2010年12月27日月曜日

ドカ雪の函館 除雪体制について

函館はドカ雪となりました。昨年度も例年にない大雪があり、市民からの除雪の苦情が絶えませんでした。さて函館の除雪体制はどのようになっているでしょうか。今年の3月に一般質問した内容を紹介します。なお2011年の質問はこちらです。http://takahasikadai.blogspot.com/2011/03/blog-post_4595.html

2010年12月22日水曜日

ふたたび戸井高校の存続を求める大義について

12月6日付の投稿「戸井高校の存続を求める大義」にコメントをいただきました。私がブログを始めてから初のコメントで大変うれしく思いました。さて戸井高校の存続についての問題意識を直接12月議会の一般質問でぶつけました。以下、質問の大要です。

2010年12月21日火曜日

仏前に赤旗

まだ小学五年生か六年生だったころ金曜日が来るのを心待ちにしていました。朝早く起き、近所の家に行き、玄関前に置いてある大きなお茶箱のフタをあけ、「赤旗」日曜版と「少年少女新聞」を一部ずつとりだし、一目散に駆け出します。家に戻ると、家族のだれもが起きだす前に、日曜版の子どものページのマンガを読み、その後じっくり少年少女新聞を読んだものです。

2010年12月16日木曜日

お金がないから借りたいのに・・・入学準備金貸付金

今日は函館市議会総務常任委員会でした。提案された議案を審議して採決をしたのですが、私は「函館市入学準備金貸付条例の一部改正について」という議案に反対しました。

函館市にはお子さんの入学準備のお金のない家庭に、高校10万円以内、専修学校15万円以内、短大・大学・大学院20万円以内の貸付をする制度があります。

2010年12月15日水曜日

加速度的な生産規模の縮小の恐れ TPPの影響

11月20日の「イカール星人はTPPかもしれない」の投稿で、「輸入モノのイカとコンブのせいで、函館の漁業が壊滅的な打撃を受け、函館の夜景の一部になっている漁火もなくなり、イカソーメンも食することができなくなれば、観光都市函館の魅力も減じてしまいます。函館を侵略するイカール星人の正体はTPPかもしれません」と書きました。

現在開会されている市議会で、市長や農林水産部長の認識が表明されましたので、箇条書きで紹介したいと思います。(かなり長いです)

2010年12月10日金曜日

JR北海道 それでも経営分離の姿勢変えず

12月3日付の投稿で、新函館-函館間のJRからの経営分離問題について私の思っていることを書きましたが、これをもとに8日一般質問しました。翌朝、私は北海道新聞を見てびっくりしました。その内容は次のようなものでした。

2010年12月9日木曜日

ガゴメの次はウガノモク?

11月24日に函館工業技術センターを訪問し、マリンバイオクラスターについて興味深いお話をうかがいました。これまでは、函館の海から取れるガゴメに付加価値をつけて経済をまわしていく研究がされてきました。たくさんの成果がありましたが、ガゴメの次はウガノモクという海藻に含まれているフコキサンチンの研究がすすんでいるとのこと。

函館の私学比率は北海道でダントツの45%

今年から、公立高校の授業料が無償化されました。それでは私立高校の授業料はどうなったのか。軽減制度はどうなったのか。私立高校の比率が高い函館での課題は何か・・・などを考える上で基本的なことを函館市議会で質問しました。以下、答弁の要点を紹介します。

2010年12月8日水曜日

官製談合とその予防策について

今日函館市議会で私の一般質問がありました。その内容をすこしずつお知らせします。まずは官製談合問題です。

2010年12月6日月曜日

戸井高校の存続を求める大義

11月30日に函館市議会総務常任委員会が開催され、教育委員会から、戸井高校募集停止問題への対応方針報告され、議論がされました。私も議論に加わりましたが、その中で大切なことに気がつきました。これまで市長も教育長も市議会も一丸となって、道と道教委に対して存続を求め、募集停止が決定されたあともあきらめないでがんばることが確認されてきました。

問題は大義です。「道教委がいうように1学年4-8クラスがのぞましい学校規模で、そこまで達しない学校は教育上好ましくないが、地元が求めるなら、存続のために足並みをそろえましょう」という認識の人が少なからずいることを委員会の議論を通して知り、残念に思いました。

