このようなことや「亀田」のことを以前のブログで書いたことがありました。
→五稜郭の戦いの始まり 「五稜郭の戦い 蝦夷地の終焉」その5
→「亀田市と千歳市 「鶴は千年、亀は万年」つながりの姉妹都市」
さて話はこれからなのですが、私たち赤川・北美原支部の秋田孝一郎(90)さんがいうには北美原地域は、石川村ではなくて、亀田村だったこと、そして私がいま住んでいる北美原というところは、昔「水穴」と呼ばれていたとのこと、その地名のこと、はじめて聞きました。
「水穴」というと、「水が出る穴」=「泉」があったのではないのか、まったくの私の推測ですが・・・。横津の山なみがあり、扇状地があり、その扇端には泉があると聞いたことがあります。もしかしたら、そういうことなのかもしれないと。これから調べてみたいと思います。
さて札幌についてこういうことを読んだことがあります。札幌の扇状地の扇端は北1条~北2条あたりでそこから泉が湧出し、その水を利用してビールをつくったと。それがサッポロファクトリーなんだそうです。榊原正文著「アイヌ語地名釣歩記」(北海道出版企画センター、2006年)に書いていました。
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