2015年12月15日火曜日

月の満ち欠けと関係のない生活をしているなあ

昨夕、きれいな三日月がでていました。函館山の右肩の方に見えました。あんまりきれいだったので夜になってから9時すぎに月見に外にでました。ところが・・・、月がない!もう沈んじゃってたんですね。


朝になって調べてみました。今日12月14日の函館の月の出の時間は10:13、月の入りの時間は21:11となっていました。この時間は毎日約50分ずつ遅くなるそうで、だとすると昨日は8:20ころに沈んでたんですね。なるほど。こんなことにも気づかないなんて、自分は月の満ち欠けとまったく関係なく暮らしているんだなあと思いました。

与謝蕪村こんな俳句がありましたね。
菜の花や月は東に日は西に
これは満月ということになりますね。

などと考えながら調べてみるとへえぇーです。→1774年、菜の花が咲く季節の夕暮れ時、月と太陽が同時に見えるのは4月中旬以降
この句は、安永3年(1774年)3月23日に詠まれたといわれています。当時は旧暦でしたから、今の暦で考えると、5月3日になります。しかし、月の位置を詳しく調べてみると、この日には実際に、東に満月、西に夕日が見えてはいませんでした。
菜の花が咲いている時期で、東に満月、西に夕日が見えるのは、旧暦の3月10日~15日くらい、今の暦でいくと、4月20日~4月25日となります。つまり、蕪村は実際に旧暦の3月23日に、東に満月、西に夕日を目にしてこの俳句を詠んだのではなく、その10日くらい前に見た光景を思い出しながら、3月23日にこの句を詠んだのではないかといわれています。
またまた面白いことを発見しました。石井和子著『平安の気象予報士紫式部 「源氏物語」に隠された天気の科学』(講談社+α新書)の一節です。以前読んだことを思い出しました。引用します。
月は夜の時刻表
『源氏物語』には、いろいろな月が登場し、それぞれの季節にあった、趣深い描き方がされています。「空蝉」の帖では、有明の月が出ていますが、「桐壷」の帖の~野分たちて~のくだりの月もしみじみと美しく、さまざまなことを教えてくれます。
帝は夕月の美しい頃に命婦を出立させ、自分はそのまま、もの思いにふけっています。台風一過の澄んだ宵の空に輝く月は、命婦の出かける頃にはもうかなり高くのぼっています。この月がこうこう浩々と照らすなか、娘を亡くした母と帝の使いである命婦の二人が涙にくれながら夜ふけまで語り合うのでした。月光に浮かぶ、野分で荒れた庭からは、鈴虫などの虫の音が聞こえてきます。この日は、旧暦の8月11日頃、今の暦になおすと、9月10日前後だったと考えられます。
さて、この月は、丑の刻(午前1時頃から3時頃まで)の頃には沈んでしまいます。というのも、命婦が宮廷にもどり、帝に報告したあと月がかくれ、時刻を告げる宿直の名のり声が聞こえるからです。
丑の刻に沈む月を調べてみました。およそ午後4時過ぎに東から出て、午後9時過ぎに南中(高度がいちばん高くなる)、午前1時半頃には西に沈んでいくことがわかりました。このときの月の形ですが、新月から数えて11日目ぐらいの月で、上弦の月(半月)より太った、あと四日もすると満月をむかえる月です。
このように、月の昇る時刻と沈む時刻、月の形などには、はっきりとした関係があります。だからこそ、月は昔の人々の暦代わりにもなったのです。
昨夜、月が早くに沈んでしまったことで、ずいぶん勉強になりました。

0 件のコメント:

コメントを投稿