私は、道教委の戸井高校の募集停止決定は、日本国憲法の教育を受ける権利そのもの、教育基本法の教育の機会均等の原則そのものへの挑戦だと思います。ここが大事だと思います。

なお、委員会でしめされた、今後の方向を以下に紹介します。

2010年12月3日金曜日

函館市議会12月定例会発言通告でそろう

市議会が本日開会となり、一般質問の発言通告がでそろいました。このうち、日本共産党函館市議団メンバーの発言通告をお知らせします。

高橋佳大(12月8日15:40-16:40)
1.北海道新幹線の札幌延伸と新函館-函館間のJR経営分離問題について
2.TPPについての市長の認識と函館市経済への影響について
3.西尾市長の政治姿勢と暮らしを応援する施策について
4.戸井高校の存続について
5.函館マリンバイオクラスタープログラムの一年間の成果と今後について
6.公立高校授業料の無償化と私立高校の授業料について
7.函館市の平和行政について
(1)   世界情勢についての市長の認識について
(2)   外国艦船の入港について
8.官製談合の予防について

高橋知事のJR北海道への要請 11万署名の重み


いよいよ今日から函館市議会12月定例会が開会となります。函館市議会は初日に発言通告することになっています。私は北海道新幹線が札幌に延伸するときの函館-新函館のJRからの経営分離の問題をとりあげようと思っています。これで3回連続この問題をとりあげることになります。

2010年12月2日木曜日

戦争を知らない子供たちを唄ったころ

今年の10月24日、函館の医療者9条の会の方々が中心になって実行委員会をつくり、早乙女勝元講演会が行なわれました。私は残念ながら聞きにいくことはできなかったのですが、妻が実行委員のひとりとして参加し、講演後の懇親会で早乙女さんが「何年前だったでしょうか。函館中部高校の文化祭で講演したことがあります」と言ったそうです。それは34年前の1976年です。間違いありません。函館中部高校2年生の私がその講演をきいていたのですから。その講演は私の記憶にずっととどまり、その時のことをエッセイに書いたこともあります。最近、そのエッセイを発見したので紹介したいと思います。ちょっと気取った文章ですが・・・。

2010年12月1日水曜日

ひとすじの道 宮野千秋さんのこと

2010 年04 月28 日
宮野千秋さんとお別れする会代表あいさつ

本日は「宮野千秋さんとお別れする会」に、お忙しい中、こんなにもたくさんの方にお越しいただき、また、お花やお供え、ご香料をいただき、まことにありがとうございます。心から御礼を申し上げます。私はこの会の代表を仰せつかった日本共産党函館地区委員長で、宮野さんのあと、日本共産党函館市議団長をつとめております高橋佳大と申します。宮野千秋さんを地域で支えてくださった赤川町会のみなさま、宮野さんが議員勇退後、熱心に活動されてきた国民救援会函館支部のみなさま、また宮野さんとともに市民活動に参加されているみなさまとともに、ご遺族の希望を受けて、このような形で、会を運営させていただくことになりました。どうぞよろしくお願いします。

ドイツ・イデオロギーの思い出

「それはいけません」―私の考えについて「いい」とか「ダメ」とか言わずいつも見守ってくれている先輩の宮野千秋元市議が強い調子でいいました。最近あまり本を読んでいないことを話したときのことです。

大学時代は、仕送りが送られると、その中から一万円をもって本を買い読み漁りました。読書によって、ジグソーパズルのピースをはめこむように世界が広がったような気がしました。

2010年11月30日火曜日

スト破りの言い分

1980年11月、秋晴れの東北大学法学部のキャンパスの立て看板に「ストライキ決行中」の文字が躍っていた。毎年値上がりする授業料。苦しい家計から学費を捻出する田舎の両親の顔がちらつく。勉強好きの法学部生が授業を欠席してストに起ちあがるのはよほどのこと。ところが五百人の学生の中にたった五人だけのスト破りがでた。

2010年11月29日月曜日

スケート

父の仕事の関係で、私は中学に上がるまで釧路に住んでいました。わが家は湿原のヘリにあり、あたりには湿地が広がっていました。池のような大きな水たまりがところどころにあり、冬は凍結するので私たちはそこでスケートをして遊びました。

