2011年8月4日木曜日

ふしぎの植物学 「たたかうトマトは美しい」

紫外線は目や皮層に当たると活性酸素を発生させます。紫外線が目や皮層に当た力って発生させる活性酸素は白内障や皮層ガンをもたらすので、私たちは紫外線を避けます。

植物はどうでしょうか。植物たちは自然の中で降りそそぐ太陽の光を避けずに暮らしており紫外線を多く浴びるはず。でも野菜はどんなに強い太陽の光に当たっていようとも、みずみずしく緑に輝いているし、花々も鮮やかな色を保ち、果実も太陽の日差しをいつぱいに受けながら美しく実っています。

逆に紫外線を吸収するフィルムで覆われたビニールハウスや温室では、有害な紫外線が当たらないにかかわらず、栽培されるトマトやナスの色が悪くなるし、カーネーションやバラの花の色も鮮やかさを失ってしまうそうです。

それでは植物は紫外線を浴びても活性酸素を発生させないかというとそうではありません。植物たちは、約四億年前に陸上で生活しはじめてからずっと、紫外線によって発生する活性酸素の恐ろしさを知っているのだそうです。

紫外線は植物の細胞の中に入り込み恐ろしい活性酸素をつくり出すますが、植物たちのからだには、私たち人間にはない特有の、活性酸素を消去する「抗酸化物質」であるといいます。ビタミンE、ビタミンC、カロテン、アントシアニン、リコペンなどです。植物たちは、このような物質をからだの中につくって、活性酸素と闘っているのだそうです。

カロテンは緑黄色野菜の葉っぱに多く含まれニンジンの色を出す色素、アントシアニンは多くの花やナスやリンゴの色をだす色素、リコペンもトマトやスイカに含まれる赤い色素です。

そして著者は次のように述べます。「結局、葉や花や実の色となる物質が、活性酸素を消去する働きをもつのだ。だから、強い紫外線が当たると、活性酸素から身を守るために、植物はこれらの物質を多くつくる。その結果、葉や花や実は、きれいな色になるのだ。葉や花や実は、きれいな色になって、紫外線と闘っているのだ。まったく無防備に見える植物たちは、自分たちのからだをちゃんと守っているのだ」。

ひとことでいうと「たたかうトマトは美しい」ということになるでしょうか。奥が深いですね。私たちの活動にもいえるなあと思うのです。たたかう姿を輝かせようと。

2011年7月27日水曜日

ふしぎの植物学  「モヤシっ子はたくましい」

『ふしぎの植物学 身近な緑の知恵と仕事』(田中修著 中公新書)をおもしろく読みました。感動したことを紹介したいと思います。

最初はモヤシのことです。モヤシは、色白で長身で、力がなさそうにヒョロヒョロと伸びます。だから、私たちは、背の高い細身の子を「モヤシっ子」と表現し、「モヤシ」をひ弱さを象徴する語として使います。しかし、「モヤシ」は、ほんとうに、ひ弱さの象徴にふさわしいのだろうかと。

著者はラジオ番組に出演してこう説明したそうです。モヤシは、暗黒の中で発芽した芽生えが、「早く光に会いたい」と、光を探し求めて、一生懸命に上へ上へと伸びている姿です。「太陽は上にある」と信じて、ただひたすら背丈を伸ばし、生きようとするたくましい姿なのです。だから、光が当たれば、上に伸びるのをやめます。この内容がCMとなってラジオで流されたそうです。

太陽の光を見失った暗闇の中での植物の生き方がモヤシの姿。真っ暗な箱の中で発芽したモヤシは、「なんとか光の当たっているところに出よう」と思い、太陽の光を探し求めて、すべてのエネルギーを注いで懸命に背丈を伸ばします。

う~ん、なんか感動ですね。ところでモヤシという名前の植物はないそうです。以下、モヤシの説明を引用しましょう。 

「モヤシが暗黒の箱の中で育った植物であることを知らない」という人や、「モヤシという植物の種類がある」と思っている人が、意外に多い。この人たちには、「モヤシという植物は、光の当たるところでも、あのような形態に育つ」と思われているようである。

