2011年7月27日水曜日

ふしぎの植物学  「モヤシっ子はたくましい」

『ふしぎの植物学 身近な緑の知恵と仕事』(田中修著 中公新書)をおもしろく読みました。感動したことを紹介したいと思います。

最初はモヤシのことです。モヤシは、色白で長身で、力がなさそうにヒョロヒョロと伸びます。だから、私たちは、背の高い細身の子を「モヤシっ子」と表現し、「モヤシ」をひ弱さを象徴する語として使います。しかし、「モヤシ」は、ほんとうに、ひ弱さの象徴にふさわしいのだろうかと。

著者はラジオ番組に出演してこう説明したそうです。モヤシは、暗黒の中で発芽した芽生えが、「早く光に会いたい」と、光を探し求めて、一生懸命に上へ上へと伸びている姿です。「太陽は上にある」と信じて、ただひたすら背丈を伸ばし、生きようとするたくましい姿なのです。だから、光が当たれば、上に伸びるのをやめます。この内容がCMとなってラジオで流されたそうです。

太陽の光を見失った暗闇の中での植物の生き方がモヤシの姿。真っ暗な箱の中で発芽したモヤシは、「なんとか光の当たっているところに出よう」と思い、太陽の光を探し求めて、すべてのエネルギーを注いで懸命に背丈を伸ばします。

う~ん、なんか感動ですね。ところでモヤシという名前の植物はないそうです。以下、モヤシの説明を引用しましょう。 

「モヤシが暗黒の箱の中で育った植物であることを知らない」という人や、「モヤシという植物の種類がある」と思っている人が、意外に多い。この人たちには、「モヤシという植物は、光の当たるところでも、あのような形態に育つ」と思われているようである。

「モヤシ」という植物種は存在しない。モヤシは、植物の種類の名ではない。植物の種子が、光を与えられず、十分な水をもらって育てられると、「モヤシ」になる。市販されているものは、ダイズなどのマメ類の種子に十分な水を与え、光を遮った暗黒の箱の中で発芽させ、しばらく成長させたものである。イネやムギの種子でも、十分な水を与え、光を遮った暗黒の箱の中で発芽させ、しばらく成長させた芽生えは、「モヤシ」と呼ばれる。

そうか、そうか。韓国ドラマの買い物シーンで「まめモヤシください」というシーンをみたことがありますが、そういうことだったのかと納得しました。

2011年7月13日水曜日

あれから4ヶ月

4ヶ月以上の空白。あの大震災があって、自分の思いをどう言葉にしていいかわからず、その後もタイミングを失って今日になってしまいました。

大地震の日の夕方、急遽、古岡ともやさん(道議予定候補)、紺谷よしたか市議、市戸ゆたか市議、それから本間かつみさん(市議予定候補)に党地区委員会事務所にあつまってもらい、古岡さんを本部長に、災害対策本部長を起ちあげました。避難所になっている市役所の8階の会議室、電車道路に面した窓にへばりついて避難した方々が見つめる先は、電車道路あたりまで迫っていた津波。外は真っ暗ですが、光の反射で津波の位置がわかりました。それ以上津波が寄せてこないことをたしかめ、「何か困ったことがあったらいつでも連絡くださいね」といい残して、その日は避難所をあとにしました。それ以降のことは、古岡ともやさんのブログ(http://furuoka.cocolog-nifty.com/blog/)が詳しいです。

家には、たまたま石巻から函館に里帰りをしていた娘のあさひ、地震直後に夫のともやくんから「大丈夫だった」のメールがあったと。翌日からともやくんとの連絡が取れなくなりました。それからずっとあさひはネットで、ともやくんの妹と、女川に住んでいるともやくんのおかあさんの安否確認の毎日でした。

テレビでみた仙台市若林区の津波映像。あの場所は私たち家族にとって思い出の場所でした。私たちは塩釜市に住んでいました。保育園が休日で、妻も私も仕事があり、名取市の妻の両親に子どもたちをあずけるとき、中間地点のコンビニで待ち合わせをして、おじいちゃんの車に乗り換える場所でした。いたたまれない気持ちになりました。

ともやくんのおかあさんと妹が大丈夫だとわかってからちょっとしたころ、福島市に住んでいる妻の妹一家は、放射能の影響を逃れるために、福島を脱出し、新潟からフェリーで苫小牧を経由し、函館にやってきました。妹はパニックになっていました。娘のはなちゃんを合格したばかりの福島の高校に入学させるか、だれも知り合いのいない新潟の高校に入れるか悩んでいました。気持ちが10分おきにかわると。1週間ほど函館に滞在して結局福島に帰っていきました。