2016年1月16日土曜日

連綿体、続け字、筆記体・・・のよさはどこにあるのか? 表語性の獲得

平安の時代は活字というものがなかったため、源氏物語も枕草子も印刷ではなく写本で普及されたそうです。写本では濁点も句読点も使われてないとのこと。う~ん、読みにくそうです。それでも読むのに困らなかったそうです。

枕草子の初段のある写本は次のように書かれています。
春はあけほのやうやうしろくなりゆく山きはすこしあかりてむらさきたちたる雲のほそくたなひきたる夏はよる・・・
※「やうやう」は「やう」は、踊り字と言って縦書きだと「〱」という文字ですが、横書きではうまく入力できませんでした。
やっぱり読みにくいですね。昔の人が苦も無くよめたのは、「連綿体」で書かれていたからです。続け字です。一語と考えられる一まとまりは文字と文字とが切られないで連続して書かれていること(連綿)、語句と語句のあいだが切りはなされていること(分かち書き)で読みやすくなっているのだそうです。

語句を他の語句とは別に表示することを表語性というのだそうですが、昔の日本語は連綿によって、表語性を獲得していたんですね。

ここで思い出すのは、英語の筆記体です。中学一年生ではじめて英語を習った時、先生はいきなり筆記体で板書したものです。ですから生徒たちはみんな筆記体を覚えたのです。ノートも筆記体。筆記体も連綿の一種なんですね。

そうなると、以前のブログで書いたことお詫びしなければなりません。だれに?そうアラビア文字にです。こんなことを書いちゃったんです。
韓国語の表記はハングルという固有の文字を使いますが慣れるまでちょっと手こずります。アラビア語も固有のアラビア文字があります。私はハングルは慣れたのですが、アラビア文字は続け字になっていてとっつきにくく入り口で学習がストップしています。→ アイヌ語を学び始めて
アラビア語は活字体=筆記体なんでしょうか。これも連綿なんですね。続け字だけど一語がまとまっていると考えればいい、とっつきにくいなんて言ってちゃだめですね。

さて、現代では日本語もあまり連綿で書かないのですが、表語性は「漢字かな交じり文」によって獲得されているそうです。

話はそれますが、私は日本語の視覚的表語性は抜群だと思っています。そのことについて書いたブログはこちらです。→漢字かなカナ交じり文

追記
ここで書いていることのうち表語性、連綿の意味については福田孝「古文を楽しく読むために」(ひつじ書房)に書かれています。

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