2012年8月30日木曜日

政府交渉&「STOP TPP 官邸前アクション」

27日と28日の両日、東京での政府交渉に行ってきました。紙智子、大門みきし両参議院議員、はたやま和也道政策委員長(北海道比例予定候補)、それから私たち小選挙区予定候補に、道議の真下紀子さん、札幌市議の小形かおりさんによる北海道の交渉団でした。

交渉団が提出した要望は全部で104項目。そのすべてが北海道の切実な要望です。この中には、大間原発の建設中止関連の要望、JR江差線の廃止関連の要望、ルネサス北日本函館工場の売却と雇用問題に関する要望、海洋エネルギー関連の要望、函館・大間間フェリーへの支援に関する要望など、党函館地区委員会、渡島桧山地区委員会が発信した要望も含まれています。私も地域の実情をしっかり話してきました。写真はフェイスブックで紹介しています。

政府交渉については、はたやま和也さんや参加者のブログが詳しいです。
はたやま和也(比例)
北海道の声をとどける政府交渉(1) http://hatarogu.blogspot.jp/2012/08/blog-post_27.htm
北海道の声をとどける政府交渉(2) http://hatarogu.blogspot.jp/2012/08/2.html

鈴木龍次(5区) http://blogs.yahoo.co.jp/suzuryu52/29946212.html
菅原誠(12区) http://sugawara.jcpkitami.jp/?eid=177 
小形かおり(札幌市議) http://ogatakaori.blogspot.jp/2012/08/blog-post_29.html

対道交渉でも政府交渉でもそうなのですが、日本共産党の交渉のすごいところは、要望をストレートに伝え、しっかり実情を訴え、ときには激しいやりとりもしながら議論するというところにあると思います。

私が市議会議員をしていた時には、市と市議会の合同要望というのがあって、市の幹部と議会の正副議長、常任委員会の正副委員長が、7月の下旬の暑い時期に省庁を訪れ、要望書を持ってただひたすら頭を下げてお願いしてくるのです。私も2回か3回くらい行ったことがあります。

先乗りした若手の市職員が、事前にチェックしておいた担当の役人の部屋と机を案内してくれ、「ハイつぎ、ハイつぎ」という感じで、シャワーを浴びたように汗を流しながら、「どうかよろしくお願いします」とお願いするのです。自治体の立場というのは、国に対してこんなに弱いんだなあ、切ないなあと感じたものです。

さて、政府交渉が終わった、28日の夕方「そういえば、今日はTPP参加に反対する官邸前アクションがあるはずだ」と思いだし、現地に行ってきました。函館の五稜郭交差点より狭い官邸前の向かい側の交差点に100人くらいいたでしょうか、あるいは200人くらいいたでしょうか。

若い人たちが気負わない普段着の言葉でTPPを語っていました。「さあコールしましょう」といって、「農業つぶすTPPはいらない!」「食の安全こわすTPPはいらない!」「医療をこわすTPPはいらない!」「失業者を増やすTPPはいらない!」「賃金下げるTPPはいらない!」「デフレが進むTPPはいらない!」「大企業優先のTPPはいらない!」など、字余りのコールも軽快なリズムでこなして唱和していました。

政治のど真ん中、首相官邸前の行動の100人(200人?)の1人になれてよかったと思いました。

2012年8月29日水曜日

道南グレートジャーニー

これまでつまみ食い的に報告してきましたが、8月17日から24日まで、道南の市町を街頭演説を中心に遊説してきました。人類がアフリカを出発して、世界の各地、例えばベーリング海峡(地峡?)を渡り、アメリカ大陸を南下しその最先端まで到着したような人類の拡散を旅になぞらえ「グレートジャーニー」というのですが、この言葉を借りて、この遊説の旅を「道南グレートジャーニー」と大げさに紹介したりして楽しんできました。

街頭演説は、全体で70カ所くらいでした。私は3度函館市議会議員選挙にでたことがあるのですが、だいたい1日で30カ所~35カ所、酸欠で頭がクラクラするくらい街頭演説をします。それと比べると演説回数はすくなく移動時間がとても長かったです。その分、道南の自然を満喫しました。

漁村地域の高台の集落で何人もの人が外にわざわざ出て聞いてくれたので、おもわず演説の最後に「この広い道南の中で、このように演説カーをとめたところで、つたないわたしの話を聞いていただいたのも何かのご縁で、お会いできたことをうれしく思います」などとセンチメンタルなこともしゃべったりしました。「グレート&センチメンタルジャーニー」ですね。

