2012年7月31日火曜日

計画停電のこと

あちこちのお茶の間懇談会におじゃまをすると北電の計画停電のことが話題になります。これをどう考えたらいいのか、先日、はたやま和也道政策委員長が函館に来て訴えた内容を、私もとなりでなるほどと思いながら聞いていました。はたやまさんの許可をもらいましたので、以下、はたやまさんの計画停電についての演説を紹介します。

今日も新聞を開けば、電力が足りなくなるので、みなさん節電に協力してくださいと、書いてます。もちろん、限りある資源を大切にしようと、自発的に節電されることは、大事なことだと思います。でも病院だとか、介護施設だとか、保育所だとか、高齢者や子どもたち、命を守らなければならない方々にまで無理に節電を押しつけることはあってはならないと思います。そもそも、政府や電力会社の出している情報をどこまで信じたらよいのか、多くの方が疑問を持っているのでないでしょうか?

調べてみたら、東北地方はこの夏計画停電の予定がありません。なぜかというと、この1年4ヶ月のうちに、新しい発電所を、東北地方で5つつくっているんです。だから北海道にも電力は融通できますよというところまで電力をふやしています。東北地方は1年4ヶ月、このように電力を確保して、計画停電がないにもかかわらず、北海道電力はこの1年4ヶ月何をやってきたのでしょうか。

私たちは北海道各地でいま、太陽光でも風力でも十分自然エネルギーが広がっている、そのとりくみをみてきました。先週は釧路に行ってきました。別海町では酪農家に太陽光パネルがつくられはじめていて、自分の家だけではなく、街まで電力を供給できる発電が一戸一戸の農家の単位でもうまれてきました。十勝管内の足寄町では牛や馬の糞尿を使ったエネルギーで、136人も、工場をつくるなどで、新しい仕事も生み出しています。やればできるということを、北海道の市町村が証明しています。問題は、こうやってできた電力を北海道電力が買い取っていないところに原因があります。電線が足りないって言うんです。

政府には4000億円も原発予算があります。燃料保管に1000億円必要ですが、3000億円を振り替えれば、ちゃんとこういう電線の整備をするお金が国にも十分あるんです。計画的に、原発事故のあと、1年4ヶ月、こういうとりくみをやっていれば、この夏の計画停電などしなくてもよかったのではないでしょうか。私は言いたい、原発にこだわっているから、必要な電力まで確保できない、これが真実だと思います。

日本共産党は、もちろん、こんな危険な原発をやめるために全力をあげてがんばります。ただ原発をなくすだけでなく、新しいエネルギーはこうやって確保するということをこの間訴えてまいりました。(以下省略)

計画停電についてははたやま和也さんのブログにも載っています。

2012年7月26日木曜日

ラジオ体操

小学校も今日から夏休み、ラジオ体操が始まりました。私も町会役員として、ラジオを持って、会場に毎日行くようになって10年くらいになります。以前ラジオ体操について書いた文章を紹介します。

「♪あたらしい朝がきた 希望の朝だ 喜びに胸を開け 大空あおげ ラジオの声に 健やかな・・・」――私が小学生の頃といえば、もう四〇年以上も前になりますが、あの頃と変わらないラジオ体操の歌。そして体操の仕方もまったく同じ。カードを首からぶらさげて、体操が終わると一目散にカードにハンコ(最近はシールのところもありますが)を押してもらいに列をつくる、そんな光景も昔と同じです。  町会の青少年部の役員となり、毎日ラジオをもって小学校のグラウンドへ。時間前からすでに学校に来ている教頭先生と、何人かの子どもたちが花に水をやりながら体操のときを待っています。それはとても平和で、とてものどかで、心が和みます。

無邪気なこどもたちの笑顔はもちろん、運動不足ですっかりなまってしまった体の筋肉痛もなぜか妙に心地よく、何かとても得をしたような気分になるのです。早起きは三文の得、ラジオ体操万歳です。

