今日の道南地方はこの夏最高の暑さだったとのこと。大げさに名づけた「高橋佳大の道南グレートジャーニー」の4日目の遊説は、こめどころ今金町とせたな町(旧北桧山町、瀬棚町、大成町が合併、桧山で一番人口の多い自治体となりました)でした。おかげで顔も腕も日焼けで真っ黒になりました。
同行してくれたのは、今金支部の仲間のみなさん、江上恭二前せたな町議(昨年の選挙八票差で惜しくも落選)、佐々木陸郎前大成町議、それから渡島桧山地区委員会自治体部長で江差町議の小野寺真さんでした。
江上恭二さんとはこんな思い出があります。私が94年にはじめて党の八区候補になり、たしか伊豆での研修会に出かけた時に江上さんと知り合いました。宿泊の旅館で部屋が同じになりました。たたみに2つのふとんをならべ、さあ寝ようという時、江上さんがいいました。「佳大さん、人間にとって一番大切な物は何だと思う?」とむずかしい質問をしてきました。私が「衣食住ですか」と答えると、「おれは『食』だと思うんだ。食べるものがあれば何とか生きていける。その食べ物をつくる農家がこんなに粗末にされていいのだろうか」と江上さんは言いました。(江上さんは農家です)
今日は、外崎秀人今金町長をはじめ、内ヶ島今金農協専務理事、大関北檜山農協組合長と懇談の機会があったのですが、江上さんもよく知っている方々ばかりで、さきほどの江上さんとの思い出を紹介したりして、農業問題について懇談しました。
話題になったことは、TPP参加反対はもとより、「農業の生産性をあげて農業所得を増やしたい。そうすれば、結婚して子どももつくれるようになる」、「交付金や補助金でなく、意欲を持ってがんばれば所得が増えるような農業政策が必要」、「所得補償より価格補償」など、基幹産業の農業でまちづくりを進めたいという意欲をつよく感じました。
それからもうひとつ、「TPP参加反対の決起集会では共産党のマドンナが来てくれましたね」と昨年北斗市で行われた集会に紙智子参議院議員が飛び入りで参加したことが歓迎されたこと、「紙さんは農業のことをよく知っている」「うちの町で共産党の先生をつうじてお願いしたのははじめて」など、紙智子さんのことがどこでも話題になったことは、とてもうれしかったことでした。
もともと蝦夷地を支配していた松前藩は、米が穫れないので、「石高ゼロ」の藩として出発したのですが、先人たちの苦労の中で、いま今金や北桧山はコメの町として発展しています。今金町やせたな町のいまのコメの生産高は、石高で言うとどれくらいになるのでしょう。相当な石高になるのではないでしょうか。先日も八雲の酪農の話しを書きましたが、農業を破壊するTPP参加の犯罪性をあらためてつよく認識した一日でした。
今日もまた、山々のすばらしい景観と、帰路は日本海の夕日に感動して函館に帰ってきました。
追記
松前藩の歴史については「松前藩物語」(松前町編)というマンガの本が、気軽に読めて、流れがわかります。
2012年8月21日火曜日
2012年8月20日月曜日
地球儀のプレゼント
私には、今年27歳になる娘と25歳の息子がいるのですが、息子が1年生になったお祝いに、名取のおじいちゃん(妻の父親)が、ケンカしないようにと、姉弟にひとつずつ地球儀をプレゼントしてくれました。内側から光ってライトとしても使える地球儀でした。
私が3年生になる娘に、「日本はここだよ」と赤い色がついている日本列島を示して教えてあげました。赤い色はクナシリ島、エトロフ島の南千島までしかついていませんでした。それから「本当はね、ここまでが日本なんだよ」と、赤い色がついていない北千島、ウルップ島からカムチャツカ半島の手前のシムシュ島までを指でなぞりながらいうと「どうして?」と娘。「ソ連にスターリンという悪い人がいてね、日本の領土を取っちゃったんだよ」と。娘は悔しそうに食いさがります。「どうしてどうして?」、もう泣き顔です。そんなことがありましたね。
千島列島は日本の歴史的領土ですが、日ロ領土問題の一番の基本は「領土不拡大」という大原則を破った戦後処理の不公正さにあります。これを正すことが必要です。歴代の政権はこの主張を一度もしてきませんでした。そして国際的には通用しない「クナシリ、エトロフは千島にあらず」という誤った主張に固執してきたために領土交渉は成果があがらなかったのでした。
