2016年12月16日金曜日

北星余市高校教育相談会 わが娘もパネルディスカッションのパネラーに


12月14日付の「しんぶん赤旗」東北・北海道のページに「北星余市高校 存続へ運動続く 閉校の危機救え、地域住民ひとつに」という記事が載っていました。存続運動の一環として全国各地で教育相談会などが開催されていることが紹介されています。(存続の危機がない時でもやっていましたが・・・)


私の住んでいる函館では、10月22日に北星余市高校と函館のPTA(パドレスの会)の共催で行われ、卒業生でもある私の娘がパネルディスカッションのパネラーとして、自分の思いを語りました。親が言うのもなんですが、よくまとまったいい発言だったと思います。本人の了承を得たので、娘が書いた原稿を紹介したいと思います。

2016年12月15日木曜日

韓国ドラマでハングル学習(6)「ホグの愛」 多義語 쓰다 の役割

11月に受けた3度目のハングル検定3級は結果待ちです。9月10月にかけて今度は自分でも勉強した方だと思います。合否はまだわかりませんが、どちらにしてもギリギリかなと思っています。

久しぶりの「韓国ドラマでハングル学習」です。「ホグの愛」を見ました。心温まるストーリーでしかもハッピーエンド、心が洗われました。

さてドラマのストーリー展開で、韓国語の多義語というか、ひとつの単語なのに多くの意味を持っている言葉が小道具のように面白い役割を果たしているなあと思いました。

その単語は「쓰다」(スダ)という動詞で、辞書を引くと、①使う、②書く、③(帽子などを)かぶる、④苦い(この場合形容詞)となっています。

2016年10月21日金曜日

茂辺地川のサケ、「茂辺地」と「紋別」の地名の由来は同じ 

昨年(「茂辺地川のサケはサイコー」)につづき、今年も茂辺地川のサケを見てきました。

茂辺地川はあまり大きくない川なのでサケを近くで見ることができるので、数えきれないサケが遡上しているその姿が感動的です。この日(10月19日)は、観光客と思われる方々もタクシーに乗って見学に来ていました。


2016年10月12日水曜日

韓国ドラマでハングル学習(5)単語を覚える 「数える」は세다

またまた「2度目の二十歳」です。

ハ・ノラは田舎でおばあちゃんと二人っきりで暮らしていたのですが、どうしてもソウルの芸術高校でダンスをやりたくて、おばあちゃんに隠れて農家で牛糞運びのアルバイトをします。ノラはよろよろと猫車を押しますが転んで牛糞を浴びてしまいます。近くの川で身体を洗っているとおばあちゃんがあらわれ家に連れていかれます。そして大きなタライにいれられ髪を洗ってもらいます。ノラの気持ちを察したおばあちゃんは意を決していいます。

「서울 가자 ソウル ガジャ」(ソウルに行こう)

2016年10月9日日曜日

韓国ドラマでハングル学習(4)韓国語の敬語について

今日も「2度目の二十歳」から。

公証人役場?(法務事務所?)で、事実上の離婚を確認するノラとウチョル。建物の外に出て、せいせいした顔の夫のウチョルは、やっと宿題をひとつかたづけたという感じで、ノラを昼食に誘います。

ノラは「小腹がすいているときにお食べになっていたじゃないですか」。「授業があるんでしょ。車の中にソーセージがあるから途中で食べてくだい」と食事を断り、「もう行かれて」と言って、歩いて行ってしまいます。

そのやりとりの中で、ノラは「お食べになっていたじゃないですか」を「モグシジャナヨ」(먹으시잖아요)、「もう行かれて」の「行かれて」を「カショヨ」(가셔요)と言っています。

2016年10月8日土曜日

韓国ドラマでハングル学習(3)韓国語の連音化を考える

11月13日、3度目のハングル能力検定3級に挑戦します。今度はしっかり勉強してから受験しようと、NHKラジオ講座「レベルアップハングル」をノートをとりながら勉強しているところです。

ところが集中力が持続しないのです。すぐ飽きちゃて、「これも韓国語の勉強だ」と開き直ってドラマを見てしまうんですね。

最近では「2度目の二十歳」(두번째 스무살)が面白かったですね。このドラマの第1話でおもしろかったことをネタに「韓国語の連音化」について考えてみたいと思います。

2016年7月20日水曜日

『日本語を作った男 上田万年とその時代』を読んで

久々に分厚い本を読みました。500㌻を超える「日本語を作った男 上田万年とその時代」(山口謡司、集英社インターナショナル)です。

「日本語を作った?日本語なんてもともとあったじゃないか」と思ってしまいますが、明治期、日本語には標準語というものがなく、軍隊の中で隊長が「トツッギッ(突撃)!」と薩摩訛りで号令しても「今の号令、何のことか分かったかノ?」「ワダグス、分がんねがったもネ!」などと、井上ひさしが『國語元年』という戯曲で書いていたそうです。

明治時代はさらに、書き言葉と話し言葉が違っていて、おまけに仮名遣いも歴史的仮名遣いで書いた言葉と読みが一致しない状況だったんですね。

この本のタイトルに出てくる上田万年という男は、あまり知られていない人ですが、日本における言語学の草分け的な人で、言文一致の日本語を作ろうとした人物です。

この本は、だからといって上田万年の生涯や思想だけを書いているわけではなく、「日本語」に関わることをテーマに明治の日本の歴史を書いた大作といっていいかと思います。

仮名遣いをふくむ標準的な日本語が実現するのは結局は戦後に持ち越されるわけですが、石田万年という男は、言文一致の日本語、発音通りに表記する日本語をめざしていたとのこと。万年と同じ方向で文章を書いたのが夏目漱石で、言文一致の日本語に反対したのが森鴎外だったそうです。

2016年7月2日土曜日

函館市議会の議員定数について

函館市議会第2回定例会で、市議会議員の定数を5名減らすことが議会運営委員会で話し合われ、結論をみなかったことが新聞に載っていました。議員定数についてどう考えたらいいのか、以前、私が議員定数削減案に対して質疑した会議録を紹介します。

この質疑が終わったあとの採決で議員定数削減が決まりましたが、採決のあと、削減に賛成した議員2-3人から、「佳大さんの言っている通りですね。反対すべきだったかもしれませんね」とか「ヤジを言ってすみませんでした」とか声がかかりました。以下、私の質疑の大要です。

2016年6月26日日曜日

脱脂粉乳給食のあれこれ 「こども新聞」と「おもひでぽろぽろ」と「綱領教室」

毎週土曜日北海道新聞に折り込んでとどく「道新こども新聞 週刊まなぶん」に学校給食と脱脂粉乳のことが出ていました。
終戦の翌年の1946年、外国から援助された脱脂粉乳や缶詰を使った給食が始まりました。脱脂粉乳は牛乳から脂肪を抜いて粉にしたものです。これをお湯にとかして飲むのが、大切な栄養源でした。
50年代半ばには、牛乳にパンとおかずがつきました。戦後はアメリカから援助される小麦粉がたよりだったので、主食はパン。正式にご飯を使えるようになったのは76年からです。