※この文章は2006年に書いたものです。

2012年7月24日火曜日

世直しの原石

中学3年の社会科の時間、先生が胸を張っていいました。「日本の税金のあり方は累進課税制といって、所得の多い人が高い税率で、少ない所得の人が低い税率で税金を納めるんだ」と。私は38年前に教えてもらったことを今でも正しいと思っています。その後導入された消費税は累進課税という考え方と正反対の税金です。

38年前のこの思い出を私は好んで街頭で紹介します。朝の宣伝では、色とりどりのランドセルを背負った子どもたちが次々と私の前を通って学校に向かいます。私が「収入のない子どものお小遣いにも税金をかける消費税は間違っています」とつけくわえると、子どもたちが、私の前で立ち止まり、ペコリとお辞儀して「おはようございます」と声をかけてくれます。門前に立つ校長先生になったようでした。

同様の話を森町で街頭でしました。終わると子どもたちが駆け寄ってきました。もじもじしながら「これ洗ってないんですけど」とプレゼントを私に差し出しました。足下に落ちていたと思われる小石でした。子どもと握手をしてありがたく受け取りました。「世直しの原石」という言葉が頭に浮かびました。

さて社会科の先生は私の担任でした。同期会で再会しました。先生はそのとき道教委の仕事をしていて「共産党にはずいぶんやられているよ」と笑って話していました。それでも同期生たちの前で「今度高橋佳大君が衆議院選挙に立起することになった。応援してくれ」と言ってくれました。私が96年に行われた衆議院選挙に立起表明をした時のことです。残念ながら先生は在職中に急逝されました。

2012年7月17日火曜日

異常なし

党美原支部のみなさんと189回目の早朝宣伝が終わって病院へ。今日は大腸カメラの日でした。ポリープを切除後1年の検査でした。まず3時間かけて、紙コップになみなみと注がれた下剤を15分おきに、2リットルも飲みます。あのまずさはたとえようもないです。2番目につらいのがカメラがお腹の中でうごめいている時、腸を圧迫するのか、ひっかかるのか、2回ほどうめき声をあげました。何はともあれ、異常なしとのこと。めでたしめでたし。

たっぷり時間があったので、待ち時間中に読みかけの『日本人はなにを食べてきたか』(原田信男、角川ソフィア文庫)を読み終えました。米が神聖視されるに至った歴史、肉食が禁忌されるに至った歴史などなるほどなるほどと読みました。

その後、市役所へ。先日上湯川支部のお二人と訪問先で伝えられた要望を、一緒に伝えてきました。要望は志海苔漁協前のバス停から上にのぼる急な道の両サイドの草刈りをしてほしいというもの。住んでいる人にとっては、手すりにおおいかぶさるくらいに生い茂った草はとてもじゃまなんですね。土木部管理課長さんが親切に対応してくれて、早急にやってくれるとのこと。支部の2人も喜んでいました。

地区委員会事務所に立ち寄り、書類を入れる私の棚に、「宮本顕治著作集第1巻」が入っていました。序文が昨日の「しんぶん赤旗」に出ていたので楽しみにしていたところでした。夜の市議会報告会の前と終わってからとで、最初の作品、「『敗北』の文学」を読みました。学生のころ一度読んでいたのですが、すっかり内容を忘れていましたが、すばらしいの一言です。感想はのちほど報告します。議員のみなさん議会報告会ご苦労様でした。

2012年7月16日月曜日

ハッピーアイランド

福島、福島、福の島、幸福の島、ハッピーアイランド、福島の原発事故がもたらした悲しさ、苦しさ、不安、怒りは、福島という地名の意味とは正反対でした。原発をなくして日本列島をホントのハッピーアイランドにしよう。一度言ってみたいと思っていました。7月14日の「さようなら原発函館集会」の党代表あいさつでとうとう言うことができました。

