大学生になった私は「赤旗」日刊紙を読み始めました。私は「赤旗」の記事をせっせと三畳の下宿の壁いっぱいに張り出し、赤線を引いて勉強し、生まれてはじめてビラを書きました。福田内閣のもとで浮上した有事立法に反対するビラでした。
やがて父も私も弟も党員として「赤旗」配達をするようになりました。「何も家族三人で配達しなくてもいいでしょ」と小言を言っていた母も父亡き後、毎日仏前に「赤旗」を置くのが日課になっています。今日は「赤旗」創刊七十六周年記念日。(『コーヒータイム』 2004年.2月1日号)
追記 この文章を書いたのが2004年ですから6年前、父が亡くなったのが2000年ですから10年前です。今から12-3年前に行なわれた釧路市議選の応援に行った時、子どものころ「赤旗」日曜版をとりにいったお宅、そうお茶の箱を玄関のところに置いてあったお宅のUさんと再会いたしました。
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