2010年11月29日月曜日

スケート

父の仕事の関係で、私は中学に上がるまで釧路に住んでいました。わが家は湿原のヘリにあり、あたりには湿地が広がっていました。池のような大きな水たまりがところどころにあり、冬は凍結するので私たちはそこでスケートをして遊びました。



学校のグラウンドは冬になると全校生徒が足で雪を踏みしめ、その上に先生が水をまいて、一周200㍍のスケートリンクに姿をかえます。体育の時間はすべてスケート。冬の運動会もありました。私は幼稚園児の時にスケート靴を買ってもらいましたが、長く使えるようにと、それは大きな靴で綿をつめて履いていました。結局三年生まで使いました。零下二〇度までシバレル日は臨時休校になるときも。しかし寒いながらも楽しい日々でした。


わが町会で今度の冬休みに企画した雪中運動会に子どもたちがたくさんきてくれるといいなと願っています。(『コーヒータイム』2005年12月11日号)


追記 
父は江南高校という学校の教員でした。わが家は、私が3~4歳のころ、釧路市の鶴ヶ岱というところから愛国という地域の教員住宅に引っ越しました。家の前は草ぼうぼうの湿地で、その向こう側に第一高校が見えました。蛙の卵をさがしたり、探検をしたり、スケートをしたのはその場所です。私が通った小学校は光陽小学校といいました。私は中学校にあがったとき、父の転勤で大野中学校に入学し、その後函館の深堀中学校に転校しました。10年以上前になりますが、釧路市議選の応援に行った時、この地域は変貌をとげ、湿地の上に巨大な団地ができていました。

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