2015年12月20日日曜日

夫婦同姓合憲判決と私のおばあさんたちの姓

民法の夫婦同姓規定に最高裁は合憲判決を出し、選択的夫婦別姓を希望する多くの女性を悲しませることになりました。

私はこの一年間ほど自分のルーツ探しをしていますが、それは私のおばあさんたちが失った「姓」を調べ、その人生を探る旅でもありました。私なりの夫婦同姓制度へのささやかな抵抗です。

私の姓は「高橋」ですが、母の結婚前の姓は「橋本」、父方の祖母は「小川」、母方の祖母は「佐藤」でした。「小川」だと知ったのは今年、「佐藤」だと知ったのは去年です。

その中で特に私の心を惹きつけたのは祖母の「小川ハツ」です。ハツおばあさんは私が生まれた時にはすでに故人となっていましたのでどんな人だったのかは知りませんでした。

戸籍を調べようと思いました。ところが樺太で終戦を迎えているので一家の戸籍は失われていました。樺太に住んでいた人の戸籍がなくなっているということをその時初めて知りました。新たに札幌で就籍したのは戦後、1953(昭和28)年でしたが、ハツおばあさんは病気で亡くなっていたのでこの戸籍にハツの名は載っていませんでした。

もうこれ以上は難しいかな思ったのですが、樺太に渡る前に余市町にいたことを思い出し、余市町役場にいくと古い戸籍がありました。うれしかったです。

さて、その戸籍を見ると、ハツおばあさんは1895(明治28)年生れでした。生れたのは熊石町、日本海に面した漁村です。熊石町は合併して現在は八雲町の一部となっています。

戸籍にはハツの父親の記載はありませんでした。非婚の子どもだったのでしょう。でも母親の名前はわかりました。「小川ハナ」です。1862(文久2)年生れです。母子一緒に、ハナの弟で戸主の「吉次郎」の戸籍に入っていました。小川ファミリーは1918年(大正7)年に余市町に移住しています。ハツ23歳、ハナ54歳の時です。

そこまでわかったので八雲町役場に行きました。そこでわかったのは、小川ハナファミリーは、熊石町の前に江差町にいたことがわかりました。江差町から1893(明治26)年に熊石町に引っ越したと思われます。

江差町役場に行ったのですが、戸籍は廃棄処分されていてありませんでした。それより前はわかりませんでした。

以上を整理すると、小川ファミリーはどこから来たのかはわからないけど、1893(明治26)年まで江差町にいて、その年熊石町に移り、そこでハナが32歳の年1895(明治28)年にハツを産み、1918(大正7)年、ハナ55歳、ハツ23歳で余市町に移っていったことになります

ハツは余市に移ったその年、高橋啓蔵、つまり私の祖父と結婚します。そしてやがて1928(昭和3年)か1929(昭和4)年樺太に渡ることになります。父は樺太の恵須取で生まれています。

小川ファミリーについてわかることと言えば、江差町から熊石町、余市町へと日本海を北上したことだけです。でも思い当たることがあります。江差も熊石も余市もニシン漁で栄えたところです。3つの町を移動したことも、ハツが非婚の子であることも、ニシン漁と関係するのではないかと、想像の翼を広げているところです。

にしん街道を北上してみた

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