2017年2月20日月曜日

小学校から英語を教える「英語熱」をどう見るか 『英語の帝国 ある島国の言語の1500年史』を読んで

以前、「英語重視ばかりでは」という記事を読んで  私もヘンだなと感じていましたという投稿をしたのですが、この本を読んで、問題意識を深めることができました。

『英語の帝国 ある島国の言語の1500年史』
「終章 過去を見据えて未来を展望する」抜粋学習ノート

「英語の帝国」としての現代日本
「英語の帝国」とは何だったのか。いままでの叙述を振り返ると、英語は中世のイングランドからウェールズ、スコツトランド・アイルランドのプリテン諸島ヘ、ついで、近代になると、海を趣えて、アメリカなどのプリテン帝国ヘ広がり、19世紀には、ブリテン帝国の中でもとくにインド·アフリカにわたった。さらには文字通りの「膨張する円」として世界中に拡大し、いまでも膨張し統けている。

この本は英語がどのように世界に拡散していったのか、そして今も拡散しているのかを丁寧に後づけている本であるといえる。127㌻のモデル図がわかりやすい。英語の初期バージョンの円→中核の円→外郭の円→膨張する円と拡大してきたが示されている。




「英語の帝国」は「イングランド帝国」の一つであった。通常これまで「イングランド帝国」と呼ばれたものは、中世から1707年(グレート・プリテン連合王国が成立した年)までに、イングランドがブリテン諸島内のウェールズ、スコツトランド、アイルランドを侵略し支配したことや領域を指した。本書でも、これをー部受け継いだが、中世から1707年までばかりでなく、その後の18、19、20世紀と長期にわたるブリテン諸島内での英語の展開を視野に入れた。

ついで、「英語の帝国」は「ブリテン帝国」の一つでもあった。往来の「プリテン帝国」は、グレート・ブリテン連合王国が海外を侵略し、領土を持ち、帝国を築いたことを指した。1707年以降、イングランド、ウェールズ、スコツトランドからなるグレート・ブリテン、1801年以降はアイルランドも加わったグレート・ブリテンはー体となって海外に「ブリテン帝国」を造った。

本書でいう「英語の帝国」は、地域的にも時期的にも、この二つ、「イングランド帝国」と「ブリテン帝国」を結びつけるものである。地域的にはブリテン諸島とブリテン帝国をっないでくれるし、時期的には、中世から18世紀までの時期と、18世紀から現代までの時期をつないでくれ、長期の考察ができた。従来の「イングランド帝国」論には、18世紀以降の議論がなかったし、通常の「ブリテン帝国」論には18世紀以前の議論がなかった。地域的にも時期的にもつないでみる議論がこれまでの議論と違う本書の主張点である。
締めくくりとして、やはり今日の日本に触れてみよう。前章で述ベたように、日本はこのような世界的な英語の歴史によって造られた「英語の帝国」の埒外にはなく、むしろ「英語の帝国」が最後にたどり着いた果ての一つだからである。「英語の帝国」を長期的に見る理由のーつは、今日の日本の「英語化」現象は戦後の「アメリカ化」との関連ばかりか、それ以前からの世界中の「イングランド化」「英語化」を引き継いでおり、「英語の帝国」と今日の日本との類似点を多く発見できるからである。

今日の日本の「英語化」現象は、戦後の「アメリカ化」との関連があるとともに、世界中の「英語の帝国」と関連しており、多くの類似点がある!

