピーチ、また出発という感じです。ウォークのかけ声がおもしろいですね。

「原子力発電ぜったいゼロっ!」「大間原発とめるには ゼロだぁゼロだぁ」「笑い声取り戻すにはゼロだぁゼロだっ!」「函館で平和に暮らすにはゼロだぁゼロだっ!」「原発事故を心配しないで暮らすにはゼロだぁゼロだっ!」「未来の人に感謝されるのはゼロだぁゼロだっ!」「自然エネルギーに真剣に取り組むにはゼロだぁゼロだっ!」

こんなのもありました。「野田にはノーだ。ノーノーノーだ!」「放射能にはノーノーノー!」「原発をやめる勇気を持とう」「子どもにきれいな海を残そう!子どもにきれいな川を残そう」「工藤市長の凍結宣言を応援するぞぉ!」(工藤函館市長は大間原発の建設は永久凍結と言っています)、「工藤市長は初志貫徹しろぉ」。

行進中、お坊さんがお経を唱えながら、太鼓(? あれ何て言うんでしょうか)のようなのを叩いて歩いていました。

今日の参加は70人だったとのことです。

衆院選での勝算はどのくらい?

ある雑誌から、取材依頼があり、質問項目が事前にファクスで送られてきました。どれどれと見てみると、「衆院選での勝算はどのくらいありますか?」とか「過挙区での対立候補について、どのような印象をお持ちですか?」など、なかなかの難問?もありました。質問項目と私の回答を紹介したいと思います。

【質問項目】

①近いうち解散の時期はいつ頃になるとお考えですか?

②民主党政権となって3年目となりますが、次期衆院選での政権交代はあると思いますか?それともないと思いますか?

③民主党の次期代表選が近付いておりますが、そうした背景も含め次期総理大臣として誰がふさわしいとお考えですか?

④選挙区では有権者に何を訴えて衆院選に臨みますか?

⑤衆院選での勝算はどのくらいありますか?その(勝算)の理由も教えてください。

⑥過挙区での対立候補について、どのような印象をお持ちですか?

⑦北海漣の他の選挙区で気になるのは何区ですか?理由も教えてください。

⑧尖閣諸島、竹島など日本の領土を取り巻く問題が大きくクローズアップされる事態が続いていますが、日本の外交についてどうお考えですか?

⑨衆膳院の定数は何人が適当だとお考えですか?

⑩そのほか

【私の回答】

①秋の臨時国会での解散・総選挙の可能性が高いと思います。

②政権交代はあるかもしれないし、ないかもしれないません。問題は政権交代のあるなしではなく、政治の根本問題である、「アメリカいいなり、財界中心」を断ち切れるかどうかだと思います。

③民主党の代表がだれになっても次期総理大臣にふさわしいとは思いません。わが党の志位和夫委員長がふさわしいと思います。

④財界中心、アメリカいいなりをやめ、憲法9条と25条が息づく社会に。政策的には、消費税増税ではなく、能力に応じた税負担によって、経済、財政、社会保障の立て直しを。TPP参加ではなく、農林漁業の振興を、原発をゼロにし、自然エネルギーの活用を、泊原発再稼働ノー、大間原発建設中止、普天間基地の無条件撤去、オスプレイ配備ノー。

⑤これまでのわが党の実績から考えると簡単ではないですが、二大政党づくりが事実上崩壊していることからも、ミラクルをおこして勝利したい。

⑥2人ともほとんど話したことはありませんが、特に悪い印象はありません。

⑦比例区です。北海道で議席を持っていない共産党が議席を奪還するもっとも注目すべき選挙区だからです。

⑧領土問題については歴史的事実と道理にたった外交交渉が必要だと思います。緊張を激化させる行為は双方が慎まなければならないと思います。外交一般については、日本の外交はアメリカいいなりなので、従属から対等平等にかえていくことが必要と考えます。

⑨現行の定数でいいと思います。問題は民意をゆがめる小選挙区制中心ではなく、比例代表中心にすることが大切だと思います。

2012年8月30日木曜日

政府交渉&「STOP TPP 官邸前アクション」

27日と28日の両日、東京での政府交渉に行ってきました。紙智子、大門みきし両参議院議員、はたやま和也道政策委員長(北海道比例予定候補)、それから私たち小選挙区予定候補に、道議の真下紀子さん、札幌市議の小形かおりさんによる北海道の交渉団でした。

交渉団が提出した要望は全部で104項目。そのすべてが北海道の切実な要望です。この中には、大間原発の建設中止関連の要望、JR江差線の廃止関連の要望、ルネサス北日本函館工場の売却と雇用問題に関する要望、海洋エネルギー関連の要望、函館・大間間フェリーへの支援に関する要望など、党函館地区委員会、渡島桧山地区委員会が発信した要望も含まれています。私も地域の実情をしっかり話してきました。写真はフェイスブックで紹介しています。

政府交渉については、はたやま和也さんや参加者のブログが詳しいです。
はたやま和也(比例)
北海道の声をとどける政府交渉(1) http://hatarogu.blogspot.jp/2012/08/blog-post_27.htm
北海道の声をとどける政府交渉(2) http://hatarogu.blogspot.jp/2012/08/2.html

