この慰霊祭の案内状には、次のような文章が書かれていました。
「清算されていない過去は繰り返されます。植民地時代に旧国鉄・松前線建設工事に従事させられ犠牲になった朝鮮人の遺骨6体が、山野から探し出されて、納骨堂に安置されています。祖国開放後も故郷に帰れず異郷で亡くなられた朝鮮人の遺骨16体が納骨堂に安置されています。いまも墓標もない原野に捨てられたままの犠牲者の声なき慟哭に耳を傾け、せめて納骨堂に安置された先人たちの霊に多くの方が手を合わせ「恨」を克服できる日が来ることを祈ります。」
啄木の歌と言えば、私の大好きだった平和運動家の佐藤かのさん(2001年7月逝去)が書いた文章のことを思い出しました。かのさんの追悼集に載っていましたので、以下、ところどころ紹介したいと思います。
佐藤かのさんの「立待岬」から
地図の上朝鮮国にくろぐろと
地図をくろぐろと墨ぬられた植民地朝鮮の人々の苦しみはたとえようもなく、今も心に重い。
坂を登りきると視界がぱ-と開ける。津軽海峡だ。波が断崖に砕け散り、エゾカンゾウの黄色い花がゆれている。
ここ立待岬は自殺の名所だった。韓国のソウルで発行されている「ハンギョレ新聞」の1990年1月4日付新年特集号には、北海道の地図も入って、「集団投身した崖は自殺の名所」と見出しが付けられ、戦前、函館の立待岬で、だまされて連行された朝鮮女性たちが売春を強要され、集団投身自殺したと報じている。ほとんどが15歳から20歳くらいの、まだ母親が恋しい年頃の乙女たちで、その叫びは、波の音までオンマー(お母さん)と泣いているように聞こえたと伝えられている。
佐藤かのさんの「立待岬」から
はまなすの花が咲いている。うぐいすの声に聞き惚れながら、さわやかな潮風を胸いつぱいに深呼吸。海に沿った細道に「石川啄木一族の墓」が見えてくる。
地図の上朝鮮国にくろぐろと
墨をぬりつつ秋風を聴く
地図をくろぐろと墨ぬられた植民地朝鮮の人々の苦しみはたとえようもなく、今も心に重い。
坂を登りきると視界がぱ-と開ける。津軽海峡だ。波が断崖に砕け散り、エゾカンゾウの黄色い花がゆれている。
ここ立待岬は自殺の名所だった。韓国のソウルで発行されている「ハンギョレ新聞」の1990年1月4日付新年特集号には、北海道の地図も入って、「集団投身した崖は自殺の名所」と見出しが付けられ、戦前、函館の立待岬で、だまされて連行された朝鮮女性たちが売春を強要され、集団投身自殺したと報じている。ほとんどが15歳から20歳くらいの、まだ母親が恋しい年頃の乙女たちで、その叫びは、波の音までオンマー(お母さん)と泣いているように聞こえたと伝えられている。
かのさんは、「自分のふるさとでおきた、この悲惨な出来事に目を向けてもらいたくて」と、自らつくった詩を、文章のうしろで紹介していました。
※佐藤かのさんの追悼集は「続 野の花のように さとうかの追悼集」です。発行者は夫の佐藤達雄さんで2001年11月発行です。
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