「モヤシ」という植物種は存在しない。モヤシは、植物の種類の名ではない。植物の種子が、光を与えられず、十分な水をもらって育てられると、「モヤシ」になる。市販されているものは、ダイズなどのマメ類の種子に十分な水を与え、光を遮った暗黒の箱の中で発芽させ、しばらく成長させたものである。イネやムギの種子でも、十分な水を与え、光を遮った暗黒の箱の中で発芽させ、しばらく成長させた芽生えは、「モヤシ」と呼ばれる。

そうか、そうか。韓国ドラマの買い物シーンで「まめモヤシください」というシーンをみたことがありますが、そういうことだったのかと納得しました。

2011年7月13日水曜日

あれから4ヶ月

4ヶ月以上の空白。あの大震災があって、自分の思いをどう言葉にしていいかわからず、その後もタイミングを失って今日になってしまいました。

大地震の日の夕方、急遽、古岡ともやさん(道議予定候補)、紺谷よしたか市議、市戸ゆたか市議、それから本間かつみさん(市議予定候補)に党地区委員会事務所にあつまってもらい、古岡さんを本部長に、災害対策本部長を起ちあげました。避難所になっている市役所の8階の会議室、電車道路に面した窓にへばりついて避難した方々が見つめる先は、電車道路あたりまで迫っていた津波。外は真っ暗ですが、光の反射で津波の位置がわかりました。それ以上津波が寄せてこないことをたしかめ、「何か困ったことがあったらいつでも連絡くださいね」といい残して、その日は避難所をあとにしました。それ以降のことは、古岡ともやさんのブログ(http://furuoka.cocolog-nifty.com/blog/)が詳しいです。

家には、たまたま石巻から函館に里帰りをしていた娘のあさひ、地震直後に夫のともやくんから「大丈夫だった」のメールがあったと。翌日からともやくんとの連絡が取れなくなりました。それからずっとあさひはネットで、ともやくんの妹と、女川に住んでいるともやくんのおかあさんの安否確認の毎日でした。

テレビでみた仙台市若林区の津波映像。あの場所は私たち家族にとって思い出の場所でした。私たちは塩釜市に住んでいました。保育園が休日で、妻も私も仕事があり、名取市の妻の両親に子どもたちをあずけるとき、中間地点のコンビニで待ち合わせをして、おじいちゃんの車に乗り換える場所でした。いたたまれない気持ちになりました。

ともやくんのおかあさんと妹が大丈夫だとわかってからちょっとしたころ、福島市に住んでいる妻の妹一家は、放射能の影響を逃れるために、福島を脱出し、新潟からフェリーで苫小牧を経由し、函館にやってきました。妹はパニックになっていました。娘のはなちゃんを合格したばかりの福島の高校に入学させるか、だれも知り合いのいない新潟の高校に入れるか悩んでいました。気持ちが10分おきにかわると。1週間ほど函館に滞在して結局福島に帰っていきました。

2011年3月8日火曜日

函館の人口減は全国2番目

先日の一般質問で、人口減の質問で西尾市長の答弁を受けたあと次のようなことを語りました。

私達の体のミトコンドリアDNAの研究では、現生人類はアフリカを5万年前とか10万年前とかに出発して世界各地に広がったということですね。そしてその一部が日本列島にたどり着いたのだと思います。

そして弥生時代には大陸から人が入ってきたりして生産力が高まるのと同時に人口も増えていったのでしょう。私は専門家でないのでよく解かりませんが、おそらく人口が減るということは、飢饉がおきたり、あるいは伝染病の発生とか、あるいは戦争とか、そういう時に人口が減ったのだと思います。ですからこのような形で日本という国が、今まるごと人口が減少するという状況に至っていることは、そういう飢饉だとか、伝染病の発生とかと同様な大変な事態が起きているのだと私は思っています。

