2018年6月13日水曜日

ゴールデンカムイでアイヌ語学習①ウェンカムイ

『ゴールデンカムイ』、待望のアニメ化が実現し第10回まで放映されています。

このアニメ、日露戦争を体験した杉本とアイヌの少女アシパの冒険物語で、ストーリーの中には明治期の北海道のこと、アイヌの生活や文化や死生観なども紹介され、アイヌ語も出てきます。

作者の野田サトルさんはこの作品についてネットのインタビューで次のように発言しています。
やはり迫害や差別など、暗いイメージがついてまわりますし。でも、アイヌというテーマを明るくおもしろく描けば、人気が出るはずだと確信していました。取材でお会いしたアイヌの方からも言われたんですよ、「可哀想なアイヌなんてもう描かなくていい。強いアイヌを描いてくれ」と。

ここで「可哀そうなアイヌ」とはどういうことを言うのでしょうか。萱野茂さんの『アイヌの碑』という本があるのですが、ちょっと長くなりますが引用したいと思います。

罪人にされた父
ある日、長いぴかぴかの刀をさげた巡査(警官)が、わが家の板戸を開けて入ってきました。(中略)父は、平ぐものように板の間にひれ伏して「はい、行きます」と答えるのです。静かに上げた父の顔の両眼から、大粒の涙がぼろっぼろっと落ちました。(中略)
誰かが「監獄へ連れられて行く」と言ったとき、わたしは、監獄というのは、頭が天井につかえて、まっすぐ立ってはいられない、足を縮めていなければならない、小さな小さな部屋のことを言うのだな、などと漠然と考えたものです。(中略)私は、「行ってはだめーっ、行くんでないよー、お父つざあん、お父つざあん」とそのあとを追いかけました。追いつくと父のでっかい手にすがりつき、「だめだよ行ったら、おれたち何を食うのよ-」と泣きさけびました。追ってきたおとなたちが、わたしをつかまえて、「すぐ帰って来るのだから泣くんでない」といって、わたしより激しく泣いていました。(中略)わたしは道路に寝ころんで泣き叫びましたが、母や近所の人に背負われて家に連れ戻されました。
父は川を遡る時季に鮭を獲って逮捕されたわけですが、(中略)それで鮭を家族が食べる分だけ毎日獲ったからといって、鮭が減ることはないということをアイヌ自身は知っていました。そのころ鮭が減ったのはシャモの乱獲が原因なのです。シャモは自分たちがつくり出した原因をアイヌに責任を押しつけたわけです。(中略)
アイヌは自然の法則に従い、その知恵を上手に利用していました。アイヌは、鮭にかぎらず鹿でも熊でも何の動物でも、狩猟民族であったからこそ、それらを絶やさないような知恵と愛情をもっていたのです。
シャモが作った鮭の禁漁などという法律は、鮭をあてにして生活してきたアイヌにとっては「死ね」というような法律です。アイヌにとっては悪い法、まるで「まだ羽根の生えないひな鳥へ餌を運んでいる親鳥をなぐり殺すような」法律でした。 
「可哀そうなアイヌ」というのはこのようなことを言うのだと思いますが、「強いアイヌを描いてくれ」というリクエストに応えた作品だというので、私も『ゴールデンカムイ』を買い込んで楽しんでいるわけですし、テレビも楽しみにしているわけです。

見どころはたくさんあると思いますが、その中で私はアイヌ語を音声で聞くことでアイヌ語の勉強をすすめようと思っています。アイヌ語は私が住んでいる北海道で話されていた言語であるにもかかわらず、母語話者もほとんどいなくて、消滅の危機に瀕する言語とされています。

私は北海道のアイヌ語由来の地名から入って、3年ほど前から函館博物館のアイヌ語講座(1年に1度だけ)で学び始めて、今年からはSTVラジオのアイヌ語講座に取りかかっているところです。函館博物館の講座で学んだことはこちらです。アイヌ語を学び始めて