2016年5月20日金曜日

柳広司『象は忘れない』を読んで


最近、「小説っていいなあ」と思ったのは、桜木紫乃の短編集『起終点駅』と柳広司の『象は忘れない』。これも短編集です。短編だけど連作のようになっていて、いずれも3・11の原発事故をテーマにしており、胸に迫ってくるものがありました。

本のタイトル『象は忘れない』は、内容とまったく関係がないようですが、英語のことわざからとっているそうです。「象は非常に記憶力が良く、自分の身に起きたことは決して忘れない」という意味とのこと。

ひとつひとつの作品のタイトルも内容との関係が私にはわからないのですが、「道成寺」「黒塚」「卒塔婆小町」「善知鳥」「俊寛」のタイトルは能楽の謡本からきているとのこと。

これらのことは、「しんぶん赤旗日曜版」4月10日号のインタビュー記事を読んで知りました。

この記事はよくできているので、もう少し引用してみたいとおもいます。

2016年4月17日日曜日

「貧しい若者の命を戦争で消耗する」 布施祐仁『経済的徴兵制』(集英社新書) 学習ノート

布施祐仁『経済的徴兵制』(集英社新書)を読んでわかったこと

1.「経済的徴兵制」というのは、「徴兵制」のあり方のひとつではなくて、貧乏ゆえに軍隊に志願せざるをえない「志願制」の別名だということ
序章「経済的徴兵制」の構図 「貧弱の命を「消耗」する戦争」から
「経済的な利点を餌にしてリクルートするのは、民間企業でも普通にやっていることでは?」と思う人はいるかもしれない。

2016年2月25日木曜日

やったあ 「生きる 劉連仁の物語」の著者 森越智子さんが来てくれる

今日は嬉しいことがありました。北海道学校図書館協会の平成27年度冬休み推薦図書(小学生高学年)にもなっている「生きる 劉連仁の物語」。その著者である函館在住の森越智子さんが、「(函館)赤川・北美原・石川地域9条の会」の起ち上げのあつまりに講演者として来てくれることになりました。

私たち仲間内で、「戦争法が通ってしまい自分で何ができるか考えているんだ」「地域で9条の会をつくりたいねえ」、「起ち上げの時に『生きる 劉連仁の物語』を書いた森越智子が来てくれたらなあ」なんて話していたんですが、ホントになっちゃった。

本の裏表紙にはこんな説明が書いています。
おれたちを踏みにじった人間たちに、この償いをさせなければならない。戦争がどれほど根こそぎ人間らしさを奪いつくすのか、子どもたちに伝えなければならない。
何としてもおれは生き延びよう。生き延びてさえいれば、いつの日か故郷へ帰れる日が必ず来る。
奪われ続けてきたおれの生きる意味を、生きて、生き抜くことで取り戻すのだ。
――1944年9月、日本軍により中国から連れ去られた劉連仁。過酷な炭鉱労働から逃亡し北海道の山中で13年間生き抜いた。奪われた人としての尊厳をとり戻すための孤独な闘いの物語。

森越智子さんとランチをしながら、「少ない人数でも来てください。謝礼もなしでお願いします」と図々しいお願い。彼女は「加害の歴史も子どもたちに伝えたい」と何度も繰り返し、快諾してくれました。日時も決まりました。4月16日(土)14時。詳しくはまた報告します。

2016年2月23日火曜日

知内町のあれこれ、花井やすこさん応援記④

木古内町から知内町に行くには、木古内から津軽海峡に沿って国道228号線を南下するのですが、知内町の街中を過ぎると突然西に進路をかえ山道に入っていきます。知内町小谷石と福島町岩部の間に道路がないからです。難所なんですね。西に曲がるときれいな山の景色が目に飛び込んできます。



この山々が何という山なのかぜひ知りたいところですが、地図を見ても私にはよくわかりませんでした。前から感じていたのですが、雪をかぶった山の景色はグッと立体化して美しいのです。

山々が美しく見えるこのあたりをもう少し進むと花井やすこさんの住む湯の里です。ではまた。

知内町のあれこれ、花井やすこさん応援記③

今日も知内町へ。路面の状態もよく、行き帰りの景色を楽しむことができました。

さて、木古内町と知内町の境にこんなものが建っています。「建有川寨門(たてありがわさいもん)跡」と書かれています。


拡大するとこんな感じです。どんなことが書かれているでしょうか。書き写すのは大変なので、知内町のホームページに書かれていることをそのまんま紹介します。


建有川寨門
現在も、木古内町との境界は一部、建有川になっていますが、松前藩の頃までは川の流れそのものが境界だったようです。ところが、蛇行する川の流域は、雨が降るたびに変わり境界がはっきりしないと言う不便さがありました。その為、これに因って紛争が起きないように安政3年(1856)正月に両村で取り交わした約束が、この書簡です。内容は、「例え降雨で川の流れがどの様に変わっても、お互い文句は言わない。」というもので、知内村の名主豊吉、年寄八右衛門、百姓代吉兵衛、梅吉の署名があります。
ここまでだけなら、川の2つ村境となっている川は氾濫をおこすので、それに代えて境界柱を建てたというだけの話ですが、単なる村境ではなかったんですね。
ところで、その頃幕府は蝦夷周辺へのロシヤの進出もあって、北辺警備のため安政2年蝦夷地を松前藩から取り上げ直轄統治とし、箱館奉行所を置いていますこの時、知内から乙部までの間だけは松前領として残し、他は全て幕府直轄としました松前領と幕府直轄地の接点になった建有川には警備のため寨門(砦)が設けられ、木古内側に箱館奉行所の番所、知内側に松前藩の番所があって通行人の手形、荷物の検査をしたと言われています。先の「為取替申境一札之事」はこの時、幕府領と松前領の境を明確にするために取り決めさせたものと思われています
単なる村境ではなく、幕府領と松前領の境だったんですね。興味深いです。

さてこの横には知内特産「ニラ」の看板がありました。


こんなことを楽しみながら花井やすこさんのところに向かうのです。

2016年2月17日水曜日

知内町のあれこれ、花井やすこさん応援記② 白い闇の恐怖

今日も、花井やすこさん応援のため知内町に行ってきました。3日目です。花井さんといっしょに活動するのは楽しいのですが、一番大変なのは、往復130キロの雪道の運転です。函館から函館・江差自動車道に乗り、北斗市茂辺地で降りて、そこから国道228号線を走ります。

