2016年4月17日日曜日

「貧しい若者の命を戦争で消耗する」 布施祐仁『経済的徴兵制』(集英社新書) 学習ノート

布施祐仁『経済的徴兵制』(集英社新書)を読んでわかったこと

1.「経済的徴兵制」というのは、「徴兵制」のあり方のひとつではなくて、貧乏ゆえに軍隊に志願せざるをえない「志願制」の別名だということ
序章「経済的徴兵制」の構図 「貧弱の命を「消耗」する戦争」から
「経済的な利点を餌にしてリクルートするのは、民間企業でも普通にやっていることでは?」と思う人はいるかもしれない。

しかし、自衛隊も含めて国防を担う軍事組織には、民間企業と決定的に異なる性格がある。それは、「国家の命令により命を懸けなければならない仕事」だという点だ。
2000年代の中頃、アフガニスタンとイラクでの「対テロ戦争」が泥沼化し、米兵の犠牲者がうなぎ上りに増えていった時期のアメリカは、まさに「経済的徴兵制」だった。
大学に進学するための資金も医療保険も持たない貧困層の若者たちが、それらを得るために軍に入隊し、アフガニスタンやイラクの戦場に送られて負傷したり命を落としたりした。幸運にも生きて帰還しても、PTSDなどで苦しみ、家族やコミュニティから孤立し、除隊後も仕事に就けずホームレスになることも少なくない。・・・・・・によれば、2014年1月現在、約5万人の退役軍人が路上生活を送っている。
戦争は、大量の武器や弾薬とともに人間の命も消耗する。そして、消耗される命のほとんどは、愛国心に燃えた若者ではなく、教育を受けたり病院にかかったりする基本的な権利すら奪われている貧困層の若者なのである。
このように、貧しい若者たちの命を「消耗」することで成り立っているのが、アメリカが続ける戦争なのである。この国では、巨大な貧困が巨大な戦争を支え、巨大な戦争がさらに巨大な貧困をつくり出している。
日本は、そのアメリカのあとを追うように新自由主義的な構造改革を推し進め、かつては「一億総中流」と言っていたのが、気付いたらあっという間に世界有数の格差社会になってしまった。
そして、今度は、海外で武力行使はしないという「専守防衛」のストッパーを外し、軍事でもアメリカの後を追いかけようとしている。
日本も、アメリカのように「貧しい若者の命を戦争で消耗する国」になってしまうのか。「経済的徴兵制」の足音は、すぐそこまで近づいている。
2.志願制には、そもそも「経済的徴兵制」の要素がある?「徴兵制」廃止に反対した人、徴兵制復活を主張した人
第1章「徴兵制」から「経済的徴兵制へから
(選抜徴兵制から)志願制に切り替えた場合、いっそう不公平になると徴兵制廃止に反対する連邦議会の議員もいた。
ケネディ元大統領の弟でリベラル派のエドワード・ケネディ上院議員は「志願兵になるのは貧乏人だけで、金持ちの起こす戦争を貧乏人が戦うことになる」と反対した。(1973年)
ニューヨークのハーレム出身の黒人議員で、自身も陸軍兵として朝鮮戦争に従軍した経歴を持つランゲル氏は、徴兵制復活法案を提出する理由を次のように語った。
「イラク戦争は、貧しい人々やマイノリティに対する『死』という名の課税である。これまでの戦争でも、戦死者は黒人とヒスパニック系の比率が高く、彼らの多くは経済的困難から脱出するために軍に入隊している」
ランゲル氏は、イラク攻撃を容認する決議に賛成した連邦議会議員のうち、軍務に就いている子弟を持つ者はひとりしかいないと指摘し、議員や政府の高級官僚、大企業のCEAなどの子弟たちが危険な状況に置かれるのであれば、彼らはもっと開戦に慎重になるはずだと主張した。
 3.モラル・インジャリー(良心の呵責障害)という病気がある
第5章戦地へ行くリスク 消し去れない「モラル・インジャリー」から
アメリカでは近年、帰還兵の精神疾患のひとつとして、PTSDと区別して「モラル・インジャリー」(良心の呵責障害)が注目されている。自分の道徳心に反したことをした時に起こる障害だ。
2004年にイラクに派遣され・・・「ファルージャ総攻撃」に参加した元海兵隊員のロス・カプーティさんも10年以上たった今も「モラル・インアジャリー」に苦しんでいる。
「しかし、政府が開戦の理由とした「大量破壊兵器の脅威」は大嘘だったのです。この戦争は、自衛のためでも、イラクの民主主義のためでもなく、侵略戦争でした。それを知った時、僕の戦争の苦しみが始まりました。直接銃でイラク人の人々を殺すことはありませんでしたが、僕の通信の情報に基づいて空爆などが行われ、市民が無差別に殺戮されたのです。僕は明らかに殺戮に加担したのです」。
「日本はアメリカの攻撃的な軍事行動にいっそう巻き込まれることになるでしょう。多くの自衛隊員が戦闘に参加し、PTSDやモラル・インジャリーに苦しむようになるのではと心配しています。彼らに僕と同じ苦しみを味わってほしくありません」
4.自衛隊員を確保するために政府は貧困と格差を広げているのか?
第7章 「政・財・軍」の強固なスクラム 国策のための資源から
「経済的徴兵制」に関して、将来「戦死者」がでるようになっても自衛官を確保できるように、政府は意図的に貧困と格差を広げるような政策をとっているとの言説をよく目にする。私は、これを裏付けるようなファクトに出会ったことがないので懐疑的ではあるが、こうした言説が世の中に浸透するのには理由があると思う。
政府が自衛隊(自衛官の命)を海外での国益追及のツールとして活用しようとしていることと、国内で非正規雇用を増やして貧困と格差を広げるような政策をとっていることには、底流に共通する思想がある。それは、国民一人ひとりの人権や生命より国策や国益を優先させる思想である。国民を、国策や国益実現のための「資源」として捉えているのだ。そこが共通しているので、二つの政策は別々ではなく一体のものとして映るのである。
国家が国民を「資源」として「消費」する、その最たるものが戦争だ。そして、国家対国家の総力戦ではなく、ゲリラなどを相手とする非対称戦争が主となった「現代の戦争」では、アメリカがそうであるように、戦地に送られ犠牲となるのは「一部の(貧困な)国民」なのである。
5.安保法制で「経済的徴兵制」の意味合いは変わった
おわりにから
自衛隊の海外での軍事行動を大幅に拡大する安保法制が成立したことで、「経済的徴兵制」の意味合いは、専守防衛の時代から大きく変わった。
「経済的徴兵制」の何が問題か。答えははっきりしている。国土防衛ではなく、富める者たちの利益のために行われる海外での戦争で、貧しき者たちの命が「消費」される。それは不正義以外の何物でもない。
使い捨てにされてよい人間など、この世界に存在しない。まして、これから本格的な少子高齢化を迎える日本には、貴重な若年労働力を使い捨てにする余裕などこれっぽっちもないはずである。

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