鈴木龍次(5区) http://blogs.yahoo.co.jp/suzuryu52/29946212.html
菅原誠(12区) http://sugawara.jcpkitami.jp/?eid=177 
小形かおり(札幌市議) http://ogatakaori.blogspot.jp/2012/08/blog-post_29.html

対道交渉でも政府交渉でもそうなのですが、日本共産党の交渉のすごいところは、要望をストレートに伝え、しっかり実情を訴え、ときには激しいやりとりもしながら議論するというところにあると思います。

私が市議会議員をしていた時には、市と市議会の合同要望というのがあって、市の幹部と議会の正副議長、常任委員会の正副委員長が、7月の下旬の暑い時期に省庁を訪れ、要望書を持ってただひたすら頭を下げてお願いしてくるのです。私も2回か3回くらい行ったことがあります。

先乗りした若手の市職員が、事前にチェックしておいた担当の役人の部屋と机を案内してくれ、「ハイつぎ、ハイつぎ」という感じで、シャワーを浴びたように汗を流しながら、「どうかよろしくお願いします」とお願いするのです。自治体の立場というのは、国に対してこんなに弱いんだなあ、切ないなあと感じたものです。

さて、政府交渉が終わった、28日の夕方「そういえば、今日はTPP参加に反対する官邸前アクションがあるはずだ」と思いだし、現地に行ってきました。函館の五稜郭交差点より狭い官邸前の向かい側の交差点に100人くらいいたでしょうか、あるいは200人くらいいたでしょうか。

若い人たちが気負わない普段着の言葉でTPPを語っていました。「さあコールしましょう」といって、「農業つぶすTPPはいらない!」「食の安全こわすTPPはいらない!」「医療をこわすTPPはいらない!」「失業者を増やすTPPはいらない!」「賃金下げるTPPはいらない!」「デフレが進むTPPはいらない!」「大企業優先のTPPはいらない!」など、字余りのコールも軽快なリズムでこなして唱和していました。

政治のど真ん中、首相官邸前の行動の100人(200人?)の1人になれてよかったと思いました。

2012年8月29日水曜日

道南グレートジャーニー

これまでつまみ食い的に報告してきましたが、8月17日から24日まで、道南の市町を街頭演説を中心に遊説してきました。人類がアフリカを出発して、世界の各地、例えばベーリング海峡(地峡?)を渡り、アメリカ大陸を南下しその最先端まで到着したような人類の拡散を旅になぞらえ「グレートジャーニー」というのですが、この言葉を借りて、この遊説の旅を「道南グレートジャーニー」と大げさに紹介したりして楽しんできました。

街頭演説は、全体で70カ所くらいでした。私は3度函館市議会議員選挙にでたことがあるのですが、だいたい1日で30カ所~35カ所、酸欠で頭がクラクラするくらい街頭演説をします。それと比べると演説回数はすくなく移動時間がとても長かったです。その分、道南の自然を満喫しました。

漁村地域の高台の集落で何人もの人が外にわざわざ出て聞いてくれたので、おもわず演説の最後に「この広い道南の中で、このように演説カーをとめたところで、つたないわたしの話を聞いていただいたのも何かのご縁で、お会いできたことをうれしく思います」などとセンチメンタルなこともしゃべったりしました。「グレート&センチメンタルジャーニー」ですね。

街頭演説以外では、町長との懇談、農協や各団体との懇談も有意義でした。浜谷江差町長とは、道立江差病院の問題やドクターヘリの問題での意見交換をできましたし、工藤上ノ国町長が「共産党とは意見も違うが、ぶれないところがいい」といってくれたことなど嬉しいこともありました。

総選挙も近いようです。また新たな出会いを楽しみにして、がんばります。

追記
グレートジャーニーを意識して書いた「コーヒータイム-ルーツ」があります。

2012年8月26日日曜日

西日がつくる仁山のシルエット

夕方八雲に向かいました。函館新道から仁山方面を望むと、鱗っぽい雲と、西日がつくる仁山のシルエットがきれいでした。

八雲町栄浜の懇談会は、佐藤智子町議の町政報告を兼ねて 「高橋佳大さんとしゃべろう」というもの。

落部(おとしべ)のホタテ漁師の奥さんの痛切な声が胸に響きました。「ホタテの漁業者はやればやるほど借金が増えて、あとを継がせることもできない。跡継ぎがいても投資すればまた借金に。ホタテは100円切る安さ。夜中1時から次の日の昼まで働いて、腰も痛くなるし、展望がない。借金が肩にずしり。このままではみんな死んでしまう。もっと人間らしく生きたい」と。

「それでも今日佳大さんに聞いてもらってよかった」と言ってくれました。

追記
鱗っぽい雲ですが、家に帰って「空の名前」という本を見ました。巻積雲のようでもあり、高積雲のようでもあり、房状雲のようでもあり、結局よくわかりませんでした。

「空の名前」については、別なミニエッセイを書いたことがあります。

2012年8月21日火曜日

石高ゼロからコメどころになったのに・・・

今日の道南地方はこの夏最高の暑さだったとのこと。大げさに名づけた「高橋佳大の道南グレートジャーニー」の4日目の遊説は、こめどころ今金町とせたな町(旧北桧山町、瀬棚町、大成町が合併、桧山で一番人口の多い自治体となりました)でした。おかげで顔も腕も日焼けで真っ黒になりました。