私はもともと雪道の運転が苦手なので、冬は函館市内でしか車には乗りませんが、選挙に勝つためにはそんなことをいってられません。

雪道のスリップの危険もそうなのですが、今日は、真っ白な道路、両サイドの真っ白な雪、景色の雪が、振ってくる雪と風が舞い上げる雪煙のせいであわいを失い、形容矛盾なのですが白い闇状態で、それはそれは怖い体験をしました。これがホワイトアウトっていうやつなんですね。

さて今日の活動ですが、花井やすこさんはインフルエンザの病み上がりですのでならし運転の活動です。地元の地域を訪問し、自分の政策やプロフィールが載ったチラシを配布しながら署名のお願い。こんな感じです。


ところで花井やすこさんは、この地、知内町の湯の里地域の小中学校に通いました。一緒に訪問すると、地元のみなさんから「やすこちゃん」「やすこちゃん」と呼ばれています。

高校はお隣の町の木古内高校を卒業後、道職員となりました。数年前におかあさんの介護のために知内にもどりました。実は夫の悠明(ひろあき)さんとは、木古内高校1年生、2年生の時の同級生。そのせいかどうか、二人の会話を聞いていてわかったのですが、おたがいを「ひろあき」「やすこ」とファーストネームで呼んでいるのが、なんともほほえましいのです。


今日はこれくらいにします。ではまた―。

2016年2月15日月曜日

知内町のあれこれ、花井やすこさん応援記①

フェイスブックでは書いてきたんですが、北海道知内町議会議員選挙が3月27日投開票で行われます。

この選挙に、花井やすこさんが立候補を表明しています。日本共産党の議席が空白なので、ぜひ当選してほしいと私も微力ながら応援に通いはじめました。

函館から津軽海峡に沿って西南へ、北斗市、木古内町を過ぎると、知内町です。さらに車を走らせ、福島町に近い地域、湯の里が花井やすこさんの住んでいるところ。

知内川にかかる萩茶里(はぎちゃり)橋のたもとに3つの看板。ひとつはこれです。


「チリ・オチ(鳥居る処)。知内(川、村 しりうち)の原名。この川の近傍、鷹のなるを以てこの名あり。」と書かれています。


2つ目の看板は橋の名。萩茶里は湯の里の元の地域名です。


そして、ここは青函トンネルの出口になっています。今日も雪の中、大きなカメラを構えた人が立ってました。

そしてこの橋を越えると湯の里地域です。今日はここまで、ではまた。

2016年2月13日土曜日

韓国ドラマでハングル学習(2)韓国時代劇 王子と世子と元子

韓国の時代劇、チャングム、トンイ、イサン・・・あと何だっけ、あ、そうそう、馬医、奇皇后、太陽を抱く月とかが私の見た番組ですが、時代劇を見ていると王様の子どもが生まれるシーンがあります。

王様の子どもは王子(왕자 ワンジャ)ですね。そして王子の中で王位を継ぐことになっているのが世子(세자セジャ)です。ところが「チャン・オクチョン」を見ていたらもうひとつ元子(원자 ウォンジャ)というのが出てきました。話の流れを見ていると、世子の一歩手前という感じです。

王の側室であるオクチョン(キム・テヒ)が王の子どもを産み、そのお祝いにイニョン王妃が訪ねてきます。そして「王子を抱かせてくれ」と。これに答えてオクチョン「元子をですか」と。私の子どもはただの王子じゃない、元子だと王妃を刺激するわけです。

王子と元子、ワンジャとウォンジャなので、同じく聞こえてしまいますが、大きな違いがあるのです。ちなみに辞書で「元子(원자)」を引くと、「原子」しか出てきませんでしたが・・・。

話はちょっとそれましたが、イサンは世子ではなくて、世孫(세손 セソン)でしたね。

韓国語の辞書の引き方は日本語と似ている

私も、一応ハングル能力検定3級をめざしているので、韓国ドラマを見るときは、手元に辞書をおいています。

ハングル・韓国語の辞書の引き方なんですが、これが日本語の辞書の引き方と似ているのです。日本語の場合は、50音順、つまり「あいうえお」と「あかさたな」の組み合わせで辞書を引きます。

ハングルは「あいうえお」にあたるのが「アヤオヨオヨウユウイ」です。ちなみに最初の「オヨ(ㅓㅕ」とうしろの「オヨㅗㅛ」は、私には同じく聞こえますが違う音です。同じく最初の「ウㅜ」とうしろの「ウㅡ」も違う音。韓国語の「エ」の音は、二重母音であらわします。2種類(ㅐとㅔ)あります。

次に「あかさたな」は、韓国語では配列が違って、「カナダラマパサ」の順になっています。でも辞書の引き方は似たような感じです。母音の数と二重母音、子音終わりの語もあるので、ハングル・韓国語の方がややこしいかも。

韓国ドラマでハングル学習(1)イケメンは花美男?

昨年、ケーブルテレビの多チャンネル契約をしました。たくさんの番組から選べるので、あれもこれもと録画予約してしまいます。アッという間に録画用のハードディスクがいっぱいになり、番組を見ては消去するの繰り返しで忙しくなります。そのせいで自分で決めた読書も運動もなかなか進まなくて困っています。

さて、これは「となりの美男(イケメン)」のタイトル画面。ハングル表記は「이웃집 꽃미남」となっています。辞書を引くと「이웃(イウッ)」は「隣」、「집(チプ:プは口の構えだけで破裂させない)」は「家」です。「イウッチプ」で「隣の家、おとなりさん」という感じでしょうか」。「꽃(コッ)」は「花」、「미남(ミナム)」は「美男」、つづけると「花美男」、つづけると「꽃(コッ)のパッチム(子音)が鼻音化するので「コンミナン」と発音しているようです。イケメンは韓国では「花美男」っていうんですね。



さて「となりのイケメンの今回のタイトル「注意 前方にトンネルあり」ですが、これは意訳のようです。「전방에 터널 위험 구간」と書いていますね。「전방에(チョンバンエ)」が「前方に」、「터널(トノル)」は「トンネル」でしょう。「위험(ウィホム)」は辞書を引いてみました。「위(ウィ)」は「危」、「험(ホム)」は「険」、あわせて「危険」、日本語の漢字読みとずいぶん違います。「구간(クガン)」はおそらく「区間」でしょう。

「注意 前方にトンネルあり」は「前方にトンネル 危険区間」というのが直訳ですね。



2016年1月29日金曜日

トク・ピシン語という名のクレオール 黒田龍之介「ことばは変わる」を読んで③ 

またまた黒田龍之介「ことばは変わる」についてです。「トク・ピシン語」というクレオールが紹介されています。

「トク」はtalkが起源とのこと。トク・ピシン語は、パプアニューギニアで総人口の約30パーセントにあたる100万人によって使われる共通語。

公用語は英語ですが、トク・ピシン語は議会、政府の機関誌、ラジオ放送などで広く使われているとのこと。名称こそ「ピシン」だが、これはまぎれもなくクレオールだと。

トク・ピシン語が形成される経緯については、注目されているのは説は、1910年代初頭にサモアのプランテーシヨンで働いていたニューギニア人が持ち帰った言語がもとになっているという説。本国に戻った彼らは広い社会の豊富な経験の持ち主として村人から尊敬された。700以上の多言語社会において、威信を持つ言語としての地位を確立するに至ったとのこと。

『入門ことばの科学』より、トク・ピシン語の例が紹介されています。すごくおもしろいんです。

A :E, wantok, yu go we?
B: Mi go long Boroko.
A :Bilong wanem?
B: Mi go bilong kisim mani long beng.