街頭演説以外では、町長との懇談、農協や各団体との懇談も有意義でした。浜谷江差町長とは、道立江差病院の問題やドクターヘリの問題での意見交換をできましたし、工藤上ノ国町長が「共産党とは意見も違うが、ぶれないところがいい」といってくれたことなど嬉しいこともありました。

総選挙も近いようです。また新たな出会いを楽しみにして、がんばります。

追記
グレートジャーニーを意識して書いた「コーヒータイム-ルーツ」があります。

2012年8月26日日曜日

西日がつくる仁山のシルエット

夕方八雲に向かいました。函館新道から仁山方面を望むと、鱗っぽい雲と、西日がつくる仁山のシルエットがきれいでした。

八雲町栄浜の懇談会は、佐藤智子町議の町政報告を兼ねて 「高橋佳大さんとしゃべろう」というもの。

落部(おとしべ)のホタテ漁師の奥さんの痛切な声が胸に響きました。「ホタテの漁業者はやればやるほど借金が増えて、あとを継がせることもできない。跡継ぎがいても投資すればまた借金に。ホタテは100円切る安さ。夜中1時から次の日の昼まで働いて、腰も痛くなるし、展望がない。借金が肩にずしり。このままではみんな死んでしまう。もっと人間らしく生きたい」と。

「それでも今日佳大さんに聞いてもらってよかった」と言ってくれました。

追記
鱗っぽい雲ですが、家に帰って「空の名前」という本を見ました。巻積雲のようでもあり、高積雲のようでもあり、房状雲のようでもあり、結局よくわかりませんでした。

「空の名前」については、別なミニエッセイを書いたことがあります。

2012年8月21日火曜日

石高ゼロからコメどころになったのに・・・

今日の道南地方はこの夏最高の暑さだったとのこと。大げさに名づけた「高橋佳大の道南グレートジャーニー」の4日目の遊説は、こめどころ今金町とせたな町(旧北桧山町、瀬棚町、大成町が合併、桧山で一番人口の多い自治体となりました)でした。おかげで顔も腕も日焼けで真っ黒になりました。

同行してくれたのは、今金支部の仲間のみなさん、江上恭二前せたな町議(昨年の選挙八票差で惜しくも落選)、佐々木陸郎前大成町議、それから渡島桧山地区委員会自治体部長で江差町議の小野寺真さんでした。

江上恭二さんとはこんな思い出があります。私が94年にはじめて党の八区候補になり、たしか伊豆での研修会に出かけた時に江上さんと知り合いました。宿泊の旅館で部屋が同じになりました。たたみに2つのふとんをならべ、さあ寝ようという時、江上さんがいいました。「佳大さん、人間にとって一番大切な物は何だと思う?」とむずかしい質問をしてきました。私が「衣食住ですか」と答えると、「おれは『食』だと思うんだ。食べるものがあれば何とか生きていける。その食べ物をつくる農家がこんなに粗末にされていいのだろうか」と江上さんは言いました。(江上さんは農家です)

今日は、外崎秀人今金町長をはじめ、内ヶ島今金農協専務理事、大関北檜山農協組合長と懇談の機会があったのですが、江上さんもよく知っている方々ばかりで、さきほどの江上さんとの思い出を紹介したりして、農業問題について懇談しました。

話題になったことは、TPP参加反対はもとより、「農業の生産性をあげて農業所得を増やしたい。そうすれば、結婚して子どももつくれるようになる」、「交付金や補助金でなく、意欲を持ってがんばれば所得が増えるような農業政策が必要」、「所得補償より価格補償」など、基幹産業の農業でまちづくりを進めたいという意欲をつよく感じました。

それからもうひとつ、「TPP参加反対の決起集会では共産党のマドンナが来てくれましたね」と昨年北斗市で行われた集会に紙智子参議院議員が飛び入りで参加したことが歓迎されたこと、「紙さんは農業のことをよく知っている」「うちの町で共産党の先生をつうじてお願いしたのははじめて」など、紙智子さんのことがどこでも話題になったことは、とてもうれしかったことでした。