同行してくれたのは、今金支部の仲間のみなさん、江上恭二前せたな町議(昨年の選挙八票差で惜しくも落選)、佐々木陸郎前大成町議、それから渡島桧山地区委員会自治体部長で江差町議の小野寺真さんでした。

江上恭二さんとはこんな思い出があります。私が94年にはじめて党の八区候補になり、たしか伊豆での研修会に出かけた時に江上さんと知り合いました。宿泊の旅館で部屋が同じになりました。たたみに2つのふとんをならべ、さあ寝ようという時、江上さんがいいました。「佳大さん、人間にとって一番大切な物は何だと思う?」とむずかしい質問をしてきました。私が「衣食住ですか」と答えると、「おれは『食』だと思うんだ。食べるものがあれば何とか生きていける。その食べ物をつくる農家がこんなに粗末にされていいのだろうか」と江上さんは言いました。(江上さんは農家です)

今日は、外崎秀人今金町長をはじめ、内ヶ島今金農協専務理事、大関北檜山農協組合長と懇談の機会があったのですが、江上さんもよく知っている方々ばかりで、さきほどの江上さんとの思い出を紹介したりして、農業問題について懇談しました。

話題になったことは、TPP参加反対はもとより、「農業の生産性をあげて農業所得を増やしたい。そうすれば、結婚して子どももつくれるようになる」、「交付金や補助金でなく、意欲を持ってがんばれば所得が増えるような農業政策が必要」、「所得補償より価格補償」など、基幹産業の農業でまちづくりを進めたいという意欲をつよく感じました。

それからもうひとつ、「TPP参加反対の決起集会では共産党のマドンナが来てくれましたね」と昨年北斗市で行われた集会に紙智子参議院議員が飛び入りで参加したことが歓迎されたこと、「紙さんは農業のことをよく知っている」「うちの町で共産党の先生をつうじてお願いしたのははじめて」など、紙智子さんのことがどこでも話題になったことは、とてもうれしかったことでした。

もともと蝦夷地を支配していた松前藩は、米が穫れないので、「石高ゼロ」の藩として出発したのですが、先人たちの苦労の中で、いま今金や北桧山はコメの町として発展しています。今金町やせたな町のいまのコメの生産高は、石高で言うとどれくらいになるのでしょう。相当な石高になるのではないでしょうか。先日も八雲の酪農の話しを書きましたが、農業を破壊するTPP参加の犯罪性をあらためてつよく認識した一日でした。

今日もまた、山々のすばらしい景観と、帰路は日本海の夕日に感動して函館に帰ってきました。

追記

松前藩の歴史については「松前藩物語」(松前町編)というマンガの本が、気軽に読めて、流れがわかります。

2012年8月20日月曜日

地球儀のプレゼント

私には、今年27歳になる娘と25歳の息子がいるのですが、息子が1年生になったお祝いに、名取のおじいちゃん(妻の父親)が、ケンカしないようにと、姉弟にひとつずつ地球儀をプレゼントしてくれました。内側から光ってライトとしても使える地球儀でした。

私が3年生になる娘に、「日本はここだよ」と赤い色がついている日本列島を示して教えてあげました。赤い色はクナシリ島、エトロフ島の南千島までしかついていませんでした。それから「本当はね、ここまでが日本なんだよ」と、赤い色がついていない北千島、ウルップ島からカムチャツカ半島の手前のシムシュ島までを指でなぞりながらいうと「どうして?」と娘。「ソ連にスターリンという悪い人がいてね、日本の領土を取っちゃったんだよ」と。娘は悔しそうに食いさがります。「どうしてどうして?」、もう泣き顔です。そんなことがありましたね。

千島列島は日本の歴史的領土ですが、日ロ領土問題の一番の基本は「領土不拡大」という大原則を破った戦後処理の不公正さにあります。これを正すことが必要です。歴代の政権はこの主張を一度もしてきませんでした。そして国際的には通用しない「クナシリ、エトロフは千島にあらず」という誤った主張に固執してきたために領土交渉は成果があがらなかったのでした。

詳しいことを知りたい方はこちらをどうぞ。

2012年8月19日日曜日

津軽海峡夏景色の旅

今日の活動は、石川さゆりの「津軽海峡冬景色」をもじって、「津軽海峡夏景色の旅」と名づけました。

木古内町から知内町、福島町、松前町と津軽海峡に沿って、西へ西へと遊説の1日でした。

松前の一番北、日本海に面した漁村で、「ここでやろうか」と宣伝カーをとめて、マイクを持ってしゃべりはじめると、あっちからこっちから「なんだなんだ」という感じで、旅芸人を迎えるように聴衆が出てくるではありませんか。うれしいことです。最後まで聞いてくれてありがとうです。消費税のことや、TPPのこと、伝わったと信じています。

2012年8月18日土曜日

ブログ記念日

俵万智さんの短歌にこんなのがありましたね。

 「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日

この短歌をもじって、こんな気分です。

 「この文がいいね」と君が言ったから八月二十日はブログ記念日

ブログを始めてからしばらく経つのですが、今日初めて「佳大さんのブログは読みやすいですね」とほめられてしまいました。人はだれしもほめられるとうれしいものです。それで今日はちょっとお疲れなのですが、ブログを更新することにしました。ホントは今日は18日なのですが、これだとあまりにも字余りなので、勝手に二十日にしました。