2010年11月28日日曜日

はったりでは必ずボロがでます

函館では、この11月から12月にかけて、3か所の地域演説会にとりくんでいます。古岡ともや道議予定候補と市議予定候補(紺谷よしたか、本間かつみ、市戸ゆたかの順で)がコンビを組んで弁士をつとめます。古岡・紺谷演説会は23日、古岡・本間は26日に終わり、12月4日に古岡・市戸演説会が行なわれます。

演説会で、私が短いあいさつの中で話そうとしていることのひとつは、それぞれの予定候補の政治家としての可能性や魅力についてです。短い時間で語ろうとすると、これがけっこうむずかしい。まだまだ努力の最中ですが、古岡さんについて語ったことを紹介します。

ご飯食べにくるかい

父が亡くなったのが三年前。肺がん発見からわずか二ヶ月のことでした。肺がんと告知され、余命一年以内と知らされたとき父は「オレの望み通りガンになった」と言いました。脳卒中で寝たきりの祖父を十年以上介護していた父は、家族に面倒をかけず一気に逝くことを人生の美学としていたのかもしれません。

2010年11月27日土曜日

空の名前

『空の名前』。本棚を整理していたら出てきました。「ほそまい雲」とか「もつれ雲」など聞きなれない雲の名前が紹介されています。空にぽっかり浮かぶ雲の名前がわかったら、目に映る景色をもっと楽しむことができると思い、以前買った本です。

2010年11月26日金曜日

ルーツ

母方のルーツは石川県だったらしいのですが、私の母は自らのルーツをあまり知らないようです。「わけあり」で北海道に渡った人たちは子孫に出自を伝えなかったのでしょう。それにしても不思議です。数世代前の先祖がどこにいたのかわからないのに、もっと昔の先祖の居場所がわかるのです。母親の母親の母親の母親の母親。五世代前の先祖にたどりつくのに百年さかのぼるとしましょう。

五十世代前の先祖は千年前。一万世代前のおばあちゃんは二十万年前に生きていたことになります。二十万年前と言えば人類進化のエポック、新人(ホモサピエンス)がアフリカで生まれたころです。

私のルーツはアフリカですなんていうと訝しがられるかもしれませんが、祖先のアフリカから日本列島へのはるかな旅を想像するのは愉快なことです。思考のものさしを長く伸ばしてみるのもたまには必要です。『コーヒータイム』 2006年.2月.12日号

追記

アフリカからの人類の旅について私が興味深く読んだのは、『人類の足跡10万年全史』(スティーヴン・オッペンハイマー著 草思社)、『5万年前-このとき人類の壮大な旅が始まった-』(ニコラス・ウェイド著 イースト・プレス)です。どちらも翻訳本です。

2010年11月25日木曜日

日高令子さんのカレンダーと丸印

韓国語にはまって早2年。家族の呼び方がおもしろい。姉のことを弟は「ヌナ」と呼び妹は「オンニ」と呼ぶ。兄のことを妹は「オッパ」、弟は「ヒョン」と呼ぶ。私には弟が一人いるが「ヌナ」はいない。「ヌナ」と呼べる人といえば、少し年が離れていたが故日高令子道議が思い浮かぶ。

2010年11月24日水曜日

ビラまき讃歌

秋の陽の傾きと降りだしてきた小雨を気にしながら、小脇に抱えたビラの束が濡れないよう、足早に新興住宅街の一軒一軒に投函していく。ポストに入れたあと、きびすを返し、十歩二十歩と玄関を離れたとき、カタッと音がして、いまとどけたばかりのビラが、家の人の手に渡ったことを耳で確認する。

2010年11月23日火曜日

「ガゴメ入り乾めん発売」の記事を読んで

11月22日付「みなみ風」(北海道新聞地域情報版)に「ガゴメ入り乾めん発売」「産官学連携し開発」「常温で5か月保存可能」「函館土産に」の見出し。函館の水産資源を活用したまちづくり、そのために活躍している工業技術センターに注目していたのでうれしい気持ちで読みました。

一九四五年十月函館市若松町キト旅館

「母上様・・・予想していたとおり、私どもの思想を迫害することは間違いであることが日本においても確認される時期が参りました。十二年目に活社会に接して感慨大なるものがあります」。