トク・ピシン語は英語が基盤。goは「行く」 だ。しかしweとかlongなど、英単語の知識で考えても分からない語彙も多いのです。

A :E, wantok, yu go we?
はじめのEは、英語のHiに相当、呼びかけの表現。wantokは「友だち」のこと。これはonetalk、つまり「同じ言語を話す人」というところから来ています。yuyou、wewhere。全体で「やあ、友だち、どこ行くの?」

B: Mi go long Boroko.
Miは「わたし」のことで、meから来ている。longはいろんな機能を持つ前置詞で、alongが起源らしい。ここでは「~ヘ」。Borokoは地名。「わたしはボロコヘ行くんだよ」

A :Bilong wanem?
これはまとめて「どうして?」という意味。bilongは英語のofに相当、ここでは理由を示しています。wanemwhat nameから。「どのような名前によって」が「どうして」になるわけだ。

B: Mi go bilong kisim mani long beng.
Migobilonglongは説明済み。kisimは「受け取る」で、catch’emから。最後のbengbankでmanimoney。「お金を受け取るために銀行ヘ行くんだよ」。まるでパズルのよう。

トク・ピシン語の特徴

発音は二重母音や長母音が短く単音化(paper→pepa)
語末音の省略→handがhan

語彙は個々の語の意味範囲が広くなる。hanはhandのほかにarm,sleeve, branchといった意味も持つ。

復合語を形成すると表現が広がる
hausはhouse「家」だが、複合語haus pepa「紙の家」が「オフィス」、haus sik(<sick)が「病院」、haus dring(<drink)は「ホテル」

文法、英語やフランス語にあるような時制、法相、人称、性、数による形態の変化は、ほとんどしない。

新しい文法要素・・・トク・ピシン語では3人称に限り「主語と述語の間に、述語辞iと呼ばれる文法要素がある。「わたしは心配している」はMi wari.であり、「君は心配している」はYu wari.なのだが、「彼は心配している」はEm i wari.のように主語emと述語wariの聞にiが入るのである。これはメラネシアの諸言語の影響らしい。emは「彼」と「彼女」の両方を表すという。

韓国バンブー英語 黒田龍之介「ことばは変わる」を読んで②

黒田龍之介「ことばは変わる」を読んで、言語の接触によって生まれるピジンやクレオールについて前の投稿で書きましたが、ピジンの例として「韓国バンブー英語」というのが引用・紹介されています。
Taksan years ago, skoshi Cinderella-san lived in hootchie with sisters, poor little Cinderella-san ketchee no fun, have no social life. Always washee-washee, scrubee-scrubee, make chop-chop.
このピジンには「韓国バンプー英語 Korean Bamboo English」という名称がつけられている。これは1950年代の朝鮮戦争の頃、アメリカ兵と韓国人の間で使われたという。ここに挙がっている例は、アメリカ兵が語ったものである。
内容は、「シンデレラ物語」。朝鮮戦争の頃にアメリカ兵と韓国人の間で、どうして「シンデレラ物語」が語られたのか、そしてそれがどうして記録されたのか、いろいろ不思議である。
全体的には英語が基盤になっている。語順はSVOであり、前置詞も使われている。yearsやsistersでは、複数を示すsがきちんとついている。
だが語彙は韓国語というより、日本語がたくさん混ざってるところが注目である。つまり、アメリカ人が韓国人相手に日本語を混ぜたピジンを使っているわけだ。このアメリカ兵は日本に滞在した経験があるらしい。
日本語を知っているのは語り手だけではないはず。この話を聴いている韓国人もまた、日本語の語彙が分かることが前提でなければおかしい。アメリカ人と韓国人が日本語混じりのピジンを使っているとは、なんともユニークな光景である。
なかには分かりにくい語彙もある。hootchieは「うち」つまり「家」のことであろう。ketchee はcatch 、washee はwash、scrubeeはscrubだから「ゴシゴシこする」 という意味らしい。それを繰り返しているのは、その動作の反復を表すためである。chop-chop「切り刻む」も同じ。
Cinderellasanがついているのも面白い。日本語の「さん」 であり、名前に付ける敬称。そのCinderella-sanskoshiが付いている。これは「小さい」「幼い」というつもりなのであろう。少ない語彙に多くの意味を持たせている例に違いない。
不思議なピシンだ。アメリカ人ならふつうの英語でこれを語ることも充分できるはずである。それなのにわざわざ、こういう風変わりなことば遣いをする。これはひとえに、相手に分かってもらうためではないか。人はこんなにも、コミュニケーションに対する意欲が強い。
要約というよりもほとんど引用になりましたが、ピジンとはどういうものなのか、面白く理解できました。

「政府지침 撤回 측구 民主労総 緊急記者会見」 ハングルの横断幕に挑戦

労働団体の横断幕のハングルです。挑戦してみます。


「정부지침 철회 측구 민주노총 긴급기자회견と書かれていますね。
私にわかるのは、真ん中あたりに「민주....」とあるのは「民主」、
最後の単語が「緊急記者会見」でしょうか。自信はありませんが。

これだけでは意味がわからないので、辞書を引きます。
まず「정부지침」ですが、これは私の辞書には出ていません。
頭の方の「정부」も出ていません。
「정」は「チョン(ジョン)」で、この文字を含む単語を見ると「情」「定」「停」「庭」「正」「程」「整」「精」「政」ですが、結局わかりません。

わからないのはそのままにして次に行きます。
「철회」も辞書に出ていません。
「측구」も辞書に出ていない。ちょっと綴りが違う「축구」なら「サッカー」なんだけど。
「민주노총」の「노총」もわからず。
「긴급기자회견」は「緊急記者会見」でよさそうです。

わかったところは日本語で、わからないところはそのままハングルで書くと
「정부지침 철회 측구 民主노총 緊急記者会見」です。

この横断幕はこの写真の一部です。


この写真と説明にヒントはないか?
ありました、ありました。
「政府」と「民主労総」です。
정부(チョンブ)」は「政府」。
「労働」は「노동(ノドン)」で、「総務」は「총무(チョンム)」、「労働」の「労」と「総務」の「総」を合わせると「노총」、「民主労総」で間違いありませんね。

