2010年11月7日日曜日

わが友 伊藤功一郎君のこと

8月の「しんぶん赤旗」に、宮城県多賀城市市議会の補欠選挙(定数1)で、共産党の戸津川晴美候補が僅差で競り勝ったことを知らせる記事がでていました。私は仙台の大学を卒業した後、塩釜市、多賀城市で民主青年同盟や共産党の専従活動をしていました。ですから万歳する方々も藤原益栄議員団長はじめ、みんな知った顔です。この補選は、共産党の伊藤功一郎市議の逝去にともなうものでした。
おそらく市長選挙とセットだったために、死去からしばらくしての選挙になったものと考えられます。伊藤功一郎君は私の青年運動時代の仲間でした。それだけにこの勝利の喜びは私にとって格別なものでした。伊藤功一郎君のことを書いた『コーヒータイム』を紹介します。


伊藤功一郎君を見舞うため、仙台駅から仙石線に乗った。塩釜市・多賀城市の境界にまたがって聳える坂総合病院、そのホスピス病棟で妻の真弓ちゃんとばったりあった。彼女は、「しんぶん赤旗」記者の千葉洋君と私をみてちょっと驚いたけど、すぐに病室に案内してくれた。功一郎君は衰弱していた。民青時代の仲間の久しぶりの来訪に、真弓ちゃんの力を借りて何とか身体を起こすと、とつとつと病状を語り始めた。「功一郎君、そんな説明はもういいんだよ。東京と函館から最期の別れにきたんだ」と言いそうになるのをこらえると、相変わらずの不器用さと誠実さに涙がこぼれそうになった。多賀城高校ラグビー部主将、民青塩釜地区委員長、多賀城市議会議員をつとめたわが友、49歳の伊藤功一郎君の訃報が届いたのは、それから二週間たったころだった。8月8日定数一の多賀城市議補選で戸津川晴美候補が僅差で競り勝った。功一郎君の議席が守られた。(『コーヒータイム』2010年8月22日号)

3 件のコメント:

  1. 伊藤功一郎の息子の伊藤真理人です。
    記事読ませていただきました。あの時は何も出来ずただ父の死を強制的に受け入れるしかありませんでした!あの時はたしかに悲しかったですが、今思うと父にしてあげられることいっぱいあったなとつくづく思います。
    今、僕は生きて母真弓と弟和磨、妹いずみ会えてます。家族がいる幸せ感じてます!
    これからもっと家族幸せになるして行くので暖かいご声援よろしくおねがいします!

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    1. 真理人くん、お久しぶりです。と言っても僕のことを知らないと思います。僕がまだ塩釜にいたころ、真理人くんは、塩釜地区委員会の事務所を元気に走り回っていたので、僕はしっかり覚えてますよ。お母さんの真弓さんも、家族のみなさんも元気でしょうか?もしかしたらまた会えることがあるかもしれませんね。その時を楽しみにしています。真理人くんからコメントをもらえるなんて感激でした。最近、ブログの更新をサボっていたので、気がつくのが遅くなりごめんなさい。

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  2. 母も兄弟も元気です!
    ただ父方の祖父母が体調がよろしくなく病院通いです。年齢も80超えてますから、心配です。
    たまに顔出すようして、なんとか元気になってもらおうと必死です(^ ^)

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