私が3年生になる娘に、「日本はここだよ」と赤い色がついている日本列島を示して教えてあげました。赤い色はクナシリ島、エトロフ島の南千島までしかついていませんでした。それから「本当はね、ここまでが日本なんだよ」と、赤い色がついていない北千島、ウルップ島からカムチャツカ半島の手前のシムシュ島までを指でなぞりながらいうと「どうして?」と娘。「ソ連にスターリンという悪い人がいてね、日本の領土を取っちゃったんだよ」と。娘は悔しそうに食いさがります。「どうしてどうして?」、もう泣き顔です。そんなことがありましたね。
千島列島は日本の歴史的領土ですが、日ロ領土問題の一番の基本は「領土不拡大」という大原則を破った戦後処理の不公正さにあります。これを正すことが必要です。歴代の政権はこの主張を一度もしてきませんでした。そして国際的には通用しない「クナシリ、エトロフは千島にあらず」という誤った主張に固執してきたために領土交渉は成果があがらなかったのでした。
詳しいことを知りたい方はこちらをどうぞ。
2012年8月19日日曜日
津軽海峡夏景色の旅
今日の活動は、石川さゆりの「津軽海峡冬景色」をもじって、「津軽海峡夏景色の旅」と名づけました。
木古内町から知内町、福島町、松前町と津軽海峡に沿って、西へ西へと遊説の1日でした。
松前の一番北、日本海に面した漁村で、「ここでやろうか」と宣伝カーをとめて、マイクを持ってしゃべりはじめると、あっちからこっちから「なんだなんだ」という感じで、旅芸人を迎えるように聴衆が出てくるではありませんか。うれしいことです。最後まで聞いてくれてありがとうです。消費税のことや、TPPのこと、伝わったと信じています。
木古内町から知内町、福島町、松前町と津軽海峡に沿って、西へ西へと遊説の1日でした。
松前の一番北、日本海に面した漁村で、「ここでやろうか」と宣伝カーをとめて、マイクを持ってしゃべりはじめると、あっちからこっちから「なんだなんだ」という感じで、旅芸人を迎えるように聴衆が出てくるではありませんか。うれしいことです。最後まで聞いてくれてありがとうです。消費税のことや、TPPのこと、伝わったと信じています。
2012年8月18日土曜日
ブログ記念日
俵万智さんの短歌にこんなのがありましたね。
この短歌をもじって、こんな気分です。
「この文がいいね」と君が言ったから八月二十日はブログ記念日
ブログを始めてからしばらく経つのですが、今日初めて「佳大さんのブログは読みやすいですね」とほめられてしまいました。人はだれしもほめられるとうれしいものです。それで今日はちょっとお疲れなのですが、ブログを更新することにしました。ホントは今日は18日なのですが、これだとあまりにも字余りなので、勝手に二十日にしました。
さて昨日から私は、噴火湾沿いに長万部から八雲、森と南下しながら、街頭演説の旅をしてきました。今日は天気もよく、駒ヶ岳の景色が最高でした。長万部では七尾町議と八雲では横田町議、竹浜前町議と森では支部のみなさんととても心強かったです。
話しは変わりますが、八雲町議の横田さんは竹浜さんの後継者ですが、竹浜さん曰く「横田さんは名前がいいんだ。喜世志というのは、みんなが喜ぶ世の中を志すって書くんだよ」と教えてくれました。よし、これはもらいだと、私も演説の中で「横田さんの名前はみんなが喜ぶ世の中を志すと書きますが、そんな世の中をつくるためには何が必要でしょうか」と導入に使わせてもらいました。
街頭演説の途中、農協の関係者の方と懇談しました。彼は開口一番こういいました。「TPP参加で一番打撃を受けるのは八雲です。八雲の農業の8割は酪農で、米は国が何とか守るかもしれません。野菜はより影響が少ないと思います。しかし関税撤廃で、チーズやバターが入ってきたら太刀打できなくなります。壊滅的です」とつらそうに言ってました。
八雲は米などは気候的になかなかむずかしく、酪農が適していて、北海道の酪農発祥の地として発展してきたそうです。先人たちの労苦を踏みつけにする民主党のTPP参加政策は本当に腹立たしいですね。「気持ちは一緒ですよ。がんばりましょう」と握手してきました。
昨日は函館の自宅に帰ってから、「今日はがんばった」と自分へのごほうびに、ビデオ録画していた『シークレットガーデン』の最終回を観ました。そうそう、ヒョンビンとハジウォンがでてくるドラマです。挿入歌がいいですね。
2012年8月13日月曜日
竹島問題を考える
韓国のイ・ミョンバク大統領が竹島に上陸するとか、韓国のサッカー選手が試合後に竹島(韓国名・独島)領有を主張するメッセージを掲げたことがIOCで問題になるとか、竹島の領有問題で日韓間に緊張が走っています。
