2016年6月26日日曜日

脱脂粉乳給食のあれこれ 「こども新聞」と「おもひでぽろぽろ」と「綱領教室」

毎週土曜日北海道新聞に折り込んでとどく「道新こども新聞 週刊まなぶん」に学校給食と脱脂粉乳のことが出ていました。
終戦の翌年の1946年、外国から援助された脱脂粉乳や缶詰を使った給食が始まりました。脱脂粉乳は牛乳から脂肪を抜いて粉にしたものです。これをお湯にとかして飲むのが、大切な栄養源でした。
50年代半ばには、牛乳にパンとおかずがつきました。戦後はアメリカから援助される小麦粉がたよりだったので、主食はパン。正式にご飯を使えるようになったのは76年からです。


この脱脂粉乳の給食の風景がジブリのアニメ作品「おもひでぽろぽろ」に出てきます。1955年生まれのダエ子27歳が、1982年に自分探しの旅に出る中で小学5年生のころ(1966年)を思い出します。その中の1シーン。これです。



脱脂粉乳を飲むタエ子を見て、隣の男の子が「よく飲めんなぁ。こんなまずいもん」といって、タエ子のきらいな野菜を食べるかわりに、タエ子が2杯目のミルクを飲むというシーンです。

おもしろいことにタエ子とほぼ同じ年齢の共産党志位和夫委員長も「綱領教室2」という本で脱脂粉乳給食のことを書いています。これも紹介します。「アメリカによる対日経済支配が、歴史的に見てどこから始まったか。それはまず、エネルギーと食料から始まりました」という文脈の中でです。
もう一つは、食料支配です。1954年に、MSA協定(日米相互防衛援助協定)というものが結ばれ、アメリカは余剰小麦を大量に日本に押しつけました。さらに家畜用のエサだった脱脂粉乳を子どもたちに押しつけました。私も、小学生のころ脱脂粉乳を飲まされました。これは、たいへんにまずくて、みんなで鼻をつまんで飲んだものです。
そして、日本人に小麦を押しつけました。同じ年(1954年)に学校給食法がつくられて、その施行規則にはこう書いてありました。「完全給食とは、給食内容がパン(これに準ずる小麦粉食品等を含む。)、ミルク及びおかずである給食をいう」。給食内容のなかに、お米が入っていないのです。事実上、お米のご飯を食べさせちゃいけない、パンでなくてはいけないということになります。小麦粉の食品はいいということになっていて、ときどき焼きそばなどが出ました。しかし、お米のご飯はダメと、学校給食法の施行規則で決めたのです。これが1976年まで変えられませんでした。だから、それまでは、建前として、子どもは給食でお米のご飯を食べられなかったのです。
50年代当時は「コメを食べると頭が悪くなる」という「学説」を、慶応大学医学部のある御用学者が唱えて、キャンペーンがおこなわれました。お米は食べるな、パンにしろと子どもたちに押しつけ、日本人の食生活の強制改造がおこなわれました。そうした諸々の結果、いまでは食料自給率は41%まで下がってしまいました。
タエ子や志位委員長より私は4-5歳年下ですが、小学校低学年で脱脂粉乳給食を経験しました。 金属製のお椀に膜の張ったミルクなのですが、私はこれが嫌いで、そのトラウマで牛乳に切り替わったあとも牛乳が飲めませんでした。

ですから、私は中学を卒業してから30年くらいは一滴も牛乳を飲まないで過ごしてきました。ところが、その後、どうしても飲まなければならない状況に直面したのです。とほほです。一度は、PTA会長をしていた中学校の給食試食会があって、PTA会長だから残しちゃいけないと思いがまんして飲んだこと、もう一度は、党の代表として、ある団体との懇談の席でその団体の会長さんの会社がつくっている牛乳がふるまわれたときの二度です。牛乳を飲むことはたぶんもうないと思いますが・・・。

追記
牛乳を飲めない私ですが、不思議なことにバターやチーズなどの乳製品は大丈夫なんです。

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