漢字の読みで、日本語で「ら行」読む漢字は、韓国語では「な行」で読むものがある多いようです。

「政府지침 철회 측구 民主労総 緊急記者会見」。やっとここまでわかりました。

この写真は、こんな記事の一部です。「しんぶん赤旗」1月26日付の記事です。
ここにヒントはないかなあ。


ヒントは見つかりませんでした。
再度辞書を引くと、「지침(チチム)」は「지치다(チチダ)疲れ果てる、くたびれる」の名詞形かなとも思いますが、うまくいきません。

もう一度「철회」に戻ります。うしろの「회(フェ)」は、「회사 (フェサ)会社」の「会」ということはわかりますが、他に読み方はないか? ありました。「回」とか「灰」も「회」です。前の「절」は「鉄」というのは知っているけど、他にないか。これもありました。「哲」や「撤」。
わかりました。となると「撤回」、記事の内容に合いそうです。これで行こう。

「政府지침 撤回 측구 民主労総 緊急記者会見」
はいここまで、これがわたしの実力ですね。

2016年1月27日水曜日

フランス語は下品か? クレオールについて 黒田龍之介「ことばは変わる」を読んで①

黒田龍之介「ことばは変わる」(白水社)を、その中でも特に、言語の接触によって生れるピジンやクレオールのことについて、「なるほど、なるほど」と頷きながら面白く読みました。要約みたいになりますが、書いてみたいと思います。

複数の言語の交流によって生まれるその場しのぎのコミュニケーションを「ピジン」という
複数の言語が交流するようになると「上下関係」が生まれることがある。そうなればゆくゆくは一方が痕跡を残すだけで消滅してしまう。
しかし、そうばかりとも限らない。お互いに歩み寄って、両者が新しいことばを作るという方法だって考えられる。ピジンの始まりはここにある。
ピジンとは、接触する複数の言語のそれぞれから語彙や文法を採る入れて、ことばが通じない人たちの聞でコミュニケーションをとるために作られる、一種の「共通語」。その際、一分はある言語に近く、別の部分はほかの言語に近いというようなことが起きる。
ピジンが生まれるのは、必要に迫られたとき。とにかくその場がしのげればいい。発音とか文法とか、細かいことにこだわっている場合ではない。
ピジンは一般に語彙数が少ない。その代わり、1つの語に多くの意味や機能を持たせる。これを駆使することによってさまざまな事柄を表現するわけである。
母語となったピジンがクレオール
ピジンは基本的にその場しのぎの即席なものである。しかし、はじめはその場しのぎにすぎなかったピジンが、いつしか共通語として、だんだんと定着していく。長期間にわたって絶えず接触していけば、そのピジンは社会全体で共有されることにもなりうる。
社会全体で使っていれば、ついにはその混成言語しか使わない子どもだって現われる。子どもがみんなの使っていることばを身につけるのは、自然なことである。このように、ピジンが母語の状態になったものを、クレオールという。
クレオールはピジンに比べて、使用目的が広がる。なんといっても、母語になっているのだ。その分、語彙も豊富になり、文法だって複雑になる。もはや「その場しのぎ」ではない。
このピジンやクレオールに、なにか共通する傾向はあるのか。まず、基盤となる言語に比べて単純化されている。だが、それはそれで独自の体系を築いていることを忘れてはならない。
クレオールの評価
クレオールが形成されるまでには、その歴史的背景のため、長年「崩れた」「堕落した」「下品な」ことばという評価を受けてきた。「正しい」「純粋な」言語を好む人たちにとって、クレオールはむしろ撲滅の対象なのかもしれない。だが、今では有力言語となっているが、かつてはクレオールだったという例もある。
たとえばスワヒリ語で、タンザニア、ケニア、ウガンダなど、東アフリカで広く話されるこの言語。アフリカといえばスワヒリ語というくらい、イメージとして定着しているようだ。もちろん、アフリカ大陸全体をカバーするわけではない。
そのスワヒリ語は8世紀期の東アフリカで、アラビア語を話す商人とバンツー諸語の話者との接触により住まれた言語であるという。つまりはクレオール。
フランス語もクレオールだという考え方がある。フランス語は、ガリア語の上にラテン語が乗っかるようにして形成された。ガリア語とラテン語の間には「上下関係」ができて、ガリア語はラテン語に呑みこまれてしまう形になったが、ー部にはガリア語の痕跡も残っているし、複数の言語が接触して新しい言語が出来たことには違いない。それならクレオールではないか、というわけだ。
言語接触によって生まれたフランス語に対して、「崩れた」 「墜落した」「下品な」 という意見は聞かない。そう、フランス語は崩れていないし、堕落してもいないし、下品でもない。同様にスワヒリ語だってそうである。
言語はそれを使っている人にとって、かけがえのないものである。それに対して「崩れた」 「堕落した」といった評価を下す、その心が怖ろしい。ピジン・クレオーノレに対する偏見は、すでに完全に過去のものである。万がー、いまだに偏見を持っている人がいるとすれば、その人は言語について何も語る資格がない。
要約というか、抜粋になってしまいましたが、「フランス語は下品か?」というタイトルをつけたのも、言語に「ダメな言語」という烙印を押すのなら、フランス語だってクレオールなんだから「ダメな言語」ということになってしまうよというところが一番心に残ったからです。

さて、私は言語についてはまったくの素人なので、好きなことを書いちゃいますが、日本語ってクレオールではないのかな?

2016年1月20日水曜日

「命(ぬち)かじり頑張りましょうね」と翁長沖縄知事が応援

米軍普天間基地問題が最大の争点となっている沖縄県宜野湾市長選挙がたたかわれています。「移設条件なしの返還」を掲げるシムラ恵一郎候補を応援して、翁長雄志沖縄県知事が言いました。「命(ぬち)かじり頑張りましょうね」。「命をかけて」との翁長知事の決意にただただ感動しています。

さてここからは言葉の話になります。

ジブリ作品「おもひでぽろぽろ」のタイトルはなぜ旧仮名づかいなのだろう

テレビで「おもひでぽろぽろ」を見ました。2回目です。以前見たのはかなり前。

主人公タエ子は1955年生まれ。舞台は1982年の山形の農村。タエ子27歳。そしてタエ子小学校5年生の時の思い出、1965年。

小学5年生の時の忘れられない思い出。それは27歳のタエ子の人生にいまだ重い宿題を課しています。タエ子は山形に出かけます。そしてその宿題を現地の若者の力も借りて解いていくというお話です。堅苦しく言えばそういうことではないかと。

タエ子は年齢的に言えば、私の4つ上のお姉さん、世代的には私と同じです。このアニメに出てくる思い出も私の思い出と重なります。というかタエ子は私自身のような気がしてきます。

給食の脱脂粉乳のこと、バナナやパイナップルが高価だったこと、学芸会のセリフ、学級会の様子、週番、ひょっこりひょうたん島、あげればきりがないのですが・・・、あの風景も、生徒の思いも自分自身なのです。

さて「おもひでぽろぽろ」の「おもひで」が旧仮名づかいで書かれているのはなぜかということですが、タエ子にとっては、そんじょそこらの思い出とは違う重さがあるんですね。その重さの表現が「おもひで」なんです。旧仮名づかい表記をこのように使うことを思いつくなんてすごいと思いました。

追記
「ととろ」に出てくる「さつき」や「めい」も私のおねえさん世代だと思いますが私も子どもたちや孫のひまりと一緒に何十回もみました。

ちびまる子の「まる子」は、妹の世代かな。よくわかります。時代がわからない「サザエさん」よりまる子の方が好きです。

2016年1月19日火曜日

日本語では「ちゃん」、韓国語では「アー」「ヤー」、中国語では「小」?スペイン語では?

