2016年1月14日木曜日

私が住んでいる函館市北美原という地名は昔、水穴と呼ばれたそうです

私の住んでいるのは北美原という地域です。この地域はもともと亀田中野町といいました。変わったのは、ここ20年くらいの間の出来事です。亀田中野町の前は中野町だったのでしょう。旧函館市にも中野町があったので、混同することを避けて合併時に亀田中野となったのだと思います。

そして、亀田にはもともと6つの村がありました。桔梗村、亀田村、石川村、赤川村、神山村、鍛冶村です。その中野町は、石川村だったのか、赤川村だったのか、おそらく石川村だったのだと思います。

このようなことや「亀田」のことを以前のブログで書いたことがありました。
五稜郭の戦いの始まり 「五稜郭の戦い 蝦夷地の終焉」その5
「亀田市と千歳市 「鶴は千年、亀は万年」つながりの姉妹都市」

さて話はこれからなのですが、私たち赤川・北美原支部の秋田孝一郎(90)さんがいうには北美原地域は、石川村ではなくて、亀田村だったこと、そして私がいま住んでいる北美原というところは、昔「水穴」と呼ばれていたとのこと、その地名のこと、はじめて聞きました。

「水穴」というと、「水が出る穴」=「泉」があったのではないのか、まったくの私の推測ですが・・・。横津の山なみがあり、扇状地があり、その扇端には泉があると聞いたことがあります。もしかしたら、そういうことなのかもしれないと。これから調べてみたいと思います。


さて札幌についてこういうことを読んだことがあります。札幌の扇状地の扇端は北1条~北2条あたりでそこから泉が湧出し、その水を利用してビールをつくったと。それがサッポロファクトリーなんだそうです。榊原正文著「アイヌ語地名釣歩記」(北海道出版企画センター、2006年)に書いていました。

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