2015年11月30日月曜日

国産ストーブ第1号は函館で製造 そしてストーブの思い出

「北の事始め 発祥の地あれこれ 8ストーブ」「国産第1号函館で製造」という記事が北海道新聞夕刊(11月21日付)に載っていました。一部抜粋します。
国産ストーブの第1号は、約160年前に函館(明治初期までは箱館)でつくられました。住宅が今ほど整備されていなかった時代には、寒さ対策は命に関わる切実な問題だったのです。
現在、函館では市民有志が、初の国産ストーブが使われたとされる11月25日を「ストーブの日」と決め、1988年に復元しました。毎年、市内の箱館高田屋嘉兵衛資料館(酒井賢佑館長)で「火入れ」のセレモニーを行っています。
私には忘れられないストーブの思い出がいくつかあります。


ルンペンストーブでやけどをした

私の拳は左右とも薬指の上のところがたこのように皮膚が盛り上がってかたくなっています。よく「佳大さん、空手をやっているんですか?」と聞かれます。実はこれ、子どものころに自宅のルンペンストーブでやけどをしたあとなんです。

ルンペンストーブというのは貯炭式で、円筒状のストーブに石炭をつめて、一番上に薪を置き、火をつけます。火力は下の口をあけしめして調整するストーブです。ショベルで石炭を補充する必要のない種類です。どうしてルンペンストーブというのかはわかりません。

物置の半分は石炭小屋のようになっていて、燃えつきたストーブの灰は外でひっくり返して捨て、また物置の石炭を入れるという調子です。父の仕事でしたが、私も手伝うことがありました。

非常に火力の強いストーブでした。外から帰ってきて手をかざしたりしているときに、真っ赤になったストーブに接触すると当然やけどをします。私の拳のやけどは1回だけではなかったと思います。実は手だけではなく、やけどのあとは膝小僧にもあります。

ストーブの近くに立たされた生徒たち

小学校1年生の時だったと思います。昼休みに外で雪遊びをしていた子が5時間目の授業に遅れて教室に入ってきました。手には雪を固めた小さな雪だるまが。先生はその生徒たちを、教室の後ろにあったストーブのさらに後ろに立つようにいいました。雪だるまを蒸発皿に入れるようにも。私はその時、「先生はきびしいなあ」と思ったんですが、外から帰ってきた子どもたちを一番暖かいところに居させた、そういう配慮だったことが今ならわかります。

氷をストーブの上に乗せて

高校時代はダルマストーブでした。石炭を少しづつ足していくストーブです。朝学校に行くとストーブがついたばっかりで、蒸発皿の水は凍っています。その氷を割ってストーブのフタの上に置くのです。すると氷はみるみる解けて、グルグル回りながら小さいたまになり、最後はジュッといって消えます。そんなことをして遊んでいました。

教壇の下に石炭を隠して

石炭は朝、日直が石炭のあるところに取りにいきます。そして放課後、あまった石炭を戻します。寒い日のために、ちょっとやんちゃな生徒が、あまった石炭を戻さないで教壇の下に隠すのです。すると次の日はガンガンストーブを焚いて、一気に教室を暖めることができます。ちょっとしたいたずらですが、寒さ対策の知恵でした。

わが家では私が中学生になった時に石油ストーブにかわりました。今では、灯油タンクは外にあり、ホースから自動的に給油されるので便利になりましたが、うちの子どもたちも孫のひまりもは石炭を見たことがなく、ちょっとさみしいです。

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