竹島の領有問題をどう考えたらよいのか、2006年の韓国訪問の際、韓国要人と対話した日本共産党の志位和夫委員長が党本部で行った報告会での発言が、12日付けの「しんぶん赤旗」に再録されています。HPに出ていないと思いますので紹介したいと思います。
竹島問題を考える志位委員長の発言(2006.9.25)
4つめに、日韓の間にあるどんな懸案事項を解決するうえでも、歴史問題で日本が誠実な態度をとること-侵略戦争と植民地支配への反省をきちんとおこなうことが、冷静な話し合いを成り立たせる基礎になることを痛感いたしました。
たとえば、日韓の間には、竹島――韓国では「独島」と呼ばれている島の領有をめぐる問題があります。韓国では、国民のおそらく99%以上が、「独島」は韓国の領土だ、日本帝国主義の侵略によって最初に奪われた領土だと考えています。
9月5日におこなった西大門での韓国メディアとのインタビューでも、この問題への態度が問われました。9月7日におこなったハンナラ党のキム・ヒョンオ院内代表との会談でも、この問題についても「さらに関心を持ってしめしていただきたい」と要請されました。
私は、「この問題は、靖国問題などとは違った事情があります。わが党は、1977年にこの問題についての見解を発表していますが、竹島(独島)の領有権を日本が主張することには、歴史的な根拠があるとそのなかでのべました」と、まず、私たちの立場を率直に伝えました。ハンナラ党のキム・ヒョンオ院内代表との会談では、私がそこまで言いますと、「共産党がですか」と聞き返してきました。会談は一瞬、緊張しました。
私は、「そうです」と答えるとともに、「同時に、この間題が、1905年に起こったということを私たちは重視しています。すなわち韓国の植民地化する過程で、これ(竹島の日本への編入)がおこなわれたことも、まざれもない歴史的事実です。韓国はすでに外交権を剥奪(はくだつ)されており異議を申し立てる条件がありませんでした。ですから、韓国側のいい分も検討しなければならないと考えています。植民地支配への反省という問題が基礎にないと、この問題は、冷静に話し合いができないと想います。その反省のうえに、事実を付き合わせる冷静な共同研究が必要ではないでしょうか」とのべました。
そうしますと、先方から、「いいお話をありがとうございます。植民地化の過程については、私の方からあえて申し上げなかったのですが、それについて志位委員長の方から言及されたというのは、非常に意味のあることだと思います」との答えが返ってきました。この会談は、一瞬の緊張はありましたが、最後はたいへん友好的な雰囲気で終わりました。
竹島問題は、日韓間で非常にこじれている問題ですが、私は、この会談を通じて、こじれにこじれた糸をときほぐす道が見えたように思えました。1965年の日韓基本条約の締結にいたる過程で、日韓両国政府間で竹島領有をめぐって往復書簡による論争があります。
その論争の過程でも、また今日においても、日本政府は、韓国併合-植民地支配を不法なものであったと認めていません。それを認めないもとで、竹島の領有権を主張するから、韓国国民の側からは、この間題が「侵略の象徴」となってしまうのです。ですから韓国政府は、この島の領有権をめぐっては話し合いすら拒否するという状況にあります。
日本政府が、植民地支配の不法性、その誤りを正面から認め、その土台のうえで竹島問題についての協議を呼びかけるなら、私は、歴史的事実にもとづく冷静な話し合いが可能になると、これらの交流を通じて痛感したしだいです。
竹島の領有問題をどう考えたらよいのか、2006年の韓国訪問の際、韓国要人と対話した日本共産党の志位和夫委員長が党本部で行った報告会での発言が、12日付けの「しんぶん赤旗」に再録されています。HPに出ていないと思いますので紹介したいと思います。
竹島問題を考える志位委員長の発言(2006.9.25)
4つめに、日韓の間にあるどんな懸案事項を解決するうえでも、歴史問題で日本が誠実な態度をとること-侵略戦争と植民地支配への反省をきちんとおこなうことが、冷静な話し合いを成り立たせる基礎になることを痛感いたしました。
たとえば、日韓の間には、竹島――韓国では「独島」と呼ばれている島の領有をめぐる問題があります。韓国では、国民のおそらく99%以上が、「独島」は韓国の領土だ、日本帝国主義の侵略によって最初に奪われた領土だと考えています。