 さて第1回放映の「ウェンカムイ」では、アシパが話す単語くらいしかアイヌ語がでてこないのですが、見てみましょう。

マタカリプ
冬(マタ)になっても穴に入らずにうろついている(カリ)もの(プ)。アシリパは杉本に「冬ごもりしそこなって気が荒くなっている危険な熊だ」と説明しています。

ウェンカムイ
アシパが言うには「ヒグマは一度人間を殺すと罰として人間しか食えなくなる」とのこと。人間を恐れない凶暴で危険なウェンカムイ(悪い神)になると。「ウェン」が「悪い」。「カムイ」が「神」ですね。「ウェン」の反対がおなじみの「ピカ」です。

レタ
アシパと仲のいいエゾオオカミの名前。「白い」の意。

シサ
日本人。和人。

テイネポナモシ
「こいつは人を殺して食った。アイヌは人を殺した熊の肉は食わない。毛皮も取らない。悪い神となってテイネポナモシリという地獄に送られる」とアシリパは言います。分解するとテイネ=じめじめした、湿地の、ポナ=下の、裏の、モシリ=大地

私はアイヌ語についてはほとんど素人ですが、アイヌ民族博物館アイヌ語アーカイブというサイトが辞書になっていて調べることができます。

ちなみにアシパについては、アシ=新しい、パ=年となっていて、「新しい時代の女の子」というような意味になるのでしょうか。さきほどの「強いアイヌ」を象徴する主人公の一人と言えるかもしれません。

2018年6月12日火曜日

日本語と韓国語って言語感覚がすごく似ている① 熱いと厚い 뜨겁다と두껍다

日本語に「あつい」という言葉があります。「温度が著しく高く感じられる」という意味の時には「熱い」という漢字を当て、「物の両方の面の隔たりが大きい」という意味の時には「厚い」という漢字が当てられます。違う意味に同じ「あつい」という言葉を使うんですね。(でもアクセントがちょっと違うような気もしますが)

この2つの意味は英語では違う言葉を使いますね。「熱い」は「hot」ですし「厚い」は「thick」です。他の欧米語でも違う単語を使うようです。

さて韓国語なんですが、「熱い」は「뜨겁다」(ットゥゴプタ)、「厚い」は「두껍다」(トゥッコプタ)ですごく似ています。濃音の位置と母音がちょっと変化しただけです。

2つの事項に何か共通のものを見出し、似たような名前をつける、似たような言葉を使う、そういう言語感覚が日本語と韓国語は似ていると思うのです。

2018年6月11日月曜日

男性だと思っていたけど実は女性だった作家3人

図書館の本棚や書店の本棚。作家の名前順に本が並べられていることが多いのですが、自分が読んだことのある本はその中のほんの少しで、ほとんどの作家は名前は目にすることはあっても、どんな人かわかりません。時には男性と女性を間違ってイメージすることもあります。

この一年くらいの間で、私が男性だと思っていたけど実は女性だったという作家が三人いました。お詫びの気持ちでその作家さんたちの小説を一冊ずつ読みました。

桐野夏生『バラカ』、桜庭一樹『私の男』、高村薫『マークスの山』。

ところで私が最近小説を選ぶ基準は・・・こんな感じです。
1.小説の舞台(特に北海道が舞台のもの)
2.図書館、書店でタイトルを見て
3.好きな作家の別な小説を続けざまに
4.新聞の書評で興味が湧いたもの、特に作家インタビューなどを読んで

ちなみに桜庭一樹さんの『私の男』は奥尻島や紋別市が舞台になってます。

駒ヶ岳七変化

駒ヶ岳は、見る位置によってまったく形が変わる不思議な山です。それで昨年の秋、ドライブがてら駒ヶ岳を時計回りで1周してみました。その時の写真です。
駒ヶ岳の景気にオモテとウラはあるのか?




