もともと蝦夷地を支配していた松前藩は、米が穫れないので、「石高ゼロ」の藩として出発したのですが、先人たちの苦労の中で、いま今金や北桧山はコメの町として発展しています。今金町やせたな町のいまのコメの生産高は、石高で言うとどれくらいになるのでしょう。相当な石高になるのではないでしょうか。先日も八雲の酪農の話しを書きましたが、農業を破壊するTPP参加の犯罪性をあらためてつよく認識した一日でした。

今日もまた、山々のすばらしい景観と、帰路は日本海の夕日に感動して函館に帰ってきました。

追記

松前藩の歴史については「松前藩物語」(松前町編)というマンガの本が、気軽に読めて、流れがわかります。

2012年8月20日月曜日

地球儀のプレゼント

私には、今年27歳になる娘と25歳の息子がいるのですが、息子が1年生になったお祝いに、名取のおじいちゃん(妻の父親)が、ケンカしないようにと、姉弟にひとつずつ地球儀をプレゼントしてくれました。内側から光ってライトとしても使える地球儀でした。

私が3年生になる娘に、「日本はここだよ」と赤い色がついている日本列島を示して教えてあげました。赤い色はクナシリ島、エトロフ島の南千島までしかついていませんでした。それから「本当はね、ここまでが日本なんだよ」と、赤い色がついていない北千島、ウルップ島からカムチャツカ半島の手前のシムシュ島までを指でなぞりながらいうと「どうして?」と娘。「ソ連にスターリンという悪い人がいてね、日本の領土を取っちゃったんだよ」と。娘は悔しそうに食いさがります。「どうしてどうして?」、もう泣き顔です。そんなことがありましたね。

千島列島は日本の歴史的領土ですが、日ロ領土問題の一番の基本は「領土不拡大」という大原則を破った戦後処理の不公正さにあります。これを正すことが必要です。歴代の政権はこの主張を一度もしてきませんでした。そして国際的には通用しない「クナシリ、エトロフは千島にあらず」という誤った主張に固執してきたために領土交渉は成果があがらなかったのでした。

詳しいことを知りたい方はこちらをどうぞ。

2012年8月19日日曜日

津軽海峡夏景色の旅

今日の活動は、石川さゆりの「津軽海峡冬景色」をもじって、「津軽海峡夏景色の旅」と名づけました。

木古内町から知内町、福島町、松前町と津軽海峡に沿って、西へ西へと遊説の1日でした。

松前の一番北、日本海に面した漁村で、「ここでやろうか」と宣伝カーをとめて、マイクを持ってしゃべりはじめると、あっちからこっちから「なんだなんだ」という感じで、旅芸人を迎えるように聴衆が出てくるではありませんか。うれしいことです。最後まで聞いてくれてありがとうです。消費税のことや、TPPのこと、伝わったと信じています。

2012年8月18日土曜日

ブログ記念日

俵万智さんの短歌にこんなのがありましたね。

 「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日

この短歌をもじって、こんな気分です。

 「この文がいいね」と君が言ったから八月二十日はブログ記念日

ブログを始めてからしばらく経つのですが、今日初めて「佳大さんのブログは読みやすいですね」とほめられてしまいました。人はだれしもほめられるとうれしいものです。それで今日はちょっとお疲れなのですが、ブログを更新することにしました。ホントは今日は18日なのですが、これだとあまりにも字余りなので、勝手に二十日にしました。

さて昨日から私は、噴火湾沿いに長万部から八雲、森と南下しながら、街頭演説の旅をしてきました。今日は天気もよく、駒ヶ岳の景色が最高でした。長万部では七尾町議と八雲では横田町議、竹浜前町議と森では支部のみなさんととても心強かったです。

話しは変わりますが、八雲町議の横田さんは竹浜さんの後継者ですが、竹浜さん曰く「横田さんは名前がいいんだ。喜世志というのは、みんなが喜ぶ世の中を志すって書くんだよ」と教えてくれました。よし、これはもらいだと、私も演説の中で「横田さんの名前はみんなが喜ぶ世の中を志すと書きますが、そんな世の中をつくるためには何が必要でしょうか」と導入に使わせてもらいました。

街頭演説の途中、農協の関係者の方と懇談しました。彼は開口一番こういいました。「TPP参加で一番打撃を受けるのは八雲です。八雲の農業の8割は酪農で、米は国が何とか守るかもしれません。野菜はより影響が少ないと思います。しかし関税撤廃で、チーズやバターが入ってきたら太刀打できなくなります。壊滅的です」とつらそうに言ってました。

