2016年1月3日日曜日

五稜郭の戦いの意味とは何だったのか 『五稜郭の戦い 蝦夷地の終焉』その6エピローグ

『五稜郭の戦い 蝦夷地の終焉』をやっと読み終えました。

昨年秋に厚沢部町の館城跡にいったり、乙部町の官軍上陸の地にいったり、一昨年に七飯町の99年間の租借問題をテレビで見たりしてきたのですが、そのことが箱館戦争の経過の中に位置付けられて書かれていたので、関心を持って読むことができました。何か書きたい気持ちもありますが、それは別の機会に譲り、ここではエピローグ「五稜郭の戦いの意味」について、紹介したいと思います。
戊辰戦争は味方か敵か、恭順するか戦うか、そうした二者択一的な選択を迫った。
討幕派による王政復古のクーデターがその始まりとなったが、近代国家がこのような武力討伐によって成立したことが、その後の歩みを軍事国家にしていった、そもそもの根元であったのではないか。
平和的・穏健的に静かに徳川の世を終わらせていくことができたなら、もっと違った近代史がイメージできるようにも思う。 
著者は、討幕派だけを批判しているわけではありません。
幕府のなかにも戦争を避けようという人びとが少なからずおり、箱館奉行も事おだやかに新政府に引き継いだ。そこへ、外から榎本旧幕府軍が入り込んできて、占領地の人びとを混乱・不安のなかに陥れた。その責任は免れるものではない。
松前藩は、戊辰政変のなかで、過激尊皇派が反対派を血の粛清で権力奪取した。無理やりの反論統一が、その後も殺伐とした権力対応をとり、旧幕府軍以上の残虐な面をみせていた。
武力やクーデターによる権力奪取は「狂気」を含み、大きな不幸をもたらすといわねばならない。
さて、最後になりますが、「あとがき」にはこんなこともー。
公正も進んだころ、憲法の制約を超えて海外で戦争できる国へ変えようとする政権のねらいが顕わになった。戦争への道をふたたび繰り返さない、そのための歴史研究と心得てきたが、こうした時期に刊行を迎えることになった。戦争について考える一助になるなら幸いである。 
はい、たいへん勉強になりました。ありがとうございました。

1 件のコメント:

  1. 日本の封建社会は明治維新により資本主義社会に移行しました。この函館、道南地域ではどんな状況で? お蔭様で、おぼろげながら分かって来ました。当時の先達、函館・道南市民の方々の気持ち、考え、市民生活の状況等を想像しております。また、市民革命が不発に終わった明治維新に代わって、国是、最高法規である日本国憲法を生かして今市民革命が?などとも。

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