台湾の総統選挙で民進党の蔡英文主席が勝利し、台湾史上初の女性総統になります。今後の台中関係がどうなるのか注目されているようです。それはさておき-。

蔡英文氏の愛称は「小英」。新聞では「英ちゃん」と日本語訳?がついていました。中国語では名前の頭に「小」をつけて、愛称をつくるんですね。

韓国ドラマ「イ・サン」を見ていた娘が、「おとうさん、テスの名前のうしろにつくヤーってなに?」と。テスの名前のうしろに「ヤー」をつけて「テスヤー」で、親しみを込めた呼びかけの言葉になります。日本語の「ちゃん」と同じですね。

韓国ドラマブームをつくった「冬のソナタ」の登場人物は「ユジン」と「チュンサン」ですが、親しみを込めて呼ぶとき「ユジナー」「チュンサンアー(私にはチュンサガーと聞こえます)」です。

ミニョンが目を覚ましユジンに対し、それまで「ユジンシ」ーではなく「ユジナー」と呼びシーンが印象的でした。ちなみにサンヒョクは「サンヒョガー」ですね。

スペイン語では「〇〇イータ」「〇〇イート」とかを後ろにつけると日本語の「〇〇ちゃん」みたくなるのですよね。

朝起きると雪がどっさり積もっていた 函館の除雪について考えてみた

冬休みも終わり今日から3学期がはじまりました。
しかし函館は、きのうから降り続いた湿った雪がどっさり積もり朝から大変です。
妻も娘も車に積もった雪を降ろし「渋滞に巻き込まれたら遅刻する」と、いつもより早く家を出ました。そして私は雪かきです。


私はブログをはじめて6年以上経ちます。私の投稿を読んでくれる方はそんなに多くはなく、1投稿で100人を越えれば多い方です。ところが私が函館市の除雪について書いた2つの投稿は、あわせて1700人のアクセスになっています。

いかに除雪が切実なことなのかを、その時、つくづく思い知りました。そして私の5年、6年前の投稿へのアクセスが、他のどの投稿よりもアクセスが多かったのは驚きでした。
ドカ雪の函館 除雪体制について
ドカ雪の函館 除雪体制について②

私は現在現職議員ではないので議会で取り上げることはかないませんが、仲間の議員に取り上げてもらいたいと考えています。

2016年1月17日日曜日

三権分立の読み方は「ブンリツ」か?「ブンリュウ」か? 

「三権分立」とは、国家権力を司法・立法・行政の三権に分けて独立の機関に委ね、権力の濫用を防止する原理というところでしょうか。

「三権分立」―この言葉は高校の社会科の授業でも出ていたのですが、その時は「サンケンブンリツ」って習いました。大学に入って法学部に籍を置き、ほとんど授業には出ませんでしたが、それでもたまに講義に出ると、教官は「サンケンブンリュウ」って言ってましたね。

「立」を「リュウ」と読むのは、「建立」(コンリュウ)、「立米」(リュウベイ)しか知りませんでした。「そうか、法律の専門家は『ブンリュウ』って読むのかあ」と、大人になった気分で、「ブンリュウ」がオシャレに耳に響いたものでした。

最近ちょっと憲法の勉強をしていて、この「三権分立」がでてきて当時を思い出したのですが、いま演説で「サンケンブンリュウ」なんていうと、「知ったかぶりをするんじゃない」と石を投げられるかなあと、そんな鼻持ちならない読み方のような気もします。

「ブンリツ」「ブンリュウ」、どちらが正しいかということではないし、どうでもいいことですが、書いてみたくなりました。

2016年1月16日土曜日

連綿体、続け字、筆記体・・・のよさはどこにあるのか? 表語性の獲得

平安の時代は活字というものがなかったため、源氏物語も枕草子も印刷ではなく写本で普及されたそうです。写本では濁点も句読点も使われてないとのこと。う~ん、読みにくそうです。それでも読むのに困らなかったそうです。

枕草子の初段のある写本は次のように書かれています。
春はあけほのやうやうしろくなりゆく山きはすこしあかりてむらさきたちたる雲のほそくたなひきたる夏はよる・・・
※「やうやう」は「やう」は、踊り字と言って縦書きだと「〱」という文字ですが、横書きではうまく入力できませんでした。
やっぱり読みにくいですね。昔の人が苦も無くよめたのは、「連綿体」で書かれていたからです。続け字です。一語と考えられる一まとまりは文字と文字とが切られないで連続して書かれていること(連綿)、語句と語句のあいだが切りはなされていること(分かち書き)で読みやすくなっているのだそうです。

語句を他の語句とは別に表示することを表語性というのだそうですが、昔の日本語は連綿によって、表語性を獲得していたんですね。

ここで思い出すのは、英語の筆記体です。中学一年生ではじめて英語を習った時、先生はいきなり筆記体で板書したものです。ですから生徒たちはみんな筆記体を覚えたのです。ノートも筆記体。筆記体も連綿の一種なんですね。

そうなると、以前のブログで書いたことお詫びしなければなりません。だれに?そうアラビア文字にです。こんなことを書いちゃったんです。
韓国語の表記はハングルという固有の文字を使いますが慣れるまでちょっと手こずります。アラビア語も固有のアラビア文字があります。私はハングルは慣れたのですが、アラビア文字は続け字になっていてとっつきにくく入り口で学習がストップしています。→ アイヌ語を学び始めて
アラビア語は活字体=筆記体なんでしょうか。これも連綿なんですね。続け字だけど一語がまとまっていると考えればいい、とっつきにくいなんて言ってちゃだめですね。