さて昨日から私は、噴火湾沿いに長万部から八雲、森と南下しながら、街頭演説の旅をしてきました。今日は天気もよく、駒ヶ岳の景色が最高でした。長万部では七尾町議と八雲では横田町議、竹浜前町議と森では支部のみなさんととても心強かったです。

話しは変わりますが、八雲町議の横田さんは竹浜さんの後継者ですが、竹浜さん曰く「横田さんは名前がいいんだ。喜世志というのは、みんなが喜ぶ世の中を志すって書くんだよ」と教えてくれました。よし、これはもらいだと、私も演説の中で「横田さんの名前はみんなが喜ぶ世の中を志すと書きますが、そんな世の中をつくるためには何が必要でしょうか」と導入に使わせてもらいました。

街頭演説の途中、農協の関係者の方と懇談しました。彼は開口一番こういいました。「TPP参加で一番打撃を受けるのは八雲です。八雲の農業の8割は酪農で、米は国が何とか守るかもしれません。野菜はより影響が少ないと思います。しかし関税撤廃で、チーズやバターが入ってきたら太刀打できなくなります。壊滅的です」とつらそうに言ってました。

八雲は米などは気候的になかなかむずかしく、酪農が適していて、北海道の酪農発祥の地として発展してきたそうです。先人たちの労苦を踏みつけにする民主党のTPP参加政策は本当に腹立たしいですね。「気持ちは一緒ですよ。がんばりましょう」と握手してきました。

昨日は函館の自宅に帰ってから、「今日はがんばった」と自分へのごほうびに、ビデオ録画していた『シークレットガーデン』の最終回を観ました。そうそう、ヒョンビンとハジウォンがでてくるドラマです。挿入歌がいいですね。

2012年8月13日月曜日

竹島問題を考える

韓国のイ・ミョンバク大統領が竹島に上陸するとか、韓国のサッカー選手が試合後に竹島(韓国名・独島)領有を主張するメッセージを掲げたことがIOCで問題になるとか、竹島の領有問題で日韓間に緊張が走っています。

竹島の領有問題をどう考えたらよいのか、2006年の韓国訪問の際、韓国要人と対話した日本共産党の志位和夫委員長が党本部で行った報告会での発言が、12日付けの「しんぶん赤旗」に再録されています。HPに出ていないと思いますので紹介したいと思います。

竹島問題を考える志位委員長の発言(2006.9.25)

4つめに、日韓の間にあるどんな懸案事項を解決するうえでも、歴史問題で日本が誠実な態度をとること-侵略戦争と植民地支配への反省をきちんとおこなうことが、冷静な話し合いを成り立たせる基礎になることを痛感いたしました。

たとえば、日韓の間には、竹島――韓国では「独島」と呼ばれている島の領有をめぐる問題があります。韓国では、国民のおそらく99%以上が、「独島」は韓国の領土だ、日本帝国主義の侵略によって最初に奪われた領土だと考えています。

9月5日におこなった西大門での韓国メディアとのインタビューでも、この問題への態度が問われました。9月7日におこなったハンナラ党のキム・ヒョンオ院内代表との会談でも、この問題についても「さらに関心を持ってしめしていただきたい」と要請されました。

私は、「この問題は、靖国問題などとは違った事情があります。わが党は、1977年にこの問題についての見解を発表していますが、竹島(独島)の領有権を日本が主張することには、歴史的な根拠があるとそのなかでのべました」と、まず、私たちの立場を率直に伝えました。ハンナラ党のキム・ヒョンオ院内代表との会談では、私がそこまで言いますと、「共産党がですか」と聞き返してきました。会談は一瞬、緊張しました。

私は、「そうです」と答えるとともに、「同時に、この間題が、1905年に起こったということを私たちは重視しています。すなわち韓国の植民地化する過程で、これ(竹島の日本への編入)がおこなわれたことも、まざれもない歴史的事実です。韓国はすでに外交権を剥奪(はくだつ)されており異議を申し立てる条件がありませんでした。ですから、韓国側のいい分も検討しなければならないと考えています。植民地支配への反省という問題が基礎にないと、この問題は、冷静に話し合いができないと想います。その反省のうえに、事実を付き合わせる冷静な共同研究が必要ではないでしょうか」とのべました。

そうしますと、先方から、「いいお話をありがとうございます。植民地化の過程については、私の方からあえて申し上げなかったのですが、それについて志位委員長の方から言及されたというのは、非常に意味のあることだと思います」との答えが返ってきました。この会談は、一瞬の緊張はありましたが、最後はたいへん友好的な雰囲気で終わりました。

竹島問題は、日韓間で非常にこじれている問題ですが、私は、この会談を通じて、こじれにこじれた糸をときほぐす道が見えたように思えました。1965年の日韓基本条約の締結にいたる過程で、日韓両国政府間で竹島領有をめぐって往復書簡による論争があります。