今日の日本は、明治初期、第二次世界大戦後、高度経済成長期と、明治以来の何度目かのグローバル化、それもこれまででもっとも大きなグローバル化を受け入れざるを得ない状況に直面している。これを受けた形でいまこの国は「異常なほどの英語熱」に浮かされている。

行方昭夫は、すでに参照した著書「英会話不要論」で、ここ20年間に文法、訳読中心の英語教育から「聞く、話す」能カを重視する英語教育に転換している経過をサーヴェイ(調査)しつつ、こういった異常な「英語熱」に対して冷静な判断を求めている。氏がこの本の執筆を決心したのは「2013年10月に、文科省がオリンピツク開催の2020年を目途にした小学校5、6年での英語必修化計画を公表するに及ん」だことである。その後、英語の必修化はさらに小学校の3年生からとなった。中学や高校での英語教育は英語を用いて行うべしといった文科省の方針は「改善でなく改悪」であり、「無謀さに呆れ」た。なぜなら「不可能であり、愚劣としか言いようがありません」とある。

異常な英語熱を冷ますために、氏が提供する「冷静に考えるための基本的な情報」は、帰国子女が皆が皆しゃベれるようにならないこと、センター試験にヒアリングが導入されてもヒアリング能カが向上したわけでもないこと、話すにも文法、訳読、受験英語がやはり必要なことなどである。要するに「辛抱強く学ぶ意欲もないのに、また語るペき内容心持たないのに·何が何でも英語を喋りたい、という」のは「可笑しい」のである。

ここで確認すべきは、これまでに見てきたブリテン諸島とブリテン帝国からなる「英語の帝国」とのあまりの類似性である。小学校での「必修化」と「教科」化、中学校での教授言語化はすでに言及したように「英語は英語で教えるのがもっともよい」「英語学習の開始は早いにこしたことはない」などを筆頭とするマケレレ会議で確認された英語教育の5つの「信条」を踏まえている。これらはいずれも植民地経験から抽出された前理論的な信条であった。しかも、一部で小学校一年生から「教科」となっているというから、あとは小学校からの教授言語化があれば、かつての植民地とまったく同じとなる。

類似点とは? 小学校での「必修化」と「教科」化、中学校での教授言語化はすでに言及したように「英語は英語で教えるのがもっともよい」「英語学習の開始は早いにこしたことはない」など植民地経験から抽出された前理論的な信条。

この他には、予算問題もある。行方が指摘するように、オリンピックが開催される2020年までの実施をめざすのであれば、正式な科目用の教科書、小学校英語を教える教員が必要であり、国公立の小学校は全国でおよそ2万2000校あるので「膨大な予算」が伴う「国家的な大プロジェク」になり、国民的な議論になるのは避けられない。しかし、どう考えても、小学校ヘの英語導入の損得感情はマイナスなのである。本書で見たようにマコーリーによるインドの英語化も限られた予算を英語教育に用いようという議論から始まった。アングリシスト=英語派と、小学校ではまず日本語教育を優先せよとのオリエンタリスト=日本語派の論争も、マコーリーの「教育覚書」が実行される前夜とそっくりである。

「英語の帝国」の親たち
「小学校英語必修化」ヘの賛否を問うアンケートの結果として、2013年に「朝日新聞」は、費成23%、反対13%で、「どちらかといえぱ」を加えると賛成が59%、反対が41%となった結果を紹介している。ちなみに「必修に費成か否か」という同紙の2006年のアンケートでは賛成38%、反対52%であったので、7年間で賛成派が過半数となった。こういった国民、保護者、親たちの「英語熱」も、本書で見た「英語の帝国」の親たちとまったく同じである。親たちの数の規模からすれば、自分は英語など話せなくともわが子の出世のために進んで学校に行かせた「英語の帝国」の親たちの数より、いまの日本の親たちの方が圧倒的に多い。しかも、近い将来にすべての小学校で教科として学習することになれぱ、すべての日本人が経験することになる一大プロジエクトである。これこそ歴史上の「英語の帝国」といまの日本とのもっとも大きな類似点かもしれない。

「英語の帝国」の親たちが、英語を子どもたちが話せるようになることをのぞみ進んで学校に行かせたことは、日本とのもっとも大きな類似点。

親たちの子に寄せる期待は強調したいので若干追加すると、ウェールズの場合、既述のように、1840年代には、親、とくに農民の親たちが「英語は子供の出世に不可欠の言葉」「英語を少し話せれぱ子供は世間を渡っていける」という理由で、もっとも純粋なウェールズ語地域でも英語を学ばせない親はー人もいないと報告された。

