2012年11月11日日曜日

津軽海峡をはさんでの握手

11月11日は東京で「1000000人大占拠」の原発ゼロをめざす行動があり、全国各地でこれに呼応する集会やデモがありました。全国の人々が同じ日に同じ思いで行動するなんてなんとすばらしいことでしょうか。

あわせて感慨深いのは、津軽海峡をはさんで北海道の函館市と青森県の大間町の両方で同時刻に集会が開かれたことです。思い出すのは、9月に、原発をなくす道南連絡会のみなさんと下北半島原発見学ツアーに行った時のこと、青森のみなさんと交流する懇親会がありました。



そのときにお会いしたのが、日本共産党下北地区委員会の委員長さん、「大間原発を人間の鎖で包囲しませんか」という大胆な提案もされました。委員長さんとしっかり握手。中央でも、下北でも、函館でも、どこでも「大間原発反対」を言える政党の一員であることを誇りに思ったものです。11月11日の行動は、津軽海峡をはさんでの青森の人たちと函館の人たちが手をながーく伸ばした握手だったと思います。

函館の集会には、参議院議員の紙智子さんにきていただき、連帯のあいさつをしてくれました。会場につくやいなや、さすが紙さん、大人気です、次から次へと紙さんにあいさつに来る人、握手しにくる人で大歓迎でした。

紙智子さんのあいさつは、道南の大間原発反対・凍結の団結に敬意を表したのち、10月5日に電源開発に大間原発工事再開の抗議の申入れ(比例区予定候補の畠山和也さん、紺谷よしたか函館市議、それから私、高橋佳大も一緒に)に行った時の報告、そのとき電源開発の幹部が言った「私たちは国策会社ですから」の言葉に触れ、「核燃サイクルのために大間原発をやるということ。国策ならば、その国策を変えよう」と訴えました。そして、日本共産党の即時原発ゼロの提言の内容を報告、自然エネルギーへの転換を呼びかけました。

さて、あまり知られていないかもしれませんが、紙智子さんのおにいさんが函館に住んでいます。写真撮影の仕事をされています。この日はおにいさんも集会に参加していて久しぶりのにきょうだいのご対面。集会後、飛行機の時間まで少し余裕があったので、送迎役の私も粋なはからい(笑い)。「おにいさんご夫婦とお茶でもしたらどうですか」と。結局、送迎をおにいさんに押しつけちゃったのですが・・・。私が撮ったおにいさんご夫婦と紙智子さんの写真、フェイスブックに載せてます。写真屋さんの写真を撮るのは恐縮でしたが・・・。

話は変わります。兄弟と言えば、私にも2歳年下の弟がいます。所沢に住んでいてマンガを描く仕事をしています。仕事が一段落していて、10月末から9日まで函館にきていました。75歳になった母がすっかり弱っているので、そのことを心配しての帰省。

昔からなんでもてきぱきとこなしてきたから、75歳を越えて弱った自分を認めたくない母。カレンダーやノートにいっぱい書いているけど、忘れてしまうから苦しいんですね。弟も何とか母をものわすれ外来につれて行こうと使命感をもって来てのですが、成功せずに帰って行きました。

弟はフェリーで大間へ。「あさこハウス」に4時間も滞在したとか。そのときのことがFBとツイッターに載っていました。
https://twitter.com/detchkun/status/267263453394239489/photo/1/large?utm_source=fb&utm_medium=fb&utm_campaign=detchkun&utm_content=267263453394239489

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