八雲は米などは気候的になかなかむずかしく、酪農が適していて、北海道の酪農発祥の地として発展してきたそうです。先人たちの労苦を踏みつけにする民主党のTPP参加政策は本当に腹立たしいですね。「気持ちは一緒ですよ。がんばりましょう」と握手してきました。

昨日は函館の自宅に帰ってから、「今日はがんばった」と自分へのごほうびに、ビデオ録画していた『シークレットガーデン』の最終回を観ました。そうそう、ヒョンビンとハジウォンがでてくるドラマです。挿入歌がいいですね。

2012年8月13日月曜日

竹島問題を考える

韓国のイ・ミョンバク大統領が竹島に上陸するとか、韓国のサッカー選手が試合後に竹島(韓国名・独島)領有を主張するメッセージを掲げたことがIOCで問題になるとか、竹島の領有問題で日韓間に緊張が走っています。

竹島の領有問題をどう考えたらよいのか、2006年の韓国訪問の際、韓国要人と対話した日本共産党の志位和夫委員長が党本部で行った報告会での発言が、12日付けの「しんぶん赤旗」に再録されています。HPに出ていないと思いますので紹介したいと思います。

竹島問題を考える志位委員長の発言(2006.9.25)

4つめに、日韓の間にあるどんな懸案事項を解決するうえでも、歴史問題で日本が誠実な態度をとること-侵略戦争と植民地支配への反省をきちんとおこなうことが、冷静な話し合いを成り立たせる基礎になることを痛感いたしました。

たとえば、日韓の間には、竹島――韓国では「独島」と呼ばれている島の領有をめぐる問題があります。韓国では、国民のおそらく99%以上が、「独島」は韓国の領土だ、日本帝国主義の侵略によって最初に奪われた領土だと考えています。

9月5日におこなった西大門での韓国メディアとのインタビューでも、この問題への態度が問われました。9月7日におこなったハンナラ党のキム・ヒョンオ院内代表との会談でも、この問題についても「さらに関心を持ってしめしていただきたい」と要請されました。

私は、「この問題は、靖国問題などとは違った事情があります。わが党は、1977年にこの問題についての見解を発表していますが、竹島(独島)の領有権を日本が主張することには、歴史的な根拠があるとそのなかでのべました」と、まず、私たちの立場を率直に伝えました。ハンナラ党のキム・ヒョンオ院内代表との会談では、私がそこまで言いますと、「共産党がですか」と聞き返してきました。会談は一瞬、緊張しました。

私は、「そうです」と答えるとともに、「同時に、この間題が、1905年に起こったということを私たちは重視しています。すなわち韓国の植民地化する過程で、これ(竹島の日本への編入)がおこなわれたことも、まざれもない歴史的事実です。韓国はすでに外交権を剥奪(はくだつ)されており異議を申し立てる条件がありませんでした。ですから、韓国側のいい分も検討しなければならないと考えています。植民地支配への反省という問題が基礎にないと、この問題は、冷静に話し合いができないと想います。その反省のうえに、事実を付き合わせる冷静な共同研究が必要ではないでしょうか」とのべました。

そうしますと、先方から、「いいお話をありがとうございます。植民地化の過程については、私の方からあえて申し上げなかったのですが、それについて志位委員長の方から言及されたというのは、非常に意味のあることだと思います」との答えが返ってきました。この会談は、一瞬の緊張はありましたが、最後はたいへん友好的な雰囲気で終わりました。

竹島問題は、日韓間で非常にこじれている問題ですが、私は、この会談を通じて、こじれにこじれた糸をときほぐす道が見えたように思えました。1965年の日韓基本条約の締結にいたる過程で、日韓両国政府間で竹島領有をめぐって往復書簡による論争があります。

その論争の過程でも、また今日においても、日本政府は、韓国併合-植民地支配を不法なものであったと認めていません。それを認めないもとで、竹島の領有権を主張するから、韓国国民の側からは、この間題が「侵略の象徴」となってしまうのです。ですから韓国政府は、この島の領有権をめぐっては話し合いすら拒否するという状況にあります。

日本政府が、植民地支配の不法性、その誤りを正面から認め、その土台のうえで竹島問題についての協議を呼びかけるなら、私は、歴史的事実にもとづく冷静な話し合いが可能になると、これらの交流を通じて痛感したしだいです。