スコットランドの場合も同様に、一八世紀のハイランドの親たちは、英語の読み書きができれぱ、外の世界で利益を受けると気づいて、英語で授業を行わない学校には通わせないようにしていた。19世紀には、就職に有利になるように子供に英語を学ばせたいとする親がー般的となり、英語を教えない学校には生徒が集まらなくなっていた。アイルランドの場合でもまったく同様に、ナショナリストの牙城とも目された生垣学校でも、アイルランド語は禁止され、親たちの間では、わが子に英語を身につけさせると社会的、経済的に有利になるとの現実主義が優位を占めていた。その大きな理由は、辺境の山奥まで押し寄せていた商取引における英語の使用(紙幣、手形、簿記)であった。

帝国に移ると、インドではこういった親たちの声は拾い上げがたくなるが、ガンジーの事務所に勤めた書記が、「世界で広範に通用す言語」=英語をガンジーの息子たちに学ばせると「生存競争の階段を楽々と登っていくことができます」と「愛情を込めて」訴えた。アフリカでは親たちの声の収集はさらにむずかしいが、1808年のシエラレオネでの初等教育で現地語のスス語を学校で話すことはー切禁止されたが、これは親たちの希望によると報告された他、既述のように1920年代の報告書では、親たちが子供を学校に入れる理由のーつが英語であった。

これらはいずれも親が子の将来をおもんぱかり、英語が貧困の打開、子供の出世や生存競争での勝利、商売での成功に結ぴっいていると考えたからである。ふつうの人の代表である親が、進歩、近代化、ひいては国際言語としての英語にひかれていき、子に英語学習を促し、教師たちもこれを助けた。これらがー体となって、支配者であるイングランドや、後には帝国本国が造り上げた「英語の帝国」の「協調者」となっていった。

英語化を進める支配者からは、こういった「協調者」や親の迎合は「飛んで火に入る夏の虫」であった。永并忠孝がいうように、英語には外国人とやりとりする道具という側面と植民地支配の道具という側面があり、日本人の多くは前者には自覚的だが、後者には自覚的でない。永井は作家小田実の、インドにおける「英語侵略」論から、日本の英語教育は「植民地教育」であると論じたー節を弓いて、「英語教育には自発的植民地化という側面がある」と断じている。

英語には①外国人とやりとりする道具という側面と②植民地支配の道具という側面があり、日本人の多くは前者には自覚的だが、後者には自覚的でない。

永并をはじめ、行方、施光恒と相次いで、目下の「平成の英語教育改革」を危機ととらえて、それぞれ言語学、文学、政治学の立場から未来予測をして警告を発し、政策提言も行っている。彼らはー様に、このままでは将来は日本の国力が失墜し、独立心も衰えるので、「自己植民地化」を避けるための、小学校英語の廃止、翻訳と土着語の国造り、読み中心の原則、日本に固有の言語を知るなどの提言をしている。過去の事実を検証する歴史学は、政策提言などできないが、ブリテン帝国史の過去に照らすと教授言語としての導入(直接教授法、オール·イングリツシユともいうようだ)が植民地化の大きな契機となること、日本でも森有礼の「日本語廃止論」といわれたものは、英語の帝国や中国語の帝国に対抗して日本の独立を守るための日本語維持論」であり、その後日本語を鍛える「翻訳」
をベースに英語教育が行われたことぐらいは示唆できよう。

いま進められている英語教育改革では、①日本の国力が失墜し独立心も衰える。②「自己植民地化」を避けるため、・小学校英語の廃止、・翻訳と土着語の国造り、・読み中心の原則、・日本に固有の言語を知ること。

英語の未来
未来予測は歴史家には禁句のはずだが、言語史家の中には、世界中のかつての支配的言語の衰退を研究して、未来を予測する者もいる。イングランドのバースにある「危機言語財団」の会長ニコラス・オストラーは著書を踏まえた日本での講演で、アメリカの覇権はじき終わること、機械翻訳機が実用化されて会話練習が不要になることなどから、さすがの英語の命運も尽きること、および他の歴史上の支配言語との比較も提示した。

