2010年11月8日月曜日

ヒマリバイバイ

2008年私はおじいちゃんになりました。1年ちょっと孫のヒマリと一緒に過ごしました。娘夫婦とヒマリのことを書いた『コーヒータイム』を紹介します。

里帰り出産のため、娘のアサヒが名古屋のアパレル会社を辞めて函館に帰省したのがおととし(2007年)の暮れ。明けて2月に2600㌘のヒマリが誕生。名古屋でのこれからの生活に備えていた時、派遣先の職場で「死ぬほど恐ろしい目にあった」と、アサヒの夫の「トモヤ」君からの連絡。「命あってのモノダネ」と私たち夫婦はトモヤ君を説得。函館市民になった娘夫婦とヒマリ。失業と将来の不安を抱えながらもヒマリ中心の賑やかな五人家族の生活。それからおよそ一年。仕事のない函館。「実家の宮城に帰って仕事を探します。暮らしのメドが着いたらアサヒとヒマリを迎えに来ます」とトモヤ君の神妙な顔。その後「何とか仕事についた」と実家の町からトモヤ君。休暇がとれずアサヒとヒマリで宮城に。3か月ぶりにトモヤパパと対面したヒマリはちょっと不思議な顔をしたけどじきにダッコされたと。トモヤ君よかったね。そしてヒマリバイバイ。(『コーヒータイム』2009.7.12号)
追記 あれから1年半、トモヤ君はNTTの下請会社で光通信の工事の仕事をしています。接客態度全国ナンバーワンで表彰されたとのこと。でも最初の約束とは違い、いまでも日給いくらの非正規社員のままです。

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