2011年3月5日土曜日

低所得者が入れるグループホーム

若手の古岡ともや道議予定候補と本間かつみ市議予定候補が介護保険事業者の方々からたくさんの要望をお聞きしました。その内容は「たくさんの要望ありがとう」(http://takahasikadai.blogspot.com/2011/02/3700-2200.html)にまとめていますが、そのなかから二人のアドバイスを受けて一般質問をしました。その内容を紹介します。ぜひ二人が当選して、自らこれらのことを道議会、市議会で質問してほしいと願っています。

2011年3月3日木曜日

ドカ雪の函館 除雪体制について②

「ドカ雪の函館 除雪体制」という私のブログに寄せていただいたコメントをそのまま紹介して一般質問を行ないました。以下紹介します。

タクシー地域計画

昨年は、「実りあるタクシー地域計画を」と、古岡ともやさんや党市議団(高橋佳大・丸尾りゅう子・市戸ゆたか・紺谷よしたか)と、道運輸局、函館運輸支局、道庁、渡島総合振興局、函館市などの行政機関、函館ハイヤー協会、各労働組合などに申し入れをしたり、懇談をしたりとがんばってきました。タクシー地域計画のその後について質問しました。

34億円の財源不足 生活保護費が増えたせいでない

私の一般質問の内容を紹介します。函館市の新年度予算が発表されると、財源不足34億円について、新聞各紙はいっせいに生活保護費の増嵩に原因があるという記事を書きました。しかしこれは事実とは違いました。そのことを明らかにした質問です。

2011年3月2日水曜日

最後の一般質問 議会質問のあれこれ

函館市議会第1回定例会で今日、一般質問をしました。私にとっては最後の一般質問でした。特別な事情があるときをのぞいてほぼ毎回質問に立ってきました。質問は議員にとって一番大切な仕事だと思います。演説も大変ですが、演説とも違う独特の大変さが議会質問にはあります。大変ですが議員ならではの醍醐味もあります。

2011年2月27日日曜日

英語にも主語はなかった

『日本語は亡びない』(金谷武洋 ちくま新書)という本がおもしろく一気に読みました。本のカバーの裏表紙に著書のプロフィールが載っているのですが、函館ラサール高校出身であることがわかり、ちょっとうれしい気持ちで読みました。またつまみ食い的に気に入ったところを紹介しましょう。

「実は、古英語にまで遡れば英語は・・・主語もなかった。・・・古英語に大量の仏語語彙が入り、文法的には極端な単純化が起きた。男性/女性名詞の区別を失い、名詞変化(曲用)と動詞変化(活用)をも英語が失っていった。・・・もはや文法関係は語順でしか表せなくなり、義務的に文頭に行為者をおくようになった。これが主語の発生である。」

「地球上には数千の言語があると言われる。だが、・・・主語がないと文が作れない(主語強要)言語はたったの八つしかないのだ」 

この八つの言語というのは、英語、フランス語、ドイツ語、オランダ語、デンマーク語、スウェーデン語、ノルウェー語、ロマンシュ語だそうです。

昔、大学時代に習ったドイツ語は、動詞変化も複雑で、名詞まで変化し、そのために語順が少しくらいい正確でなくともちゃんと意味が通じると思ったことがあります。ところが英語は文法が単純になったために、語順にしばられる言語になってしまったということですね。

この本で言いたかったことは、英語の文法を鋳型にして、日本語の文法を論じてはならないということで、なるほどと思いました。

2011年2月25日金曜日

2月議会の発言通告一覧紹介します

今日から函館市議会第1回定例会が始まりました。一般質問の発言通告がでそろいました。日本共産党の発言通告をお知らせします。

 【高橋佳大】3月2日15:15~
 1.函館市の財政収支の不均衡の原因について
2.タクシー地域計画の進捗状況について
3.函館市の人口減の要因と影響について
4.函館市の除雪について
5.低所得でも入居できるグループホームの増設について

