2011年2月14日月曜日

えびす顔の悲しい思い出 『大地の子』に寄せて①

塩釜の加藤シゲさん、お元気ですか。僕の方は函館に来てもう2年になります。赤旗の配達をしているシゲさんに「ひざの痛みはナジョですか」と聞くと、「なあに年だからね」と、まあるい顔をえびすさんのようニコニコさせ、決まって遠慮がちな言葉を返してきましたね。そんなシゲさんを今でもよく思い出します。

ひょんなことからシゲさんが中国語を話せることを知った僕は、悲しい思い出を根掘り葉掘り聞いてしまいましたね。満蒙開拓団の営農指導員であった夫と「満州」にわたったこと、夫が召集され、ソ連軍の参戦による逃避行の中でお子さんを病気で失ったこと、その後、八路軍の要請で看護助手として7年間も中国に足止めをくったこと、そしてやっと故郷の山形に帰るとすでに夫が再婚していたこと。

僕は胸がつぶれる思いで聞きました。シゲさんは『大地の子』をどういう思いで見ましたか。これから僕の感想を書きます。(『こんにちは佳大です』1996.6.2号)

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