9月5日におこなった西大門での韓国メディアとのインタビューでも、この問題への態度が問われました。9月7日におこなったハンナラ党のキム・ヒョンオ院内代表との会談でも、この問題についても「さらに関心を持ってしめしていただきたい」と要請されました。
私は、「この問題は、靖国問題などとは違った事情があります。わが党は、1977年にこの問題についての見解を発表していますが、竹島(独島)の領有権を日本が主張することには、歴史的な根拠があるとそのなかでのべました」と、まず、私たちの立場を率直に伝えました。ハンナラ党のキム・ヒョンオ院内代表との会談では、私がそこまで言いますと、「共産党がですか」と聞き返してきました。会談は一瞬、緊張しました。
私は、「そうです」と答えるとともに、「同時に、この間題が、1905年に起こったということを私たちは重視しています。すなわち韓国の植民地化する過程で、これ(竹島の日本への編入)がおこなわれたことも、まざれもない歴史的事実です。韓国はすでに外交権を剥奪(はくだつ)されており異議を申し立てる条件がありませんでした。ですから、韓国側のいい分も検討しなければならないと考えています。植民地支配への反省という問題が基礎にないと、この問題は、冷静に話し合いができないと想います。その反省のうえに、事実を付き合わせる冷静な共同研究が必要ではないでしょうか」とのべました。
そうしますと、先方から、「いいお話をありがとうございます。植民地化の過程については、私の方からあえて申し上げなかったのですが、それについて志位委員長の方から言及されたというのは、非常に意味のあることだと思います」との答えが返ってきました。この会談は、一瞬の緊張はありましたが、最後はたいへん友好的な雰囲気で終わりました。
竹島問題は、日韓間で非常にこじれている問題ですが、私は、この会談を通じて、こじれにこじれた糸をときほぐす道が見えたように思えました。1965年の日韓基本条約の締結にいたる過程で、日韓両国政府間で竹島領有をめぐって往復書簡による論争があります。
その論争の過程でも、また今日においても、日本政府は、韓国併合-植民地支配を不法なものであったと認めていません。それを認めないもとで、竹島の領有権を主張するから、韓国国民の側からは、この間題が「侵略の象徴」となってしまうのです。ですから韓国政府は、この島の領有権をめぐっては話し合いすら拒否するという状況にあります。
日本政府が、植民地支配の不法性、その誤りを正面から認め、その土台のうえで竹島問題についての協議を呼びかけるなら、私は、歴史的事実にもとづく冷静な話し合いが可能になると、これらの交流を通じて痛感したしだいです。
左利きの日
今日8月13日が「左利きの日」だということを、北海道新聞夕刊『今日の話題』の欄ではじめて知りました。「ロンドン五輪で活躍した卓球の石川佳純、バドミントンの佐々木翔、フェンシングの千田健太の各選手に共通するのは、左利きということだ」ということから記事が始まっています。実は私も左利きなんです。
20年ほど前に、英国の左利き用品店が、利き手にかかわらず使い勝手のいい道具を普及させようと制定したとのこと。右利きを前提にした道具が多いということで、左利きでは苦労する道具として、缶切り、ギター、背広のポケット、自動改札機、自販機、急須などがあげられています。
私は、道具でそんなに困ったことはありません。缶切り、急須は右手で使いますし、ギターは両手を使うので利き手はあまり関係ないような気がしますし、背広のポケット、自販機が右利き用だということはこれまで意識したことがありませんでした。左手に持った切符を右側でねじるように投入しますので自動改札機はたしかに不便です。アイロンは、電源コードが右側から出ているので、左利きには不便です。あとは野球のグローブですね。あ、それからはさみもそうですね。
道具ではないのですが、長いテーブルにたくさんの人が並んで食事をする時などは、私の左手と隣の方の右手がぶつかるので、できるだけ左端に座ります。左利きで一番苦労したのは、小学校1年生の時に、右手で字を書くよう矯正されたことです。おかげで今では、どちらの手でも字は書けます。どちらも下手ですが・・・。
私は両親も兄弟も子どもたちもみんな右利きなので、利き手というのは遺伝ではないだろうと思っています。小さい頃の脳の発達の仕方が関係しているのかなと思ったこともあります。
