2012年11月25日日曜日

勇気1000倍の紙智子さんの訴え

私の事務所びらきでの紙智子さんの訴えがとてもよかったと参加者のみなさんが感動していました。録音していないんですかと何人かの方から聞かれ、私が途中からなんですが、録音した内容を起こしてみました。



紙智子さんの訴えの内容は震災直後に、福島や宮城に入ったときの、日本共産党の活動の姿の報告でした。以下、紙智子さんの訴えです。

高橋佳大事務所開きでの紙智子さんの訴え

帰ってきてから地図をみたら、すれすれの危ないところを通っていたんだということがわかったんですけれど、そういうことで福島に着いた時には、実は福島の共産党の県委員会、もう対策本部を立ち上げて、私たちが着いたら2回目の申し入れの時でした。県の対策本部に行くところで、一緒に行ってほしいと言うことで行きました。

県の対策本部に行きましたら、もうごったがえしていました。で、出てきたのが議会議長、あうなり開口一番に言ったことは、「これまで共産党のみなさんから指摘されていた通りのことになってしまいました」と言って頭を下げたんですよね。共産党は毎回、質問していました。この3月にも共産党の県議が「津波の対策できているのか」と質問したばっかりです。ですからこの議会議長、いまでも「ちゃんと質問の趣旨を受けとめて真摯に対応して対策をとっていたら事故は避けられたんではないか」と。

私たちはそこから仙台に向かうわけです。はらはらしながら行ったんです。震度6とか7ですから。もう、県委員会の建物が壊れているんじゃないかと、なくなっているんじゃないかと思いながら着きました。そしたら、ちゃんと建ってたんですね。ひびは入っていましたけど。

そして玄関見たら張り紙していました。「水使えます。トイレも使えます。どうぞ」と。それからもうひとつ紙はっていたんですね。それは透析患者の方で、停電でもう全部病院使えませんから。「自家発電でやっている病院を紹介します」っていう張り紙。早い段階でありました。感動しましたね。さすがだなと思いました。

共産党自身もみんながどこで何をしているのかわからない、携帯もつながらない。ですから、海岸線の議員さんたちが元気なんだろうか、連絡がつかないままでした。安否確認しながらの救援活動だったんですね。それでひとりひとりと連絡がとれていって「大丈夫だった、大丈夫だった」と。どうしても通じない人がひとり、それが〇〇の〇〇さんでした。(残念ながらよく聞き取れませんでした)

波に飲まれたんではないかと思っていたら、3日目にようやく通じて、それで県委員会の人が、「ああ無事だったんだね。よかった。これからそちらに応援に行くけれども何かほしい物はないかと聞いたら「下着の着替えがほしい」と。

つまり着の身着のままでですね、無我夢中で救援活動に走り回ったんですね。もう泥だらけですよ。はたと気がついたらひどいことになっているということで着替えがほしいという話。私もこの話を聞いて、胸がいっぱいになりました。

いざと言う時にホントに投げ打って、被災者救援に走り回る姿を、これが共産党の姿、そういうことにこたえられる議員でなければならない、恥ずかしくない活動をこれからもしていこうと思いました。こういう姿が強く印象に残りましたし、全国で今も救援活動で組織あげて、ボランティアやいろんな取り組みをしています。

函館にも、地震の直後来て、街頭で訴えた時に、電車を降りる人たちがですね、電車の中から私たちの訴えを聞いていて、もうポケットに手を突っ込んでいるのが見えるんですよね。そして降りてすぐ募金してくれましたけども、その行動が函館では今もずっと続けているんですね。こういう党がホントに大きくなっていくと、日本の未来が開けるんでないかと。

たくさんの党がいまできていますよね。いま15ですかね。それで「にわか党」っていうんですかね。「にわか脱原発」とか、「にわか反TPP」だとか、「にわか消費税反対」とかいうのがいっぱいできていますけれど、やっぱりこういう人たちはいずれ変わると思うんです。かわらない、揺るがない日本共産党を伸ばすことが、今度の選挙ではホントに大事だと思いますし、8区でいえば、それを代表して代弁するのが、やっぱり高橋佳大さんひとりだということで、ぜひみなさんのお力添えお願いして今日の訴えとします。

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