左利きの日

今日8月13日が「左利きの日」だということを、北海道新聞夕刊『今日の話題』の欄ではじめて知りました。「ロンドン五輪で活躍した卓球の石川佳純、バドミントンの佐々木翔、フェンシングの千田健太の各選手に共通するのは、左利きということだ」ということから記事が始まっています。実は私も左利きなんです。

20年ほど前に、英国の左利き用品店が、利き手にかかわらず使い勝手のいい道具を普及させようと制定したとのこと。右利きを前提にした道具が多いということで、左利きでは苦労する道具として、缶切り、ギター、背広のポケット、自動改札機、自販機、急須などがあげられています。

私は、道具でそんなに困ったことはありません。缶切り、急須は右手で使いますし、ギターは両手を使うので利き手はあまり関係ないような気がしますし、背広のポケット、自販機が右利き用だということはこれまで意識したことがありませんでした。左手に持った切符を右側でねじるように投入しますので自動改札機はたしかに不便です。アイロンは、電源コードが右側から出ているので、左利きには不便です。あとは野球のグローブですね。あ、それからはさみもそうですね。

道具ではないのですが、長いテーブルにたくさんの人が並んで食事をする時などは、私の左手と隣の方の右手がぶつかるので、できるだけ左端に座ります。左利きで一番苦労したのは、小学校1年生の時に、右手で字を書くよう矯正されたことです。おかげで今では、どちらの手でも字は書けます。どちらも下手ですが・・・。

私は両親も兄弟も子どもたちもみんな右利きなので、利き手というのは遺伝ではないだろうと思っています。小さい頃の脳の発達の仕方が関係しているのかなと思ったこともあります。

左利きで得をした記憶はありませんが、以前、麻丘めぐみの「私の彼は左きき」とか、ピンクレディーの「サウスポー」とかいう歌がありましたね。右利きでは歌にならないけれど、左利きは歌になるんだなあと思ったりしました。

2012年8月12日日曜日

立待岬

8月11日、私は党函館市議団長の市戸ゆたかさんと、船見町の墓地の高台にある函館朝鮮人慰霊塔・納骨堂で行われた「第22回函館朝鮮人慰霊祭」に出席し、日本の侵略戦争と植民地支配の犠牲になられた方々に手をあわせお参りしてきました。

この慰霊祭の案内状には、次のような文章が書かれていました。

「清算されていない過去は繰り返されます。植民地時代に旧国鉄・松前線建設工事に従事させられ犠牲になった朝鮮人の遺骨6体が、山野から探し出されて、納骨堂に安置されています。祖国開放後も故郷に帰れず異郷で亡くなられた朝鮮人の遺骨16体が納骨堂に安置されています。いまも墓標もない原野に捨てられたままの犠牲者の声なき慟哭に耳を傾け、せめて納骨堂に安置された先人たちの霊に多くの方が手を合わせ「恨」を克服できる日が来ることを祈ります。」

たしか朝鮮総連と日本共産党の交流が再開したのは10年くらい前のことでしたが、昨年初めて慰霊祭のご案内をいただき参加をしました。その後、イ・ホンベ委員長が私どもの事務所にごあいさつにきていただくなど、少しづつ交流も深まってきました。私は、昨年参加して、浅利政俊さんのお話しなどをうかがい、私たちのふるさとで侵略戦争や植民地支配の犠牲がどのようなものであったかを、もっともっと知らなければならないと思いました。今年2回目の参加をして、啄木の歌のことが懇親会で話題になり、その思いをさらに強くしました。

啄木の歌と言えば、私の大好きだった平和運動家の佐藤かのさん(2001年7月逝去)が書いた文章のことを思い出しました。かのさんの追悼集に載っていましたので、以下、ところどころ紹介したいと思います。

佐藤かのさんの「立待岬」から

はまなすの花が咲いている。うぐいすの声に聞き惚れながら、さわやかな潮風を胸いつぱいに深呼吸。海に沿った細道に「石川啄木一族の墓」が見えてくる。

      地図の上朝鮮国にくろぐろと
          墨をぬりつつ秋風を聴く

地図をくろぐろと墨ぬられた植民地朝鮮の人々の苦しみはたとえようもなく、今も心に重い。

坂を登りきると視界がぱ-と開ける。津軽海峡だ。波が断崖に砕け散り、エゾカンゾウの黄色い花がゆれている。

ここ立待岬は自殺の名所だった。韓国のソウルで発行されている「ハンギョレ新聞」の1990年1月4日付新年特集号には、北海道の地図も入って、「集団投身した崖は自殺の名所」と見出しが付けられ、戦前、函館の立待岬で、だまされて連行された朝鮮女性たちが売春を強要され、集団投身自殺したと報じている。ほとんどが15歳から20歳くらいの、まだ母親が恋しい年頃の乙女たちで、その叫びは、波の音までオンマー(お母さん)と泣いているように聞こえたと伝えられている。

