2016年5月20日金曜日

柳広司『象は忘れない』を読んで


最近、「小説っていいなあ」と思ったのは、桜木紫乃の短編集『起終点駅』と柳広司の『象は忘れない』。これも短編集です。短編だけど連作のようになっていて、いずれも3・11の原発事故をテーマにしており、胸に迫ってくるものがありました。

本のタイトル『象は忘れない』は、内容とまったく関係がないようですが、英語のことわざからとっているそうです。「象は非常に記憶力が良く、自分の身に起きたことは決して忘れない」という意味とのこと。

ひとつひとつの作品のタイトルも内容との関係が私にはわからないのですが、「道成寺」「黒塚」「卒塔婆小町」「善知鳥」「俊寛」のタイトルは能楽の謡本からきているとのこと。

これらのことは、「しんぶん赤旗日曜版」4月10日号のインタビュー記事を読んで知りました。

この記事はよくできているので、もう少し引用してみたいとおもいます。

3・11後、メディアは原発事故について大量の情報を流しました。しかし、あまりに大量の情報は人聞にとって無に等しくなってしまう。そうしたなか、人が物言を記憶するためには物語の力が必要なのではないかと思いました」
「原発事故という人類史的な事件が、過去のものになってしまっていいのか。世界史的にいえば、この事故はアウシュビッツやチェルノブイリと同じ枠にあてはまるものだということが、いまの日本の社会では見えにくい。情報の重みの大小が分かりにくくなってしまっています。そういうなか、私にはいまの社会はこう見える、と提示していくことは、いまを生きる小説家として、なすべき仕事のひとつだと思います。どうしたら小説として読んでもらえるものになるか。毎回そうですが、へとへとになるまで力を尽くしました」
「東日本大震災と福島第1原発の事故は、分けて考えなければならないと思います。地球上にヒトがいなければ、地震があっても原発事故は起こらなかった。だからヒトは原発事故に責任をとらなくてはならない。自然災害と一緒に語られることにたいして違和感をもっています。ヒトが責任をとるべさこととしての『フクシマ』。それを小説として書いたたのが、『象は忘れない』 です。
小説の可能性ということをあらためて考えさせられた一冊でした。

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