その論争の過程でも、また今日においても、日本政府は、韓国併合-植民地支配を不法なものであったと認めていません。それを認めないもとで、竹島の領有権を主張するから、韓国国民の側からは、この間題が「侵略の象徴」となってしまうのです。ですから韓国政府は、この島の領有権をめぐっては話し合いすら拒否するという状況にあります。

日本政府が、植民地支配の不法性、その誤りを正面から認め、その土台のうえで竹島問題についての協議を呼びかけるなら、私は、歴史的事実にもとづく冷静な話し合いが可能になると、これらの交流を通じて痛感したしだいです。

左利きの日

今日8月13日が「左利きの日」だということを、北海道新聞夕刊『今日の話題』の欄ではじめて知りました。「ロンドン五輪で活躍した卓球の石川佳純、バドミントンの佐々木翔、フェンシングの千田健太の各選手に共通するのは、左利きということだ」ということから記事が始まっています。実は私も左利きなんです。

20年ほど前に、英国の左利き用品店が、利き手にかかわらず使い勝手のいい道具を普及させようと制定したとのこと。右利きを前提にした道具が多いということで、左利きでは苦労する道具として、缶切り、ギター、背広のポケット、自動改札機、自販機、急須などがあげられています。

私は、道具でそんなに困ったことはありません。缶切り、急須は右手で使いますし、ギターは両手を使うので利き手はあまり関係ないような気がしますし、背広のポケット、自販機が右利き用だということはこれまで意識したことがありませんでした。左手に持った切符を右側でねじるように投入しますので自動改札機はたしかに不便です。アイロンは、電源コードが右側から出ているので、左利きには不便です。あとは野球のグローブですね。あ、それからはさみもそうですね。

道具ではないのですが、長いテーブルにたくさんの人が並んで食事をする時などは、私の左手と隣の方の右手がぶつかるので、できるだけ左端に座ります。左利きで一番苦労したのは、小学校1年生の時に、右手で字を書くよう矯正されたことです。おかげで今では、どちらの手でも字は書けます。どちらも下手ですが・・・。

私は両親も兄弟も子どもたちもみんな右利きなので、利き手というのは遺伝ではないだろうと思っています。小さい頃の脳の発達の仕方が関係しているのかなと思ったこともあります。

左利きで得をした記憶はありませんが、以前、麻丘めぐみの「私の彼は左きき」とか、ピンクレディーの「サウスポー」とかいう歌がありましたね。右利きでは歌にならないけれど、左利きは歌になるんだなあと思ったりしました。

2012年8月12日日曜日

立待岬

8月11日、私は党函館市議団長の市戸ゆたかさんと、船見町の墓地の高台にある函館朝鮮人慰霊塔・納骨堂で行われた「第22回函館朝鮮人慰霊祭」に出席し、日本の侵略戦争と植民地支配の犠牲になられた方々に手をあわせお参りしてきました。

この慰霊祭の案内状には、次のような文章が書かれていました。

「清算されていない過去は繰り返されます。植民地時代に旧国鉄・松前線建設工事に従事させられ犠牲になった朝鮮人の遺骨6体が、山野から探し出されて、納骨堂に安置されています。祖国開放後も故郷に帰れず異郷で亡くなられた朝鮮人の遺骨16体が納骨堂に安置されています。いまも墓標もない原野に捨てられたままの犠牲者の声なき慟哭に耳を傾け、せめて納骨堂に安置された先人たちの霊に多くの方が手を合わせ「恨」を克服できる日が来ることを祈ります。」

たしか朝鮮総連と日本共産党の交流が再開したのは10年くらい前のことでしたが、昨年初めて慰霊祭のご案内をいただき参加をしました。その後、イ・ホンベ委員長が私どもの事務所にごあいさつにきていただくなど、少しづつ交流も深まってきました。私は、昨年参加して、浅利政俊さんのお話しなどをうかがい、私たちのふるさとで侵略戦争や植民地支配の犠牲がどのようなものであったかを、もっともっと知らなければならないと思いました。今年2回目の参加をして、啄木の歌のことが懇親会で話題になり、その思いをさらに強くしました。

啄木の歌と言えば、私の大好きだった平和運動家の佐藤かのさん(2001年7月逝去)が書いた文章のことを思い出しました。かのさんの追悼集に載っていましたので、以下、ところどころ紹介したいと思います。

佐藤かのさんの「立待岬」から

はまなすの花が咲いている。うぐいすの声に聞き惚れながら、さわやかな潮風を胸いつぱいに深呼吸。海に沿った細道に「石川啄木一族の墓」が見えてくる。

      地図の上朝鮮国にくろぐろと
          墨をぬりつつ秋風を聴く

地図をくろぐろと墨ぬられた植民地朝鮮の人々の苦しみはたとえようもなく、今も心に重い。

坂を登りきると視界がぱ-と開ける。津軽海峡だ。波が断崖に砕け散り、エゾカンゾウの黄色い花がゆれている。

ここ立待岬は自殺の名所だった。韓国のソウルで発行されている「ハンギョレ新聞」の1990年1月4日付新年特集号には、北海道の地図も入って、「集団投身した崖は自殺の名所」と見出しが付けられ、戦前、函館の立待岬で、だまされて連行された朝鮮女性たちが売春を強要され、集団投身自殺したと報じている。ほとんどが15歳から20歳くらいの、まだ母親が恋しい年頃の乙女たちで、その叫びは、波の音までオンマー(お母さん)と泣いているように聞こえたと伝えられている。

