2018年6月8日金曜日

忘れることを嘆くよりも覚えていることがあることを喜ぼう

久しぶりの投稿です。母の介護のことについて思ったことです。

ひとつは介護のプロの人たちはすごいなあということ。
近所の人との約束を忘れてトラブったりで、一人暮らしの母の様子がなんか変だと思ったのが5年以上前。物忘れ外来に連れて行くにも、母の激しい抵抗が一年の長きに渡り、やっと私の妻がなだめて病院へ。受診の結果、認知症の初期段階と診断されました。ところが認知症テストにほとんど答えられなかったトラウマからか、その後も受診拒否が長く続きました。

昨年になって、物忘れだけでなくお風呂に入る手順とかもわからなくなり、生活もままならないので、病院はともかく介護保険の手続きだけは進めようと思ったのでした。母は「必要ないってば」の一点張りだったんですが。

地域包括支援センターの門を叩き相談。警戒する母でしたが「80歳以上の一人暮らしの年寄りを順番に訪問してるんだってよ」と説得。来てくれた相談員さんに「私は何でもできます」的に答える母。母の言葉をひとつも否定せずウンウン聞きながら、母を話しに引き込んで行くんですね。なんなく介護認定を受けることに。神ワザだ、俺は5年間何をやっていたんだ!と思ってしまいました。

デイサービスのお試し体験の時の若い職員も、ケアマネジャーさんも、みんな神ワザの持ち主でした。世の中がみんなこんな風にできたらいいのにと思いました。

もうひとつ、認知症と言っても、忘れる一方だけではないということです。

母は今では自分の言った先からほぼすべて忘れてしまいくらい症状が進んでいます。なので5回も10回も同じことを繰り返します。しかし忘れることは100%ではないんです。新しく覚えることもあります。デイサービスの連絡帳に「今日、パークゴルフでホールインワンしましたよ」と書いていたので、それを読んだ私の弟(弟はこの3月から母と一緒に住んでくれているのですが)が聞いてみると「打った球がどこに行ったのかないんだよ。そしたら、高橋さ~ん、入ってるよって言われてさあ」と。ずいぶん克明におぼえてるんです。

昨年秋、病院受診を再開した時のこと。撮影直後の脳の写真、「これが損傷してるところです」、女医さんが指し示しながら説明してくれた部位の広いことを考えると、どこにまだ記憶をしまい込むところがあるのかと不思議です。
忘れることを嘆くよりも覚えていることがまだあることをもっと喜んだがいいと最近は思っています。

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