2011年2月20日日曜日

ハングルの誕生

ここ数日風邪をひいてしまい、仕事に出たり早退したりを繰り返しています。家で横になっている時間、「ハングルの誕生 音から文字を創る」(野間秀樹著 平凡社新書)を斜め読みしました。野間秀樹さんってラジオのハングル講座をやっていた人だと思います。少し勉強しようと思い、書店で「ハングル講座CD版」を購入してiPodで聞いていたことがありました。この本は少し難解でした。つまみ食い的におもしろかったところを紹介しましょう。

「〈正音〉(ハングルのことだと思います)の面白いところは、音節の境界、即ち音節の外と、音節の内部構造、即ち音節の内のいずれをも、ゲシュタルト(形のことだと思います)によって表している点です。「かな」「あめ」のごとく、仮名のような音節文字は、音節の境界は示すが、音節の内部構造は示せない。「か」のどこからどこまでがkで、aか、などは〈かたち〉の上ではわからない。

(中略)〈正音〉は音のレベルにおける〈音素の平面〉と〈音節の平面〉の二層を、文字のレベルで一層に重ねて統合し、表した。のみならず音節の内と外の双方、音節の内部構造と外部境界を可視化したのである。」

うーん。なるほど、と思いました。韓国ドラマをみていると、軍隊などで自分の名前を音節に区切って、たとえば「クウォン・サン・ウ」とか3拍で喋るシーンがあります。このひとつひとつが音節ですね。この音節はハングルでは初声、中声、終声の組み文字になっていて、ひとつひとつの音素もわかるということですね。

ところでチャングムはおかあさんから字を習いますね。あれは漢字だったと思います。この本によると、そのころにはもう正音(ハングル)はできていたようですが、ハングルは暴君の燕山君の時代に禁圧されていたようです。この暴君の異母弟がチャングムにでてくる王様だと思います。あのクーデターに漢字が読めるチャングムも一役かっていますね。この本によるとあの王様の4代前の王様が正音をつくらせたようです。

追記 チャングムがおかあさんから習った字は漢字だったがどうかは、その後映像(第2話)で確認しようと思いましたが、よくわかりませんでした。洞窟の中でおかあさんが書いたチャングムへの手紙はハングルでした。それからおかあさんが友人のハンサングンに書いた手紙もハングルでした。

2011年2月16日水曜日

三色の涙 『大地の子』に寄せて②

シゲさん、僕は今年になってHさんと知り合いました。Hさんは「満州」から帰国するすべもわからないまま、おかあさんとともに「残留」を余儀なくされた「中国残留母子」でした。『大地の子』の作者である山崎豊子さんの表現を借りれば、「戦争犠牲母子」です。

Hさんは8年前に家族とともに帰国し、現在函館に住んでいます。彼は「私はまだ日本語がうまくないけれど」と断りながら、それでもよくわかる日本語で「私は『大地の子』をみるたびに、涙があふれてしかたがないんです」と僕にいいました。主人公の陸一心の運命と自分の人生が重なりあうのでしょう。

『大地の子』をみて流す涙には3つの色があると僕は思います。侵略戦争がもたらした悲劇への涙、「文化大革命」という名のもとに行なわれた迫害への涙、そしてそのなかでも理性に生きた人々への感動の涙です。(『こんにちは佳大です』 1996.6.23号)

追記 Hさんもまた日本人であることから文革時に迫害を受けたそうです。三角帽をかぶせらされ、首から看板を吊るされたと。その後、復権したとのことで、そのことを記した文書を大切そうに私にみせてくれました。私はこのミニエッセイのつづきを考えていたのですが、その後「こんにちは佳大です」のコーナーが終了となり、いまでは何を書こうとしていたのか思い出すことができません。