2018年6月10日日曜日

映画『羊と鋼の森』を見て

宮下奈都さんの小説『羊と鋼の森』が映画化されるということを知って心待ちにしていたのですが、今日、シネマ太陽函館で見てきました。

『羊と鋼の森』というタイトルは、その言葉だけではよくわからないのですが、「鋼」というのはピアノ線のこと、「羊」というのは、そのピアノ線を叩くハンマーを覆っているフェルトのこと、「森」はその全体のことを指しています。この小説はそのピアノの音を整える調律師をめざし一人前になろうとする外村直樹青年(山﨑賢人)の成長物語です。

この作品はピアノの「音」の世界を描いていますが、「音」を文章だけで表現するということに挑戦していてすごいなあと思って読みました。今回映画化されて、舞台となっている北海道の旭川付近からの、大雪の山なみや森の風景の美しい映像にピアノの音が加わりすがすがしい見事な仕上がりになっています。

自分が通う学校のピアノを調律に来た板鳥さん(三浦友和)が鳴らすピアノの音に直樹は自分が育った田舎の森を渡る風の匂いを感じます。ピアノの音の違いを卵の茹で加減で説明する場面もあります。

板鳥さんはめざすピアノの音に原民喜の文体論まで登場させます。「明るく静かに澄んで懐しい文体、少しは甘えてゐるやうでありながら、きびしく深いものを湛へてゐる文体、夢のやうに美しいが現実のやうにたしかな文体……私はこんな文体に憧れてゐる」と。直樹はそれをメモにとります。

調律師の先輩で笑顔がホッとする柳さん(鈴木亮平)、ちょっととっつきにくい秋野さんとの交流、お客さんである引きこもりの青年、双子の姉妹との交流も見どころです。

『羊と鋼の森』もそうなんですが、音を描いたものとしては平野啓一郎さんの『マチネの終わりに』、絵画について描いたものとしては原田マハさんの『暗幕のゲルニカ』もお勧めです。いい小説をもっと読みたいし、いい映画をもっとみたいですね。

2018年6月8日金曜日

忘れることを嘆くよりも覚えていることがあることを喜ぼう

久しぶりの投稿です。母の介護のことについて思ったことです。

ひとつは介護のプロの人たちはすごいなあということ。
近所の人との約束を忘れてトラブったりで、一人暮らしの母の様子がなんか変だと思ったのが5年以上前。物忘れ外来に連れて行くにも、母の激しい抵抗が一年の長きに渡り、やっと私の妻がなだめて病院へ。受診の結果、認知症の初期段階と診断されました。ところが認知症テストにほとんど答えられなかったトラウマからか、その後も受診拒否が長く続きました。

昨年になって、物忘れだけでなくお風呂に入る手順とかもわからなくなり、生活もままならないので、病院はともかく介護保険の手続きだけは進めようと思ったのでした。母は「必要ないってば」の一点張りだったんですが。

地域包括支援センターの門を叩き相談。警戒する母でしたが「80歳以上の一人暮らしの年寄りを順番に訪問してるんだってよ」と説得。来てくれた相談員さんに「私は何でもできます」的に答える母。母の言葉をひとつも否定せずウンウン聞きながら、母を話しに引き込んで行くんですね。なんなく介護認定を受けることに。神ワザだ、俺は5年間何をやっていたんだ!と思ってしまいました。

デイサービスのお試し体験の時の若い職員も、ケアマネジャーさんも、みんな神ワザの持ち主でした。世の中がみんなこんな風にできたらいいのにと思いました。

もうひとつ、認知症と言っても、忘れる一方だけではないということです。

母は今では自分の言った先からほぼすべて忘れてしまいくらい症状が進んでいます。なので5回も10回も同じことを繰り返します。しかし忘れることは100%ではないんです。新しく覚えることもあります。デイサービスの連絡帳に「今日、パークゴルフでホールインワンしましたよ」と書いていたので、それを読んだ私の弟(弟はこの3月から母と一緒に住んでくれているのですが)が聞いてみると「打った球がどこに行ったのかないんだよ。そしたら、高橋さ~ん、入ってるよって言われてさあ」と。ずいぶん克明におぼえてるんです。

昨年秋、病院受診を再開した時のこと。撮影直後の脳の写真、「これが損傷してるところです」、女医さんが指し示しながら説明してくれた部位の広いことを考えると、どこにまだ記憶をしまい込むところがあるのかと不思議です。
忘れることを嘆くよりも覚えていることがまだあることをもっと喜んだがいいと最近は思っています。