さて、現代では日本語もあまり連綿で書かないのですが、表語性は「漢字かな交じり文」によって獲得されているそうです。

話はそれますが、私は日本語の視覚的表語性は抜群だと思っています。そのことについて書いたブログはこちらです。→漢字かなカナ交じり文

追記
ここで書いていることのうち表語性、連綿の意味については福田孝「古文を楽しく読むために」(ひつじ書房)に書かれています。

2016年1月15日金曜日

梅ちゃん先生の出演者がこぞってNHKの語学講座に出ている

堀北真希が新婚生活を語る番組を見て、結婚していたこと知りました。堀北真希と言えば、私にとっては「梅ちゃん先生」です。いい番組でした。

梅ちゃん先生には、やたらにドイツ語を使いたがる「ハインリッヒ」というあだ名の医者が登場します。

それとはまったく別なんですが、梅ちゃん先生に出演していた役者さんたちが、2014年後半のNHK語学講座にナビゲーターとして出演しているんですね。

梅ちゃんとつきあっていた医者の松岡敏夫役の高橋光臣がドイツ語講座に、「きのやん」役の竹財輝之助がイタリア語講座に、梅ちゃんの姉松子の会社の上司真田伸吉役の平岳大がスペイン語講座に出演です。

梅ちゃん先生の役柄とは別の人柄がわかって面白かったです。

ただそれだけなんですけど。

2016年1月14日木曜日

安く買える辞書、あまり役に立たない辞書、辞書のあれこれ①

1.一番安く買える辞書は古語辞典

昨年秋から源氏物語ゼミを始めました。私は、場所を確保したり、会員のみなさんへ出欠の連絡をしたりの事務局的なことをやっているのですが、あわせて例会で使う古語辞典を古本屋で安く買って譲ってあげることをしています。驚いたのですが古本屋(BOOK OF)などで売っている辞書の中では古語辞典が一番安いのです。100円とか200円で新品のような辞書が手に入ります。日本語の古典は人気がないんでしょうか、残念ですねえ。会員さんたちからはとても喜ばれているのですが・・・。

古語の中にはキラリと光る言葉がありますね。これから、源氏物語とか勉強していきながら、いい言葉を拾って自分の引き出しに入れておきたいと思ってます。

2.前はこれを持っていることがちょっと自慢だったのですが、電子辞書や辞書アプリの普及で役に立たなくなった逆引き広辞苑

クロスワードパズルを解いていて、最後の2文字だけがわかるけど言葉の上の方だけがわからない。なので国語辞典は使えない。そういう時に逆引き広辞苑が便利でした。

今日は地震があり「函館は大丈夫だった?」と心配の電話をもらったのですが、「〇〇地震」の「〇〇」にはどんなのがあるのか、知りたければ「んしじ」と引けば、「〇〇」がたくさん並んでいます。

「安政ー」「大ー」「火山ー「火山性ー」「巨大ー」「群発ー」「慶長ー」「元禄ー」「構造ー」「三陸沖ー」「深発ー」「善光寺ー」「丹後ー」「断層ー」「直下型ー」「チリー」「東海ー」「十勝沖ー」「南海道ー」「新潟ー」「濃尾ー」「微小ー」「福井ー」「宝永ー」「松代群発ー」「無感ー」「有感ー」などです。

ところが逆引き広辞苑、ほとんど使うことがないまま20年以上新品のままです。「こんな辞書がある」と自慢するにはいいけど。おまけに辞書アプリ、私はスマホで大辞泉を使っているのですが、「地震」と入力し、「後方一致」にセットすると一発で「〇〇地震」が並びます。しかも「〇〇」の部分は何倍も多く表示されます。いまや逆引き広辞苑は「昔、こういう辞書があった」という見本としてしか役に立たないようです。

ちょっと長くなったようなので、いったん中断です。

私が住んでいる函館市北美原という地名は昔、水穴と呼ばれたそうです

私の住んでいるのは北美原という地域です。この地域はもともと亀田中野町といいました。変わったのは、ここ20年くらいの間の出来事です。亀田中野町の前は中野町だったのでしょう。旧函館市にも中野町があったので、混同することを避けて合併時に亀田中野となったのだと思います。

そして、亀田にはもともと6つの村がありました。桔梗村、亀田村、石川村、赤川村、神山村、鍛冶村です。その中野町は、石川村だったのか、赤川村だったのか、おそらく石川村だったのだと思います。

このようなことや「亀田」のことを以前のブログで書いたことがありました。
五稜郭の戦いの始まり 「五稜郭の戦い 蝦夷地の終焉」その5
「亀田市と千歳市 「鶴は千年、亀は万年」つながりの姉妹都市」

さて話はこれからなのですが、私たち赤川・北美原支部の秋田孝一郎(90)さんがいうには北美原地域は、石川村ではなくて、亀田村だったこと、そして私がいま住んでいる北美原というところは、昔「水穴」と呼ばれていたとのこと、その地名のこと、はじめて聞きました。

「水穴」というと、「水が出る穴」=「泉」があったのではないのか、まったくの私の推測ですが・・・。横津の山なみがあり、扇状地があり、その扇端には泉があると聞いたことがあります。もしかしたら、そういうことなのかもしれないと。これから調べてみたいと思います。


さて札幌についてこういうことを読んだことがあります。札幌の扇状地の扇端は北1条~北2条あたりでそこから泉が湧出し、その水を利用してビールをつくったと。それがサッポロファクトリーなんだそうです。榊原正文著「アイヌ語地名釣歩記」(北海道出版企画センター、2006年)に書いていました。

上から撮るスキャナーを買っちゃいました



買っちゃいました。ScanSnap SV600というスキャナー、上から撮るやつです。

以前ブログで、「書類をスキャンしてすっきり!」というようなことを書いたのですが、
スキャンのためにわざわざ、切るまではしたくない、捨てたくないという本もありますね。
私にとっては写真のような本です。
これは、「空の名前」という本で、スキャンして本の中の写真の色のニュアンスが変わってしまったらいやだなとスキャンをしていませんでした。