清野清さんのこと

私たちの大先輩である清野清さんが逝去されました。2月15日にお別れする会が行なわれました。会の代表をつとめることになった私のあいさつを紹介します。

2011年2月14日月曜日

えびす顔の悲しい思い出 『大地の子』に寄せて①

塩釜の加藤シゲさん、お元気ですか。僕の方は函館に来てもう2年になります。赤旗の配達をしているシゲさんに「ひざの痛みはナジョですか」と聞くと、「なあに年だからね」と、まあるい顔をえびすさんのようニコニコさせ、決まって遠慮がちな言葉を返してきましたね。そんなシゲさんを今でもよく思い出します。

ひょんなことからシゲさんが中国語を話せることを知った僕は、悲しい思い出を根掘り葉掘り聞いてしまいましたね。満蒙開拓団の営農指導員であった夫と「満州」にわたったこと、夫が召集され、ソ連軍の参戦による逃避行の中でお子さんを病気で失ったこと、その後、八路軍の要請で看護助手として7年間も中国に足止めをくったこと、そしてやっと故郷の山形に帰るとすでに夫が再婚していたこと。

僕は胸がつぶれる思いで聞きました。シゲさんは『大地の子』をどういう思いで見ましたか。これから僕の感想を書きます。(『こんにちは佳大です』1996.6.2号)

山崎豊子さんはすごい

11年前、2000年の今頃、父に肺ガンがみつかりわずか2ヶ月で逝ってしまいました。放射線治療で入院していた時に、何か読む本をと思い、山崎豊子さんの『沈まぬ太陽』を父の病室に持っていきました。父は面白そうに読んでいましたが、実は私はこの本を最初の1冊か2冊読んで途中になっていました。

おととい、テレビで『沈まぬ太陽』をみました。感動しました。タイムリーだと思いました。日航の解雇問題をとりあげた志位委員長の質問と重なりあいます。

私が山崎豊子さんの小説を最初に読んだのはたしか『大地の子』だったと思います。その次に『不毛地帯』を読みました。シベリア抑留のなまなましい描写、どうして体験していないことをこんなにリアルに書けるんだろうと感心しました。書かなければならないという使命感を強く感じました。ハンパな取材じゃないなとも。

『白い巨塔』はドラマと比べながら、財前のかかった病気が原作と違うな、亡くなった方の職業が違うなどうしてだろうとか、独立行政法人がでてくるのは今風だななどと思いながら読みました。

たくさん読んだわけではありませんが山崎豊子さんのファンです。『大地の子』の感想は以前、道南新報に書いたことがあるので次回載せます。

2011年2月10日木曜日

たくさんの要望ありがとう

医療・介護分野で日本共産党函館地区委員会に寄せられた要望を紹介します。

2011年2月9日水曜日

いがぐり頭のドラえもんがこれなくなった

いがぐり頭のドラえもんの小池晃さんが函館の演説会に来られなくなってしまいました。革新都政の会から都知事選挙出馬が決まったからです。以下小池さんのツイッターから。

2011年2月8日火曜日

いがぐり頭のドラえもん

仙台市川内明神横丁。仙台二高の裏、蛇行する広瀬川のせせらぎが聞こえるところに、川内荘と明神荘が並んでいました。どちらも玄関を入ると廊下の両側に部屋があるようなタイプのアパート、もちろん流しもトイレも共同。学生時代の一時期、私はこの川内荘に住んでいました。たしか家賃は1万1千円くらいだったかな。この2つのアパートに仲間たちが何人か住んでいました。

2011年2月4日金曜日

なぜ本を買いたくなるのだろう

古岡ともや道議誕生、それから市戸ゆたかさんと紺谷よしたかさんと後継者の本間かつみさんを市議会に送ることばかりを考え忙しい日々を過ごした1月。私は忙しくなると無性に本を買いたくなるのです。昨夜札幌駅からビジネスホテルへの途中、紀伊国屋書店で4冊の新書を買ってしまいました。覚えてのおサイフケータイで支払いをしました。