かのさんは、「自分のふるさとでおきた、この悲惨な出来事に目を向けてもらいたくて」と、自らつくった詩を、文章のうしろで紹介していました。

※佐藤かのさんの追悼集は「続 野の花のように さとうかの追悼集」です。発行者は夫の佐藤達雄さんで2001年11月発行です。

2012年8月6日月曜日

おはよう平和行進~「精霊流し」

今日は、広島に原爆が投下されて67年目の8月6日です。函館では1984年の「核兵器廃絶都市宣言」の翌年から、8月6日の早朝「おはよう平和行進」が行われています。今年が28回目。朝7時30分に市役所の「核兵器廃絶都市宣言塔」から出発し、函館駅前の宣言塔(いまは塔から形がかわっていますが)まで行進して、原爆投下の8時15分に黙祷を行います。

雨が昨夜から降っていたので「できるかな」と心配していたのですが、開始時間にはきれいに晴れました。私も共産党を代表して決意表明して行進しました。

以前、8月6日をテーマに書いた文章を『道南新報』に書いたことがあります。紹介します。

さだまさしの自伝的小説だと言われる『精霊流し』を映画化したビデオを最近観ました。中学のころ、彼の同名の曲をよく聴いていたこともあり、タイトルに惹かれて借りたのですが、ストーリーのラストに、主人公の出生の秘密が、長崎への原爆投下による悲しい出来事とともにあきらかにされます。

さだまさしが、毎年、8月6日広島の日に地元の長崎でコンサートを開いていたのは知っていましたが、この映画を観て「そうだったのか」と思いました。

そういえば彼の曲に『広島の空』という作品があります。

「この町が燃え尽きたあの日/叔母は舞い降りる悪魔の姿を見ていた/気付いた時炎の海に/独りさまよい乍ら/やはり振り返ったら/稲佐の山が見えた」

「あの町が燃え尽きたあの日/彼は仲間たちと蝉を追いかけていた/ふいに裏山の向こうが/光ったかと思うと/すぐに生温かい風が/彼を追いかけてきた」


※この文章は、「道南新報」(2004.8.29号)に掲載されたものです。

2012年8月3日金曜日

「東京ラブストーリー」の名セリフ

先月、私を招いてのお茶の間懇談会を、ある方のお宅で開いていただきました。話題は、消費税のことや福祉のこと、町会活動から本間市議の結婚まで多岐にわたり、楽しいものでした。

話の途中、参加していた女性のケータイが鳴りました。着メロに聞き覚えがあります。小田和正の『ラブストーリーは突然に』、私も好きな曲だったので懇談のあとに聞いてみました。すると「この曲を聴くと胸がキュンとなるんですよ」と乙女のように彼女は言いました。『ラブストーリーは突然に』はテレビドラマ『東京ラブストーリー』の主題歌。たしか20年くらい前に放映されたドラマだったと思います。

主人公の赤名リカ(鈴木保奈美)の「私の好きは負けない。1グラムも減らないよ」という台詞が記憶に残っています。「好き」という気持ちを、重さのあるものにたとえて「1グラムも減らないよ」と、心憎い台詞ですね。同じ内容でも、言葉一つで伝わり方が全然違うなあと思いました。このドラマ、名台詞があちこちにちりばめられていて、小田和正の曲と重なって、「胸をキュン」とさせています。言葉って大事ですね。

さて話は変わります。最近、『日本語のレトリック 文章表現の技法』(瀬戸賢一著 岩波ジュニア新書)を読みました。レトリックとは何か、著者はいいます。「ありきたりの表現ではなく、よりぴったりとした表現、より説得的な表現、より魅力的な表現のことです。ひと工夫した言い方です」。そして次の言葉が胸に沁みました。

「たとえ真実であっても、ことば不足の場合は、ことば巧みな不実に破れてしまいかねません。」

2012年7月31日火曜日

計画停電のこと

あちこちのお茶の間懇談会におじゃまをすると北電の計画停電のことが話題になります。これをどう考えたらいいのか、先日、はたやま和也道政策委員長が函館に来て訴えた内容を、私もとなりでなるほどと思いながら聞いていました。はたやまさんの許可をもらいましたので、以下、はたやまさんの計画停電についての演説を紹介します。

今日も新聞を開けば、電力が足りなくなるので、みなさん節電に協力してくださいと、書いてます。もちろん、限りある資源を大切にしようと、自発的に節電されることは、大事なことだと思います。でも病院だとか、介護施設だとか、保育所だとか、高齢者や子どもたち、命を守らなければならない方々にまで無理に節電を押しつけることはあってはならないと思います。そもそも、政府や電力会社の出している情報をどこまで信じたらよいのか、多くの方が疑問を持っているのでないでしょうか?