2012年7月15日日曜日

毒舌ばあちゃん

7月14日の「さよなら原発函館集会」で、清野きみさんにお会いしました。元気そうでした。7月8日付『ほっかい新報』の私の記事を読んでくれていて「よかった」といってくれたので、紹介します。

とても暑い日でした。買い物帰りの高齢の女性。帰宅したばかりだと見えて杖をついて玄関口に立っていました。少し離れたところから「こんにちは共産党です」とあいさつすると、大きな声で「そんなこと顔をみれば共産党だってわかる」。怒っているようにもみえます。近づいて名刺を渡して名乗ると「ずいぶん薄い名刺だ」、「すみません。お金がないもんで」とヘンな弁解をすると「それはわかる。でも名刺は顔だ」と。「病気になっても見舞いにも来ないでなんだ」と追い打ちがかかります。そして「いまの政治は何だ」と大きな声、あまりにも声が大きいので近所で庭の手入れをしていた人たちが注目のまなざしを向けています。「ヘンだな、支部からは、最近の選挙で結びついた支持者と聞いていたのに。支持者じゃないのかな」と。

「ところで清野(清)さんは元気かい」と聞かれました。清野さんは63年から83年まで旧北海道3区候補者として8回挑戦した党の顔、昨年亡くなりました。私が葬儀委員長を務めました。そのことを告げると「私はね、清野さんだったら、今の政治についてなんて言うだろうと考えていたところだよ」と。昔からの党の支持者だったことがわかりました。そして生い立ち、生まれながらの身体障害者として、当時は社会に触れることもなく、時計の見方がわかったのも19歳だったと語ります。「たまには喫茶店でコーヒーを飲みたいさ。ガチャン(自動販売機)のジュースを飲みたいこともあるさ。だけどそのお金があれば豆腐の一丁も買える。少ない障害年金暮らしさ。共産党だけは、このことをわかってほしい」としんみりした口調に。「でもしっかり自分の考えを話されて元気そうでよかったです」と別れのあいさつをしようとすると、「元気にも、カラ元気というのがあるんだ」と一転、毒舌ばあちゃんに戻って言いました。精一杯のおしゃれだと思われる両の耳につけていた黒っぽい耳飾りが印象的でした。 

2012年7月10日火曜日

パンモゴッソヨ?

「パンモゴッソヨ?」(ご飯食べましたか?)-韓国ドラマで頻繁に出てくる会話のフレーズです。食事のシーンも多いです。食べることを大切にしているんですね。日本はどうでしょうか。母親の息子への思いが切なく響くさだまさしの『案山子』の一節、「元気でいるか/街には慣れたか/友達できたか/寂しかないか/お金はあるか/今度いつ帰る」、あれっ、「ご飯は食べてるか」がないですね。そういえば『源氏物語』には食事のシーンがないそうです。でも母親が一人で暮らす実家に私が立ち寄った時、「ご飯食べたかい」と、母は必ず食事を用意します。ドラマや歌に出ても出なくても食べることはやはり生きる土台です。
 
さてこんなことがありました。支部の仲間とあいさつに伺った女性のお宅。年金の一人暮らしだそうです。玄関横の一間幅のプランター台にたくさんの花が並んでいました。「これは何という花ですか」、花の名に疎い私に「それはアマリリスです」と教えてくれました。もうひとつ訊くと花の名ではなく「それは、今日、花屋さんで買いました。380円でどうしようかと悩んだけれど、一食がまんすればいいやと思って」と嬉しそうに話してくれました。「食事を抜かなくても花が買えるようにしたいですね」、出かかった言葉を呑み込み、お別れしました。

2012年7月5日木曜日

記者会見

久しぶりの更新です。私は6月15日、記者会見し、次期衆議院選挙で北海道8区(渡島管内、桧山管内、函館市、北斗市)から日本共産党公認で立起することを表明しました。以下は会見用に書いた原稿です。