久々に分厚い本を読みました。500㌻を超える「日本語を作った男 上田万年とその時代」(山口謡司、集英社インターナショナル)です。
「日本語を作った?日本語なんてもともとあったじゃないか」と思ってしまいますが、明治期、日本語には標準語というものがなく、軍隊の中で隊長が「トツッギッ(突撃)!」と薩摩訛りで号令しても「今の号令、何のことか分かったかノ?」「ワダグス、分がんねがったもネ!」などと、井上ひさしが『國語元年』という戯曲で書いていたそうです。
「日本語を作った?日本語なんてもともとあったじゃないか」と思ってしまいますが、明治期、日本語には標準語というものがなく、軍隊の中で隊長が「トツッギッ(突撃)!」と薩摩訛りで号令しても「今の号令、何のことか分かったかノ?」「ワダグス、分がんねがったもネ!」などと、井上ひさしが『國語元年』という戯曲で書いていたそうです。
明治時代はさらに、書き言葉と話し言葉が違っていて、おまけに仮名遣いも歴史的仮名遣いで書いた言葉と読みが一致しない状況だったんですね。
この本のタイトルに出てくる上田万年という男は、あまり知られていない人ですが、日本における言語学の草分け的な人で、言文一致の日本語を作ろうとした人物です。
この本は、だからといって上田万年の生涯や思想だけを書いているわけではなく、「日本語」に関わることをテーマに明治の日本の歴史を書いた大作といっていいかと思います。
仮名遣いをふくむ標準的な日本語が実現するのは結局は戦後に持ち越されるわけですが、石田万年という男は、言文一致の日本語、発音通りに表記する日本語をめざしていたとのこと。万年と同じ方向で文章を書いたのが夏目漱石で、言文一致の日本語に反対したのが森鴎外だったそうです。