調べてみたら、東北地方はこの夏計画停電の予定がありません。なぜかというと、この1年4ヶ月のうちに、新しい発電所を、東北地方で5つつくっているんです。だから北海道にも電力は融通できますよというところまで電力をふやしています。東北地方は1年4ヶ月、このように電力を確保して、計画停電がないにもかかわらず、北海道電力はこの1年4ヶ月何をやってきたのでしょうか。

私たちは北海道各地でいま、太陽光でも風力でも十分自然エネルギーが広がっている、そのとりくみをみてきました。先週は釧路に行ってきました。別海町では酪農家に太陽光パネルがつくられはじめていて、自分の家だけではなく、街まで電力を供給できる発電が一戸一戸の農家の単位でもうまれてきました。十勝管内の足寄町では牛や馬の糞尿を使ったエネルギーで、136人も、工場をつくるなどで、新しい仕事も生み出しています。やればできるということを、北海道の市町村が証明しています。問題は、こうやってできた電力を北海道電力が買い取っていないところに原因があります。電線が足りないって言うんです。

政府には4000億円も原発予算があります。燃料保管に1000億円必要ですが、3000億円を振り替えれば、ちゃんとこういう電線の整備をするお金が国にも十分あるんです。計画的に、原発事故のあと、1年4ヶ月、こういうとりくみをやっていれば、この夏の計画停電などしなくてもよかったのではないでしょうか。私は言いたい、原発にこだわっているから、必要な電力まで確保できない、これが真実だと思います。

日本共産党は、もちろん、こんな危険な原発をやめるために全力をあげてがんばります。ただ原発をなくすだけでなく、新しいエネルギーはこうやって確保するということをこの間訴えてまいりました。(以下省略)

計画停電についてははたやま和也さんのブログにも載っています。

2012年7月26日木曜日

ラジオ体操

小学校も今日から夏休み、ラジオ体操が始まりました。私も町会役員として、ラジオを持って、会場に毎日行くようになって10年くらいになります。以前ラジオ体操について書いた文章を紹介します。

「♪あたらしい朝がきた 希望の朝だ 喜びに胸を開け 大空あおげ ラジオの声に 健やかな・・・」――私が小学生の頃といえば、もう四〇年以上も前になりますが、あの頃と変わらないラジオ体操の歌。そして体操の仕方もまったく同じ。カードを首からぶらさげて、体操が終わると一目散にカードにハンコ(最近はシールのところもありますが)を押してもらいに列をつくる、そんな光景も昔と同じです。  町会の青少年部の役員となり、毎日ラジオをもって小学校のグラウンドへ。時間前からすでに学校に来ている教頭先生と、何人かの子どもたちが花に水をやりながら体操のときを待っています。それはとても平和で、とてものどかで、心が和みます。

無邪気なこどもたちの笑顔はもちろん、運動不足ですっかりなまってしまった体の筋肉痛もなぜか妙に心地よく、何かとても得をしたような気分になるのです。早起きは三文の得、ラジオ体操万歳です。

※この文章は2006年に書いたものです。

2012年7月24日火曜日

世直しの原石

中学3年の社会科の時間、先生が胸を張っていいました。「日本の税金のあり方は累進課税制といって、所得の多い人が高い税率で、少ない所得の人が低い税率で税金を納めるんだ」と。私は38年前に教えてもらったことを今でも正しいと思っています。その後導入された消費税は累進課税という考え方と正反対の税金です。

38年前のこの思い出を私は好んで街頭で紹介します。朝の宣伝では、色とりどりのランドセルを背負った子どもたちが次々と私の前を通って学校に向かいます。私が「収入のない子どものお小遣いにも税金をかける消費税は間違っています」とつけくわえると、子どもたちが、私の前で立ち止まり、ペコリとお辞儀して「おはようございます」と声をかけてくれます。門前に立つ校長先生になったようでした。

同様の話を森町で街頭でしました。終わると子どもたちが駆け寄ってきました。もじもじしながら「これ洗ってないんですけど」とプレゼントを私に差し出しました。足下に落ちていたと思われる小石でした。子どもと握手をしてありがたく受け取りました。「世直しの原石」という言葉が頭に浮かびました。

さて社会科の先生は私の担任でした。同期会で再会しました。先生はそのとき道教委の仕事をしていて「共産党にはずいぶんやられているよ」と笑って話していました。それでも同期生たちの前で「今度高橋佳大君が衆議院選挙に立起することになった。応援してくれ」と言ってくれました。私が96年に行われた衆議院選挙に立起表明をした時のことです。残念ながら先生は在職中に急逝されました。

2012年7月17日火曜日

異常なし

党美原支部のみなさんと189回目の早朝宣伝が終わって病院へ。今日は大腸カメラの日でした。ポリープを切除後1年の検査でした。まず3時間かけて、紙コップになみなみと注がれた下剤を15分おきに、2リットルも飲みます。あのまずさはたとえようもないです。2番目につらいのがカメラがお腹の中でうごめいている時、腸を圧迫するのか、ひっかかるのか、2回ほどうめき声をあげました。何はともあれ、異常なしとのこと。めでたしめでたし。

たっぷり時間があったので、待ち時間中に読みかけの『日本人はなにを食べてきたか』(原田信男、角川ソフィア文庫)を読み終えました。米が神聖視されるに至った歴史、肉食が禁忌されるに至った歴史などなるほどなるほどと読みました。

