2015年11月6日金曜日

樺太恵須取中から予科練へ(父大八の自啓録)

2000年に肺ガンで逝った父のものを整理していたらこんなものが出てきました。
樺太の恵須取中学校から予科練に入隊した父の「我ガ予科練時代乃思ひ出、自啓録」です。



15歳、1944年9月から始まっています。よくも70年以上の時を超えて残っていたものだと。

漢字とカタカナ、しかも旧仮名遣いで書かれているので読みづらいのですが、せっかくですので、ブログに書き起こしていきます。

一気には無理なので、少しずつ、少しずつ書き足していきます。漢字は現在使われているもの、カタカナはひらがなに直し、現代仮名遣いに変えます。

わが予科練時代の思い出、自啓録

軍人勅諭五か条

一、軍人は忠節を尽す本分とすべし
一、軍人は礼儀を正くすべし
一、軍人は武勇を尚ぶべし
一、軍人は信義を重んすべし
一、軍人は質素を旨とすべし

飛行予科練習生心得綱領

第一、飛行予科練習生は将来海軍航空機搭乗員として護国の大任を負い航空戦力の中堅たるべきものなり、(之が為)故に常に聖旨を奉戴して軍人精神を鍛錬し、軍紀に慣熟すると共に徳性を涵養し強靭なる体力の錬成に努め、智能を啓発し以て奉公の基礎を確立すべし。

第二、軍紀は皇軍の尊厳なる紀律にして、皇軍の統制を保て団結を鞏固にし衆心一致克く任務遂行に邁進せしむるものなり。而して厳粛なる軍紀は確乎たる軍人精神に発し絶対服従を以てその主要素とす、故に練習生は絶対服従を以て自己の第二の天性たらしむるを要す。 

第三 軍人精神は聖旨を奉戴して一意本分に邁進し進んで難に赴き死をも辞せざる熱烈なる尽忠の精神の精神なり、これ実に比類なき国体と光輝ある歴史に基くものにしてその消長は常に国運の盛衰に関す故に練習生は日夜精勤努力して之が涵養に努むべし。

第四、旺盛なる攻撃精神と崇高なる滅私尽忠の精神とは、共に戦勝の要因にして帝国海軍の伝統的精神なり、故に練習生は常に積極的に之が涵養鍛錬に努むるを要す。

第五、旺盛なる気力と強靭なる体力は任務遂行の基礎なり、故に練習生は常に心身を鍛錬し節制を旨とし如何なる激務にも堪え得る気力体力の錬成に努むるを要す。

第六、航空術の進歩発達は飛躍的にして機能また精妙なり、故に練習生は学術技能の研鑽習得に努め以て将来職責遂行に萬遺憾なきを期するを要す。

自己入隊前の略歴

一、昭和11年4月1日樺太公立恵須取第一国民学校入学す。(→1936年)
一、昭和15年恵須取第三国民学校へ転校す。(→1940年)
一、昭和17年3月恵須取第三国民学校卒業す。(→1942年)
一、昭和17年4月9日恵須取中学校に入学す。(→1942年)
一、昭和19年9月2日恵須取中学校退学す。(→1944年)
一、昭和19年9月15日土浦海軍航空隊へ入隊す。(1944年)

家族の姓名及び年令

一、父 高橋啓蔵 57才
一、母 高橋ハツ 50才
一、姉 高橋良  20才 昭和16年12月13日死亡
一、妹 高橋京子 10才 
一、妹 高橋せい 13才 昭和19年8月2日死亡

恩師の住所氏名

一、樺太恵須取郡恵須取町       氏名 桂田秀信先生
一、樺太恵須取郡恵須取町南1條16丁目 氏名 佐藤林平先生
一、樺太恵須取郡恵須取町南1條16丁目 氏名 藤井輝備先生
一、樺太恵須取郡恵須取町南1條7丁目     氏名 柳井和助先生

志願の動起

私の志願の動機をかえりみれば数々の皇軍勇士の玉砕にある。特にサイパン島の玉砕の時、我が母校での朝礼の時に某先生がこの玉砕したことを話され、吾々はこれくらいのことで怖れてはいけない、又、吾々は今どうしなけれなならぬかという事を話された。それで私等は全国民の注視のまとであるところの飛行予科練を志願することを相談して志願いたしました。

入隊時の所感

私は甲種飛行予科練習生を志願致し一次・二次の試験を通り、多数中から選ばれてこの名誉ある、日本男子の誇とするところの土空に入隊したのである、入隊したからには私も帝国海軍の一員として一日も早く予科練魂を磨き練習生として恥ずかしからぬ身体及び精神体力を練り、一意専心軍務に精勤し、搭乗員となった暁には、敵機を一機でも多く落し国家の為にご奉公致す覚悟であります。

昭和19年9月25日
分隊長訓示要旨

「私と言う事を忘れ一切の我念を捨てる事なり」と言われたるが本当に我がある即ち自由放縦の個人主義がありてはこの軍隊生活はつとまらざるものなり。軍隊生活に於いてはすべて共同と言う事を考え団体の生活に執着せねばならぬものなり。日本国中の人間が皆我念を持っているならば我が国は一変に亡びてしまうだろうと思う。終わり
(つづく)

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