かのさんは、「自分のふるさとでおきた、この悲惨な出来事に目を向けてもらいたくて」と、自らつくった詩を、文章のうしろで紹介していました。

※佐藤かのさんの追悼集は「続 野の花のように さとうかの追悼集」です。発行者は夫の佐藤達雄さんで2001年11月発行です。

2012年8月6日月曜日

おはよう平和行進~「精霊流し」

今日は、広島に原爆が投下されて67年目の8月6日です。函館では1984年の「核兵器廃絶都市宣言」の翌年から、8月6日の早朝「おはよう平和行進」が行われています。今年が28回目。朝7時30分に市役所の「核兵器廃絶都市宣言塔」から出発し、函館駅前の宣言塔(いまは塔から形がかわっていますが)まで行進して、原爆投下の8時15分に黙祷を行います。

雨が昨夜から降っていたので「できるかな」と心配していたのですが、開始時間にはきれいに晴れました。私も共産党を代表して決意表明して行進しました。

以前、8月6日をテーマに書いた文章を『道南新報』に書いたことがあります。紹介します。

さだまさしの自伝的小説だと言われる『精霊流し』を映画化したビデオを最近観ました。中学のころ、彼の同名の曲をよく聴いていたこともあり、タイトルに惹かれて借りたのですが、ストーリーのラストに、主人公の出生の秘密が、長崎への原爆投下による悲しい出来事とともにあきらかにされます。

さだまさしが、毎年、8月6日広島の日に地元の長崎でコンサートを開いていたのは知っていましたが、この映画を観て「そうだったのか」と思いました。

そういえば彼の曲に『広島の空』という作品があります。

「この町が燃え尽きたあの日/叔母は舞い降りる悪魔の姿を見ていた/気付いた時炎の海に/独りさまよい乍ら/やはり振り返ったら/稲佐の山が見えた」

「あの町が燃え尽きたあの日/彼は仲間たちと蝉を追いかけていた/ふいに裏山の向こうが/光ったかと思うと/すぐに生温かい風が/彼を追いかけてきた」


※この文章は、「道南新報」(2004.8.29号)に掲載されたものです。

2012年8月3日金曜日

「東京ラブストーリー」の名セリフ

先月、私を招いてのお茶の間懇談会を、ある方のお宅で開いていただきました。話題は、消費税のことや福祉のこと、町会活動から本間市議の結婚まで多岐にわたり、楽しいものでした。

話の途中、参加していた女性のケータイが鳴りました。着メロに聞き覚えがあります。小田和正の『ラブストーリーは突然に』、私も好きな曲だったので懇談のあとに聞いてみました。すると「この曲を聴くと胸がキュンとなるんですよ」と乙女のように彼女は言いました。『ラブストーリーは突然に』はテレビドラマ『東京ラブストーリー』の主題歌。たしか20年くらい前に放映されたドラマだったと思います。

主人公の赤名リカ(鈴木保奈美)の「私の好きは負けない。1グラムも減らないよ」という台詞が記憶に残っています。「好き」という気持ちを、重さのあるものにたとえて「1グラムも減らないよ」と、心憎い台詞ですね。同じ内容でも、言葉一つで伝わり方が全然違うなあと思いました。このドラマ、名台詞があちこちにちりばめられていて、小田和正の曲と重なって、「胸をキュン」とさせています。言葉って大事ですね。

さて話は変わります。最近、『日本語のレトリック 文章表現の技法』(瀬戸賢一著 岩波ジュニア新書)を読みました。レトリックとは何か、著者はいいます。「ありきたりの表現ではなく、よりぴったりとした表現、より説得的な表現、より魅力的な表現のことです。ひと工夫した言い方です」。そして次の言葉が胸に沁みました。

「たとえ真実であっても、ことば不足の場合は、ことば巧みな不実に破れてしまいかねません。」