参院選終盤の(2007年)七月二十五日、畠山和也党候補が若松町の函館駅前で、日本共産党が侵略戦争に反対した党であることを訴えた時、私はこの一節を思い出しました。

宮本顕治(七月十九日逝去)と宮本百合子の往復書簡である『十二年の手紙』に載っている、顕治の、母への手紙です。網走刑務所を出所し上京する途中、暴風雨のために乗船できず、若松町のキト旅館に二泊した一九四五年十月十一日に書かれたものです。

戦争と植民地支配が進行した現場で命がけでこれに反対した日本共産党、その幹部ゆえの受けた長期投獄。「日本人の名誉を救った」(加藤周一氏の追悼文)党の一員であることは、入党以来変わらぬ私の誇りです。(『コーヒータイム』 2007.8.19号)

追記 「十二年の手紙」の最後に宮本顕治が函館から発信した手紙があったことを知り、15年くらい前だったでしょうか、私の先輩である宮野千秋函館市議(当時、故人)に教えたら、宮野さんは函館の古い地図をもとにその旅館がどこにあったのか調べていました。でもその結果がどうだったのかはわかりません。

追記(2012年10月12日)
キト旅館の場所ですが、本間勝美議員が古い函館の地図を博物館で見て、函館駅前のロワジールホテルが建っているところだと発見しました。さすがホンマップ。このニックネームは本間勝美さんの名前と地図のマップをくっつけたもので、本間さんが函館のまちのことなら何でもしっていることからつけられたものです。

追記(2012年10月12日)
宮本顕治さんが亡くなったのは2007年7月19日、畠山和也さんが参院候補として訴えたのはその一週間後です。それも函館駅前、宮本顕治さんゆかりの場所でした。

2010年11月22日月曜日

日本の消費税は世界の中でとても高い

函館民主商工会主催の税金講演会「日本の税制のあるべき姿を考える」(講師は浦野広明税理士)に参加してきました。なるほどと思ったことがたくさんありましたが、そのうち2つのことを紹介します。

失くしたグローブと父の思い出

秋の夕陽を背に長く伸びた自分の影を踏みながら小学校三年の私はトボトボと家路についていた。どこで落としたのか、母に買ってもらったばかりの大切な野球のグローブが半日探し続けても見つからず、お気入りを失ったやるせなさと、母への申し訳なさとで足取りは重かった。うまい言い訳も思いつかなかった。

2010年11月21日日曜日

倍音

私は大学時代混声合唱団に籍を置いたことがあります。そのサークルの先輩が身近にいることがひょんなことからわかりました。函労会議前議長の武田和男さんです。十歳年上の先輩です。「小田和正っているでしょ。彼が三年生のとき僕が一年生。一緒に歌っていたんですよ」と教えてくれてびっくり。有名な音楽グループ『オフコース』の小田和正といえば私の世代であればだれでも知っています。

2010年11月20日土曜日

イカール星人はTPPかもしれない

いま大きな問題になっているTPP(環太平洋連携協定)加盟で日本の産業はどうなるのか、そして函館の経済はどうなるのでしょうか。昨日、私たち日本共産党函館地区委員会と党議員団は、漁業関係の団体におじゃまし、その影響についてお聞きしました。すると「函館の漁業の水揚げはイカが4割、コンブが4割、これが大打撃を受ける」とのこと。

青葉通の一人歩き

アーケード街にある仙台市一番町の喫茶店。私はそこを高揚した気分であとにすると、下宿がある川内方面に向かって、青葉通りをゆっくり歩いていました。私が19歳になったばかりの大学一年の残暑の秋。31年前のことです。大学の民青同盟の二人の先輩に誘われ入ったその喫茶店で、私は共産党への入党を呼びかけられました。

2010年11月19日金曜日

ホヤと春菊

私は食べ物の好き嫌いは少ないほうだと思います。でもどうしても食べられないものがありました。『春菊』と『ホヤ』がダメでした。何か毒物でも口に入れたように感じ吐き出したものでした。母親の影響かもしれません。子どものころわが家の食卓に『春菊』も『ホヤ』も乗ったことはありませんでしたから。