そのラテン語、(インドの)ペルシャ語、フランス語、英語を比較した表によると、いずれ言語にもその言語が隆盛する「画期点」、他の言語と切り替わる契機となる「交差点」、他の言語からの「最後のー撃」がある。ラテン語の画期点は印刷機の発明(1445年)、交差点はデカルトの「方法序説」(1637年)、最後のー撃はガウスの死(1855年)である。「ガウス整数論」は数学の著作物でラテン語で密かれたものとして最後期のものだった。

インドのペルシャ語の画期典はプラッシーの戦い(1757年)、交差点はインド法廷での廃止(1837年)、最後のー撃はムスリムによる英語学習の請願(1883年)であった。フランス語の画期点はパリ条約(1763年)、交差点はベルサイユ条約(1919年)(英語で併記された)、最後のー撃はドイツにおける第一外国語のフランス語から英語ヘの切り替え(1937年)であった。

そして、英語の画期点は鄧小平の中国共産党での権力把握(1978年)、交差点はインターネツトで中国語が英語を量的に凌駕したこと(2014年ごろ)、最後のー撃はいつ何になるかはいまだ不明である。鄧小平の権力掌握は、国内で文化大革命が否定されて改革開放路線が決定された歴史的な政策転換であったが、その直後に中国の小学校の教育課程上に外国語教育のー環として英語教育が登場したという意味である。

これらは大きな影響力を発揮したいずれ劣らぬ支配言語であり、この比較の表に出てくる画期点、交差点、最後のー撃の流れは各言語の「おごれる者も久しからず」「盛者必衰のことわり」を表す。インドのペルシャ語やフランス語にはそれに対抗する言語として英語がいずれの交差点にも登場する。英語の画期点から交差点までの間隔は36年ともっとも短く(他はラテン語192年、ペルシャ語80年、フランス語156年の間隔がある)、

英語に対する最後のー撃がいつ何になるかは予測しないものの「おごれる者」の相対的な短さを示唆している。最後のー撃にはおそらく中国語が絡んでくることは確実であるが、最後のー撃のあとも中国語は英語に代わり世界の共通語とはなりえず、スペイン語などいくつかの言語と並列し、その意味では英語が「最後の共通語」であるという。

英語が世界の共通語にいつまでもなっていると考えてはならない!

英語の過去
こういったオストラーによる英語の未来予測も確認して、最後に見据えるべきはやはり過去である。過去の検証なくしては少しの未来も見通せないからである。予備校の英語教師でもあった先の小田実は20年以上も前に「今、英語を学ぷということは、イギリス人という英語民族を先頭にしての西洋の世界支配、非西洋人に対する支配、抑圧、収奪、差別の歴史をいやおうなしに学ぶということだ。英語をしゃべる人間たちが犯した悪行にっいて学ぷということだけではない、英語そのものが、あるいは英語教育そのものがそこで重要な役割を果したことを知ることでもあるにちがいない」と述べた。「逆に言うと、そういうことを学ぱないような、あるいは教えないような英語教育はまったくのところ無だ」と断言した。

小田の文中の「イギリス人」は本書でいう「イングランド人」とすれぱ、本書は、イングランド人がブリテン諸島のウェールズ、スコツトランド、アイルランド、さらにはブリテン帝国のインド・アフリカで行った「悪行」ばかりか、そこで英語や英語教育が果たした役割について考えてみるための過去の一材料を提供したつもりである。あからさまな支配、抑圧、収奪、差別の数々の「悪行」のうち、ブリテン帝国でのインド、アフリカの植民地支配に至る征服戦争、軍事占領とこれらに伴う暴力、その後の抑圧や収奪などにっいては他の歴史書に譲って、本書では触れなかったが、ブリテン諸島での、1549年のコーンウォールの祈祷書反乱や、スコットランドの場合は、多数の戦死者や捕虜を出した1746年のカロデンの戦いとその後のハイランド氏族の生活、慣習、言語に対する抑圧
には触れた。また、16世紀からのアイルランドヘの植民、遠征(とりわけ、クロムウェルの侵攻による住民の虐殺)とその後の土地の没収、アイルランド人の追放にも触れておいた。