その後、市役所へ。先日上湯川支部のお二人と訪問先で伝えられた要望を、一緒に伝えてきました。要望は志海苔漁協前のバス停から上にのぼる急な道の両サイドの草刈りをしてほしいというもの。住んでいる人にとっては、手すりにおおいかぶさるくらいに生い茂った草はとてもじゃまなんですね。土木部管理課長さんが親切に対応してくれて、早急にやってくれるとのこと。支部の2人も喜んでいました。

地区委員会事務所に立ち寄り、書類を入れる私の棚に、「宮本顕治著作集第1巻」が入っていました。序文が昨日の「しんぶん赤旗」に出ていたので楽しみにしていたところでした。夜の市議会報告会の前と終わってからとで、最初の作品、「『敗北』の文学」を読みました。学生のころ一度読んでいたのですが、すっかり内容を忘れていましたが、すばらしいの一言です。感想はのちほど報告します。議員のみなさん議会報告会ご苦労様でした。

2012年7月16日月曜日

ハッピーアイランド

福島、福島、福の島、幸福の島、ハッピーアイランド、福島の原発事故がもたらした悲しさ、苦しさ、不安、怒りは、福島という地名の意味とは正反対でした。原発をなくして日本列島をホントのハッピーアイランドにしよう。一度言ってみたいと思っていました。7月14日の「さようなら原発函館集会」の党代表あいさつでとうとう言うことができました。

2012年7月15日日曜日

毒舌ばあちゃん

7月14日の「さよなら原発函館集会」で、清野きみさんにお会いしました。元気そうでした。7月8日付『ほっかい新報』の私の記事を読んでくれていて「よかった」といってくれたので、紹介します。

とても暑い日でした。買い物帰りの高齢の女性。帰宅したばかりだと見えて杖をついて玄関口に立っていました。少し離れたところから「こんにちは共産党です」とあいさつすると、大きな声で「そんなこと顔をみれば共産党だってわかる」。怒っているようにもみえます。近づいて名刺を渡して名乗ると「ずいぶん薄い名刺だ」、「すみません。お金がないもんで」とヘンな弁解をすると「それはわかる。でも名刺は顔だ」と。「病気になっても見舞いにも来ないでなんだ」と追い打ちがかかります。そして「いまの政治は何だ」と大きな声、あまりにも声が大きいので近所で庭の手入れをしていた人たちが注目のまなざしを向けています。「ヘンだな、支部からは、最近の選挙で結びついた支持者と聞いていたのに。支持者じゃないのかな」と。

「ところで清野(清)さんは元気かい」と聞かれました。清野さんは63年から83年まで旧北海道3区候補者として8回挑戦した党の顔、昨年亡くなりました。私が葬儀委員長を務めました。そのことを告げると「私はね、清野さんだったら、今の政治についてなんて言うだろうと考えていたところだよ」と。昔からの党の支持者だったことがわかりました。そして生い立ち、生まれながらの身体障害者として、当時は社会に触れることもなく、時計の見方がわかったのも19歳だったと語ります。「たまには喫茶店でコーヒーを飲みたいさ。ガチャン(自動販売機)のジュースを飲みたいこともあるさ。だけどそのお金があれば豆腐の一丁も買える。少ない障害年金暮らしさ。共産党だけは、このことをわかってほしい」としんみりした口調に。「でもしっかり自分の考えを話されて元気そうでよかったです」と別れのあいさつをしようとすると、「元気にも、カラ元気というのがあるんだ」と一転、毒舌ばあちゃんに戻って言いました。精一杯のおしゃれだと思われる両の耳につけていた黒っぽい耳飾りが印象的でした。 

2012年7月10日火曜日

パンモゴッソヨ?

「パンモゴッソヨ?」(ご飯食べましたか?)-韓国ドラマで頻繁に出てくる会話のフレーズです。食事のシーンも多いです。食べることを大切にしているんですね。日本はどうでしょうか。母親の息子への思いが切なく響くさだまさしの『案山子』の一節、「元気でいるか/街には慣れたか/友達できたか/寂しかないか/お金はあるか/今度いつ帰る」、あれっ、「ご飯は食べてるか」がないですね。そういえば『源氏物語』には食事のシーンがないそうです。でも母親が一人で暮らす実家に私が立ち寄った時、「ご飯食べたかい」と、母は必ず食事を用意します。ドラマや歌に出ても出なくても食べることはやはり生きる土台です。
 
さてこんなことがありました。支部の仲間とあいさつに伺った女性のお宅。年金の一人暮らしだそうです。玄関横の一間幅のプランター台にたくさんの花が並んでいました。「これは何という花ですか」、花の名に疎い私に「それはアマリリスです」と教えてくれました。もうひとつ訊くと花の名ではなく「それは、今日、花屋さんで買いました。380円でどうしようかと悩んだけれど、一食がまんすればいいやと思って」と嬉しそうに話してくれました。「食事を抜かなくても花が買えるようにしたいですね」、出かかった言葉を呑み込み、お別れしました。

2012年7月5日木曜日

記者会見

久しぶりの更新です。私は6月15日、記者会見し、次期衆議院選挙で北海道8区(渡島管内、桧山管内、函館市、北斗市)から日本共産党公認で立起することを表明しました。以下は会見用に書いた原稿です。