2010年11月18日木曜日

オンブラ・マイ・フ

八月六日の夜、広島の街を一人で歩いていました。原爆ドーム前を流れる元安川にたくさんの灯籠が浮かび、川面をゆっくり流れていました。ライトアップされた原爆ドームの前ではオーケストラの路上ライブ。おごそかな曲が心に沁み、しばし足をとめて聴き入りました。十数年以上も前、原水爆禁止世界大会に参加したときのことです。

2010年11月17日水曜日

学童保育の陳情が不採択

残念なお知らせです。函館保育連絡会からの陳情のうち、市議会総務常任委員会で審査していた学童保育関連の要望項目(①学童保育所の安定運営と専任指導員複数配置のための予算の増額を求めます。②学童保育の保育料減免分の補助を新設してください)が不採択となりました。賛成は私(共産党)と民主・市民ネット。反対は新生クラブと市民クラブ、公明党でした。この2,3年、学童保育を放課後子ども教室に吸収させることを主張する声が議会でも出てきて、このような陳情がなかなか採択されない状況となっています。教育委員会が学童保育と放課後子ども教室とは役割が違うという立場に立っているのが救いです。以下長くなりますが、学童保育と放課後子ども教室の関係についての私の一般質問の会議録の大要を紹介します。

カンブリア紀の大爆発

「鳥類は恐竜から進化した」―生物進化を扱った科学モノのテレビ番組は必ずビデオで保存します。中学の理科の授業で、「始祖鳥は爬虫類と鳥類のミッシングリンクだ」と先生が話したときのワクワク感を、ビデオを繰り返し見ながら甦らせるのが楽しいのです。本屋に行っても、自然にその種の本を手にとってしまいます。

2010年11月16日火曜日

漢字かなカナ混じり文

「私は今日AM8時ハンドマイクで演説しました」―アルファベットだけの英語やハングルだけの韓国語と比べ、漢字とかなを混ぜて表記できる日本語は視覚的にとても読みやすいと思います。カタカナ、アルファベット、数字も入るとなおさらです。妻が最近山崎豊子の『華麗なる一族』をものすごいスピードで読んでいました。

西尾函館市長に予算要望

今日、「来年度予算編成ならびに市政執行についての要望書」と「補正予算要望」を市長に提出し懇談しました。党函館地区委員会と函館市議団を代表して「市長とじっくり話したくて1時間の時間をとってもらいました。西尾市政の評価すべきところは評価し、問題点や課題は率直に指摘してきました。現在、私たちも西尾市政の検証を私たちなりに進めていますが、その到達点に立って、これだけは最低限実現してほしいという要望をまとめてきました。これ以外の要望は第2次分として別な機会に提出します」と前置きし趣旨説明しました。西尾市長は「ぶつかるところや意見の違うところ、議案に反対されることもあるが、対話や議論のできる政党としてありがたく考えています」と語り、意見交換をしました。党側の出席は、私、高橋佳大、古岡ともや道議予定候補、紺谷よしたか議員、市戸ゆたか議員、本間かつみ市議予定候補の5人でした。要望項目は次の通りです。よろしければご覧ください。(なお「補正予算要望」は省略します)。

2010年11月15日月曜日

かたつむりの背のび

「蝸牛(かたつむり)が背のびをしたように延びて、海を抱え込んでいる函館の街」―高校の地理の授業で、函館の街が乗っている砂州のことをトンボロと習った記憶があります。くびれた独特の地形が夜景を美しいものにしているのですが、きっと多くの文学作品がこの地形を形象化していると思います。

2010年11月14日日曜日

雪の女王と素数

2、3、5、7、11、13・・・などの数を素数(そすう)といいます。

「1とその数自身以外ではわり切れない素数」のことを、天才数学青年テウンは「仲間がいない素数はプライドが高くて孤独なんだ」と、約数を仲間にたとえ、恋人のボラにしみじみと語りました。

2010年11月13日土曜日

となりのトトロ

となりのトトロ」。わが子も大好きでした。そしてわが孫も大好きです。何度も何度も見て、ストーリーの細かな展開も、セリフもしぐさも、みんな覚えているのに、それなのにまた見ちゃうのです。