これで切らないでもスキャンすることができました。
ちなみにこの種のスキャナーは非破壊系スキャナーというそうです。
まずまずの使い心地です。

昔、この本の内容をちょっと紹介したことがあります。これです。
「空の名前」
以前のブログはこちらから
こうやれば本と書類は上手に整理できる

2016年1月3日日曜日

五稜郭の戦いの意味とは何だったのか 『五稜郭の戦い 蝦夷地の終焉』その6エピローグ

『五稜郭の戦い 蝦夷地の終焉』をやっと読み終えました。

昨年秋に厚沢部町の館城跡にいったり、乙部町の官軍上陸の地にいったり、一昨年に七飯町の99年間の租借問題をテレビで見たりしてきたのですが、そのことが箱館戦争の経過の中に位置付けられて書かれていたので、関心を持って読むことができました。何か書きたい気持ちもありますが、それは別の機会に譲り、ここではエピローグ「五稜郭の戦いの意味」について、紹介したいと思います。
戊辰戦争は味方か敵か、恭順するか戦うか、そうした二者択一的な選択を迫った。
討幕派による王政復古のクーデターがその始まりとなったが、近代国家がこのような武力討伐によって成立したことが、その後の歩みを軍事国家にしていった、そもそもの根元であったのではないか。
平和的・穏健的に静かに徳川の世を終わらせていくことができたなら、もっと違った近代史がイメージできるようにも思う。 
著者は、討幕派だけを批判しているわけではありません。
幕府のなかにも戦争を避けようという人びとが少なからずおり、箱館奉行も事おだやかに新政府に引き継いだ。そこへ、外から榎本旧幕府軍が入り込んできて、占領地の人びとを混乱・不安のなかに陥れた。その責任は免れるものではない。
松前藩は、戊辰政変のなかで、過激尊皇派が反対派を血の粛清で権力奪取した。無理やりの反論統一が、その後も殺伐とした権力対応をとり、旧幕府軍以上の残虐な面をみせていた。
武力やクーデターによる権力奪取は「狂気」を含み、大きな不幸をもたらすといわねばならない。
さて、最後になりますが、「あとがき」にはこんなこともー。
公正も進んだころ、憲法の制約を超えて海外で戦争できる国へ変えようとする政権のねらいが顕わになった。戦争への道をふたたび繰り返さない、そのための歴史研究と心得てきたが、こうした時期に刊行を迎えることになった。戦争について考える一助になるなら幸いである。 
はい、たいへん勉強になりました。ありがとうございました。

2016年1月1日金曜日

日本で初の市民革命的な動き・立憲主義=個人の尊厳・伝える相手へのリスペクト 中野・志位対談を読んで思った

あらためて、あけましておめでとうございます。

「立憲デモクラシーの会」の中心メンバーの上智大学教授の中野晃一さんと「国民連合政府」の提唱者である日本共産党の志位和夫委員長の新春対談(「しんぶん赤旗」1月1日付)をなるほどと頷きながら読みました。

中野晃一・志位和夫新春対談の全文はこちら
新春対談

印象に残ったところは3つです。

1.日本で初の市民革命的な動きと昨年を振り返っていることです。
(志位)一言でいうと、日本国民の新たな歩みが始まった年となったのではないか。戦争法に反対するたたかいは、一人ひとりが主権者として、自分の頭で考え、自分の言葉で語り、自分の足で行動する、自由で自発的な行動がおこったという点で、戦後かつてない新しい国民運動といえると思います。もっと言えば、日本の歴史でも初めての市民革命的な動きが開始されたといっていい。そういう市民社会の動き、国民運動の動きを、いかに政治の変革につなげていくかが、今年の課題になってくると思っています。
そしてその内容は何か 。1.「総がかり行動実行委員会」という統一戦線の組織が生まれたこと、2.95%の憲法学者が違憲だと声を上げるなど知識人が果たした役割は歴史的だったこと、3.「シールズ」、「学者の会」、「ママの会」と、主権者として自覚した方々が個人として連携し声を上げたことと整理されていました。

2.立憲主義を守ることは個人の尊厳を守ること、科学的社会主義の原点も個人の尊重

これは最近になってとくに注目された点ですね。憲法学者の樋口陽一先生なの見解が紹介され、また志位さんもマルクスの「経済学批判要綱」から説き起こしています。

私は大学時代、あまり勉強はしなかったのですが、大学の連続講義で樋口先生の「比較憲法」の単位をかろうじて取ったことを思い出しました。

3.伝える相手へのリスペクトをこめて
(中野)われわれ大学の教員と共産党というのは似ていて、同じようにうっとうしいように思われている(笑い)。常に正しい答えを知っていて説教しているようなところが、たぶんあるんだと思うんですね。そういう意味では、自戒も込めて申し上げているんですけども、いかに見られているのか、どのように受け止められているのか、どうすると伝えたい相手に対してよりリスペクトがこもった、メッセージの伝え方ができるのか、というようなことについて、共産党のみなさんにもぜひ取り組んでいただきたい。
(志位)それは、おっしゃる通りだと思います。私たちは、党をつくって94年になりますが、つねに相手方の攻撃にさらされます。苦しい状況が続くこともある。最近でも、90年代の「自民対非自民」のキャンペーン、2000年代の「自民か民主か」の「二大政党論」のキャンペーンなど、難しい情勢に直面し、それらと苦闘してきました。そういうなかで、「正しいことを言っているのだから必ず分かってもらえる」と確信をもって、それで頑張ってきたという面もあります。ただ、さらに広い国民に支持される党になるためには、いわれるような努力がもっと必要です。伝える相手へのリスペクトをもって、もっと謙虚にという努力が必要だと思います。
ここのところは、前にもブログに書いたのですが、私の思っていることも、そこそこあたっているなと思い、うれしくなりました。
「共産党アレルギー」私はこう考えます

私も戦争法廃止、立憲主義の回復のため、参院選での活動に微力をつくしたいと思います。今年もよろしくお願いします。

『僕とスターの99日』でのキム・テヒの日本語上手です

あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

元旦からゆったりとしています。キム・テヒと西島秀俊の共演ドラマ『僕とスターの99日』全10回を一日で放映するチャンネルがあって、追っかけ再生しながら観ています。

韓国の超有名女優キム・テヒのセリフがほとんど日本語なので、彼女の日本語を楽しみながらストーリーを追っています。

日本人にとって韓国語の発音がむずかしいのと同じように、韓国語母語話者が日本語を話す時、日本語の韓国語なまりみたいなのがありますね。

ひとつは、日本語にあって韓国語にはない音があります。たとえば、「ず」「づ」「つ」「ぞ」「ぜ」「ざ」などです。何かのCMで韓国俳優が「元気ハツラツ」というところ「元気ハチュラチュ」といいていたように記憶しています。

ところがキム・テヒの発音は正確な日本語の発音になっています。


かきっと見つかります」「なもの」「これからもっと私のそばにいてね」「ありがとうごいます」「わたしひと聞きたいことがあります」「違う?変なや」「き、しりとり」「どこにいても必探すと約束しました」などです。


もうひとつ、韓国語は有声音と無声音の区別がありません。韓国語母語話者は、日本語の語頭の濁音がいいにくいようです。ハングル講座の韓国人講師にような人でも、「助詞」を「チョシ」と言ったりしていますから。


キム・テヒはこの点でもOKです。ちょっと見てみましょう。「ないの、こにもないの」「うして探してるってわかったの?」「キッとした?」「んも?」「級生ってういうことですか?」「うして、何か知ってますか?」

すごいですね。

『僕とスターの99日』、キム・テヒ扮する韓国スターハン・ユナと、西島秀俊扮するハン・ユナのボディーガード並木航平のコメディタッチのドラマです。まだ2回目の途中ですが、これからの展開が楽しみです。

キム・テヒは「アイリス」「ラブストーリー・イン・ハーバード」に出演しています。西島秀俊は「八重の桜」で八重の兄役でしたね。「無痛」というドラマにも出演してました。