2012年7月15日日曜日

毒舌ばあちゃん

7月14日の「さよなら原発函館集会」で、清野きみさんにお会いしました。元気そうでした。7月8日付『ほっかい新報』の私の記事を読んでくれていて「よかった」といってくれたので、紹介します。

とても暑い日でした。買い物帰りの高齢の女性。帰宅したばかりだと見えて杖をついて玄関口に立っていました。少し離れたところから「こんにちは共産党です」とあいさつすると、大きな声で「そんなこと顔をみれば共産党だってわかる」。怒っているようにもみえます。近づいて名刺を渡して名乗ると「ずいぶん薄い名刺だ」、「すみません。お金がないもんで」とヘンな弁解をすると「それはわかる。でも名刺は顔だ」と。「病気になっても見舞いにも来ないでなんだ」と追い打ちがかかります。そして「いまの政治は何だ」と大きな声、あまりにも声が大きいので近所で庭の手入れをしていた人たちが注目のまなざしを向けています。「ヘンだな、支部からは、最近の選挙で結びついた支持者と聞いていたのに。支持者じゃないのかな」と。

「ところで清野(清)さんは元気かい」と聞かれました。清野さんは63年から83年まで旧北海道3区候補者として8回挑戦した党の顔、昨年亡くなりました。私が葬儀委員長を務めました。そのことを告げると「私はね、清野さんだったら、今の政治についてなんて言うだろうと考えていたところだよ」と。昔からの党の支持者だったことがわかりました。そして生い立ち、生まれながらの身体障害者として、当時は社会に触れることもなく、時計の見方がわかったのも19歳だったと語ります。「たまには喫茶店でコーヒーを飲みたいさ。ガチャン(自動販売機)のジュースを飲みたいこともあるさ。だけどそのお金があれば豆腐の一丁も買える。少ない障害年金暮らしさ。共産党だけは、このことをわかってほしい」としんみりした口調に。「でもしっかり自分の考えを話されて元気そうでよかったです」と別れのあいさつをしようとすると、「元気にも、カラ元気というのがあるんだ」と一転、毒舌ばあちゃんに戻って言いました。精一杯のおしゃれだと思われる両の耳につけていた黒っぽい耳飾りが印象的でした。 

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