2010年11月12日金曜日

ヨイトマケの唄

昨年最高の贅沢『iPod』を手にし音楽を聴いていて「魂の唄」と出会った。「姉さんかむりで/泥にまみれて/日に灼けながら/汗を流して/男にまじって/綱を引き/天にむかって/声をあげて/力の限りに/うたってた/母ちゃんの働くとこを見た」―サザンの桑田佳祐が熱唱する「ヨイトマケの唄」。

2010年11月11日木曜日

政治の訓読み

「山」の音読みは「サン」、訓読みは「やま」です。漢字を日本固有の言葉である和語で読むのが訓読みですが、それでは「脳」の訓読みは?「なづき」と読むそうです。『訓読みのはなし』という本に「消えた和語」として紹介されていました。

2010年11月10日水曜日

英語の綴りと発音が一致しないのは?

生まれて初めてならう外国語にわくわくした中学一年生。でも英語の単語は発音と綴りが一致しないので大変。

「オレンジ」の綴りは「ОRANGE」、「オランゲ、オランゲ」と呟きながら何度もノートに書いて覚えます。忌わしく感じられる英語の発音と綴りの不一致も歴史を遡れば一致していたそうです。

『英語の歴史』(講談社現代新書)を読んで知りました。「大母音推移」とかで発音が変化し綴りから離れていったとのこと。理由がわかれば英語のむずかしさも少しは許せてきます。

何かの理由がわかればうれしくなります。なぜ、日本の国は経済大国なのに、こんなに貧富の格差が大きいのか、なぜ、日本の外交は軍事優先一本やりで情けないのか、やはり理由があります。

同じ資本主義国でも日本の資本主義は「2つの異常」でゆがめられているからです。英語のむずかしさは許せても、日本の異常は許せませんね。詳しくは「日本共産党綱領」の御一読を。
『コーヒータイム』2010.2.28号)

2010年11月9日火曜日

浅黄色ってどんな色?

色の名前と実際の色-わかっているようでわかっていないことも案外あるものです。

「あなたの愛した母さんの/今夜の着物は浅黄色/わずかの間に年老いて/寂しそうです」―さだまさしの『精霊流し』の一節です。高校生の頃、ギターを弾きながらよく口ずさんだのですが、「浅黄色」がどんな色かは知りませんでした。

今年(2009年)ひょんなことから「浅黄色」が話題に。総選挙の投票用紙の色を選管に聞いた回答がこの色。さっそく党支部のみなさんにお知らせしました。でも叱られました。「そんな色は知らない人が多いから混乱する」と。知らないのは自分だけではないと、その時わかりました。

最近、本屋の棚に『水の名前』という本をみつけました。手にとってめくると「水浅葱」のページに美しい写真と説明書きがありました。「水浅葱は薄い浅葱色。浅葱色は薄い青、ライトブルーを指す。浅黄色とも書いたので、色名に混乱が生じた」と。

「名前」は内容や魅力とともに伝えたいと思いました。色の名前も、政党の名前も。(『コーヒータイム』2009.12.20号)

追記 新撰組の羽織の色は浅黄色だそうです。事務所の人から教えてもらいました。

2010年11月8日月曜日

ヒマリバイバイ

2008年私はおじいちゃんになりました。1年ちょっと孫のヒマリと一緒に過ごしました。娘夫婦とヒマリのことを書いた『コーヒータイム』を紹介します。

2010年11月7日日曜日

わが友 伊藤功一郎君のこと

8月の「しんぶん赤旗」に、宮城県多賀城市市議会の補欠選挙(定数1)で、共産党の戸津川晴美候補が僅差で競り勝ったことを知らせる記事がでていました。私は仙台の大学を卒業した後、塩釜市、多賀城市で民主青年同盟や共産党の専従活動をしていました。ですから万歳する方々も藤原益栄議員団長はじめ、みんな知った顔です。この補選は、共産党の伊藤功一郎市議の逝去にともなうものでした。

2010年11月6日土曜日

『道南新報』からブログへ

いつからだったでしょうか。『コーヒータイム』というミニエッセイを、地域新聞『道南新報』に2カ月に1度ほど連載していました。このたび、『道南新報』のエッセイは卒業することになり、別な形で活動報告や、考えたこと、思ったことを発信したいと思いブログをはじめました。まずは『コーヒータイム』の最終号を、それからランダムにバックナンバーを紹介したいと思います。