問題は戦争や暴カの「悪行」と区別される「善行」である。「英語そのもの」「英語教育」がこの「善行」に入る。戦争や暴力は経費がかかり、それに比較すれば、教育は経費がかからないとの議論は繰り返し語られた。1801年までさかのぼると、アジア、アフリカの学校で「先住民」向けの英語教育をする「教師や書物や[できのよい生徒に与える]褒美の品々に費されるー千ポンドの金子は、野蛮人から成る国々を押さえつけるべく、砲手や弾丸や火薬に費される4万ポンドよりも効果が大きい」と見なした著述家がいた。

帝国による戦争や暴力は「悪行」としてわかりやすいが、「英語そのもの」は「善行」として受け入れやすくがゆえに帝国の意図を実現する効果が大きい!

その45年後の1846年に、ウェールズ出身の庶民院議員は、ウェールズで教育が政府主導で再組織化されると「経費がいくらにしても、軍隊、警察、刑務所にかかる経費に比ベれば10倍は節約できる」と述ベた。これは1847年のウェールズ教育調査の履行を促した発言として本書にも引用した。140年後とかなり飛んで、1985年には、スリランカのある大臣は「アメリカ人は、「宇宙戦争(スターウォーズ)にかけるお金の十分のーで、アメリカ大統領のいうことに耳を傾けるアジア人全員を獲得できる。英語教育は英語使用諸国民の武器庫でも「宇宙戦争」より大きな武器となる」と言った。宇宙戦争=スターウォーズ計画とは、1983年にアメリカで開始された宇宙空間で弾道ミサイルを撃破しようとする兵器研究計画である。これはスリランカ側の発言であるが、19世紀のブリテンによる経費のかからない「非公式」手段を引き継いだ戦後のアメリカの世界戦略のーつとしての英語教育をよくとらえている。

戦争や暴力の「悪行」によって獲得された「帝国」は「公式帝国」という形として残りやすく、目にもっきやすく、分かりやすい。「帝国」と聞いて、通常連想されるのはこちらの帝国である。一方、ロビンソン・クルーソーとフライディの関係のように戦争以外、あるいは戦争のあとの非暴力的な「非公式」手段によって形成される「英語の帝国」は形としては残りにくく、分かりにくい。本書が着目したのは「悪行」の帝国よりも「善行」の帝国である。こちらの方は目につきにくい分、いっそう自覚的たるべき側面である。ここでは教育が利他的なキャンペーンとして行われ、とくに英語教育の場面では、英語が文明化の使命を担う言語、文明の媒体となる言語、教養と出世につながる言語との喧伝がなされた。もちろん、これらは本当の意図を巧みに覆い隱した「善行」に他ならなかったが、これらになびいた人々は「英語の帝国」のあちこちで多く出た。

現代の日本にもなびいた人々は出たし、これからも多く出そうである。本書の冒頭に記したように、子や孫がいまの「グローバル化」の波に乗り損ねないように父母や祖父母も英語を早くから学ばせることに躍起となっている。「英語の帝国」の長い歴史の中にはこういう人々が世界中に沢山いた。

「英語の帝国」の構築を推進し、そこから利益を得た人々は、ふつうの親たちを巧妙にこれになびかせる「英語帝国主義」のメカニズムを作っていた。いままでの世界の歴史の中には、インドでの英語導入をめぐる英語派と現地語派との論争、アフリカが植民地化されてしまう契機となる教授言語の導入など、今日の日本との類似点も多々あった。こういった「英語の帝国」の歴史を知ったからといって、子や孫がうまく英語を話せるようにはならないが、いまの過剩な「英語熱」を冷静に考え、「自己植民地化」から免れるヒント、過去を見据えて未来を展望するー助ぐらいにはなるだろう。

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