2015年11月28日土曜日

函館(箱館)のことをマルクスは知っていたか?

マルクスの『資本論』には、江戸時代の日本の様子について、「日本は、我々の全ての歴史書よりもはるかに忠実なヨーロッパの中世像を示している」という記述があるそうです。江戸時代の日本のことをどうしってマルクスは知っていたのか。

日本共産党の不破哲三社研所長は、偶然出会ったイギリス公使オールコック著『大君の都』がネタ元と推理し、「マルクスと日本」(1981年)という論文にそのことを書きました。

私も物好きというか、若いころに不破さんの「マルクスと日本」を読んで、「大君の都」(岩波文庫)をさっそく買って、拾い読みをしながらページをめくってみてびっくり。「大君の都」には箱館のことが18ページにもわたって書かれているではありませんか。

「大君の都」を、マルクスが『資本論』の日本についての記述のためにじっくり読んだとしたら、マルクスは、箱館のことを知っていたことになります。なんておもしろいことでしょう。

ということで『大君の都』の箱館についての文章をいくつか引用してみます。
事実、ひとたび箱館湾へはいると(中略)太陽が照りかがやいて、わずかばかりの浮き雲が港をとり囲む丘陵のすばらしい展望のうえにそのはかない影を投げかけ、まだら模様をえがきだした。陸地が完全な水路を形づくり、入港は容易であって、最大の規模の艦隊でも停泊できるだけの広さを有し、水深は十分であり、海底はよい錨床であるから、船乗りの港にたいする夢を全部実現したような良港である。
画家や美観愛好家にとっても、たいくつな航海のつぐないとなるに足るものが多い。列をなす多くの丘陵は、美しい線をえがき、見る者をしてはるかかなたにまで目を向けしめ、ひときわ目立つ二つの山頂は、火山系のものである特徴を明らかに示し、夜になるとそのひとつが火と煙を出すのが見うけられる。
だが、海岸は、しぶい美しさを呈している。というわけは、そこにゆたかな木の葉が欠けているからだ。あちこちにわずかばかりかたまってはえているマツの木か、ひろくひろがった灌木が、丘陵の表面に散在しているにすぎない。とはいえ、樹木やゆたかな木の葉が与えられないものを雲と日光が完全に与えてくれることが多い。
雲と日光は、すべての山の側面に、紫色やあずき色の衣を着せ、はだかのままの岬や遠くへだたった山脈を、ゆたかなたえず変化するさまざまな色の外套でおおう。また、絵のように美しい帆をあげた舟や小舟などは、それらの光景全体にふんだんに活気と動きをそえている。

箱館の町は、湾の東端に突き出た島のような岬のすそにいだかれており、細長い漁村とほとんど変わりがない。それは、いささか規模は小さいながらも北向きに位置していて、まざまざと香港をを思い出させる。また、中立地帯をよくあらわす一連の長い土地がある点で、ジブラルタルにいささか似ていないこともない。

ここは、水深の浅い江戸湾とはちがい、われわれの小舟は上陸地点の階段のところまでゆける。このことは、江戸湾で、浅瀬を一マイルにもわたって平底舟で竿をさしながらすすみ、さらにつぎの一マイルも泥のうえをわきへそれたり、すべっていったりするようなことを経験してみてはじめてわかる利点だ。
箱館の大通りまでは、数歩でゆける。空気はすがすがしく、北風が吹いている。それゆえに、長崎に到着しかいたヨーロッパ人が最初に驚かされる裸体姿はどこにも見当たらない。ただし、多数のオール(擢)をつけた大きな小舟の漕ぎ手は例外だ。かれらは、はげしい労働のためにはだかになり、ヨーロッパにおけると同じようにオールを手もとへ引きつけ、大声で単調ではあるがすばらしい歌をうたいながら舟を漕いでいる。

不破哲三社研所長の講演「本と私の交流史」からの引用
国会図書館との縁のもう一つは、マルクスです。『資本論』に、日本の江戸時代の様子を引いて「日本は、我々の全ての歴史書よりもはるかに忠実なヨーロッパの中世像を示している」と書いた文章があるんです。それだけの日本認識をなぜ書けたのか。日本社会を内部からつかんで、しかもヨーロッパ中世と比較できる訪問者のものを読んだに違いない。それが何かが、大きな疑問でした。
その後、国会で千島問題を取り上げるために、千島をめぐる幕末事情を調べようと、当時の外国人の旅行記を読んでいて出合ったのがイギリス公使オールコックの『大君の都』です。日本全国を旅して庶民生活や農業の様子も詳しい。しかもヨーロッパ中世との比較論が豊かに出てきます。
「これだ」と思って『資本論』と比べると、それらしい痕跡がいろいろ出てくる。それで私は「マルクスと日本」(1981年)という論文で、マルクスのネタ元は『大君の都』だろうと書きました。
原本があるか国会図書館に聞くと、ちゃんとありました。百数十枚にのぼる、オールコックが描いた日本の情景の挿絵も、鮮やかでした。見ると、幣原(しではら)喜重郎財団の判が押してある。新憲法制定時の首相です。国会図書館に寄贈したんですね。
実際、大英図書館のマルクスが通った当時の図書目録にオールコックの本があったことを確かめた研究者もいました。最近、新メガ(マルクス・エンゲルスの本格的全巻全集)でマルクスのノート部分の編集にあたっている人の、「オールコックについてのノートはなかった」という報告もありました。ただ、マルクスも、読んだものすべてをノートするわけでもないでしょう。私は今も、マルクスが中世ヨーロッパとの比較論をあれだけの確信をもって『資本論』に書きこめた根拠は、オールコック以外にないだろうと思っています。

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