2010年12月21日火曜日

仏前に赤旗

まだ小学五年生か六年生だったころ金曜日が来るのを心待ちにしていました。朝早く起き、近所の家に行き、玄関前に置いてある大きなお茶箱のフタをあけ、「赤旗」日曜版と「少年少女新聞」を一部ずつとりだし、一目散に駆け出します。家に戻ると、家族のだれもが起きだす前に、日曜版の子どものページのマンガを読み、その後じっくり少年少女新聞を読んだものです。

大学生になった私は「赤旗」日刊紙を読み始めました。私は「赤旗」の記事をせっせと三畳の下宿の壁いっぱいに張り出し、赤線を引いて勉強し、生まれてはじめてビラを書きました。福田内閣のもとで浮上した有事立法に反対するビラでした。

やがて父も私も弟も党員として「赤旗」配達をするようになりました。「何も家族三人で配達しなくてもいいでしょ」と小言を言っていた母も父亡き後、毎日仏前に「赤旗」を置くのが日課になっています。今日は「赤旗」創刊七十六周年記念日。(『コーヒータイム』 2004年.2月1日号)

追記 この文章を書いたのが2004年ですから6年前、父が亡くなったのが2000年ですから10年前です。今から12-3年前に行なわれた釧路市議選の応援に行った時、子どものころ「赤旗」日曜版をとりにいったお宅、そうお茶の箱を玄関のところに置いてあったお宅のUさんと再会いたしました。

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