左利きで得をした記憶はありませんが、以前、麻丘めぐみの「私の彼は左きき」とか、ピンクレディーの「サウスポー」とかいう歌がありましたね。右利きでは歌にならないけれど、左利きは歌になるんだなあと思ったりしました。
2012年8月12日日曜日
立待岬
8月11日、私は党函館市議団長の市戸ゆたかさんと、船見町の墓地の高台にある函館朝鮮人慰霊塔・納骨堂で行われた「第22回函館朝鮮人慰霊祭」に出席し、日本の侵略戦争と植民地支配の犠牲になられた方々に手をあわせお参りしてきました。
この慰霊祭の案内状には、次のような文章が書かれていました。
たしか朝鮮総連と日本共産党の交流が再開したのは10年くらい前のことでしたが、昨年初めて慰霊祭のご案内をいただき参加をしました。その後、イ・ホンベ委員長が私どもの事務所にごあいさつにきていただくなど、少しづつ交流も深まってきました。私は、昨年参加して、浅利政俊さんのお話しなどをうかがい、私たちのふるさとで侵略戦争や植民地支配の犠牲がどのようなものであったかを、もっともっと知らなければならないと思いました。今年2回目の参加をして、啄木の歌のことが懇親会で話題になり、その思いをさらに強くしました。
この慰霊祭の案内状には、次のような文章が書かれていました。
「清算されていない過去は繰り返されます。植民地時代に旧国鉄・松前線建設工事に従事させられ犠牲になった朝鮮人の遺骨6体が、山野から探し出されて、納骨堂に安置されています。祖国開放後も故郷に帰れず異郷で亡くなられた朝鮮人の遺骨16体が納骨堂に安置されています。いまも墓標もない原野に捨てられたままの犠牲者の声なき慟哭に耳を傾け、せめて納骨堂に安置された先人たちの霊に多くの方が手を合わせ「恨」を克服できる日が来ることを祈ります。」
啄木の歌と言えば、私の大好きだった平和運動家の佐藤かのさん(2001年7月逝去)が書いた文章のことを思い出しました。かのさんの追悼集に載っていましたので、以下、ところどころ紹介したいと思います。
佐藤かのさんの「立待岬」から
地図の上朝鮮国にくろぐろと
地図をくろぐろと墨ぬられた植民地朝鮮の人々の苦しみはたとえようもなく、今も心に重い。
坂を登りきると視界がぱ-と開ける。津軽海峡だ。波が断崖に砕け散り、エゾカンゾウの黄色い花がゆれている。
ここ立待岬は自殺の名所だった。韓国のソウルで発行されている「ハンギョレ新聞」の1990年1月4日付新年特集号には、北海道の地図も入って、「集団投身した崖は自殺の名所」と見出しが付けられ、戦前、函館の立待岬で、だまされて連行された朝鮮女性たちが売春を強要され、集団投身自殺したと報じている。ほとんどが15歳から20歳くらいの、まだ母親が恋しい年頃の乙女たちで、その叫びは、波の音までオンマー(お母さん)と泣いているように聞こえたと伝えられている。
佐藤かのさんの「立待岬」から
はまなすの花が咲いている。うぐいすの声に聞き惚れながら、さわやかな潮風を胸いつぱいに深呼吸。海に沿った細道に「石川啄木一族の墓」が見えてくる。
地図の上朝鮮国にくろぐろと
墨をぬりつつ秋風を聴く
地図をくろぐろと墨ぬられた植民地朝鮮の人々の苦しみはたとえようもなく、今も心に重い。
坂を登りきると視界がぱ-と開ける。津軽海峡だ。波が断崖に砕け散り、エゾカンゾウの黄色い花がゆれている。
ここ立待岬は自殺の名所だった。韓国のソウルで発行されている「ハンギョレ新聞」の1990年1月4日付新年特集号には、北海道の地図も入って、「集団投身した崖は自殺の名所」と見出しが付けられ、戦前、函館の立待岬で、だまされて連行された朝鮮女性たちが売春を強要され、集団投身自殺したと報じている。ほとんどが15歳から20歳くらいの、まだ母親が恋しい年頃の乙女たちで、その叫びは、波の音までオンマー(お母さん)と泣いているように聞こえたと伝えられている。
かのさんは、「自分のふるさとでおきた、この悲惨な出来事に目を向けてもらいたくて」と、自らつくった詩を、文章のうしろで紹介していました。
※佐藤かのさんの追悼集は「続 野の花のように さとうかの追悼集」です。発行者は夫の佐藤達雄さんで2001年11月発行です。
2012年8月6日月曜日
おはよう平和行進~「精霊流し」
今日は、広島に原爆が投下されて67年目の8月6日です。函館では1984年の「核兵器廃絶都市宣言」の翌年から、8月6日の早朝「おはよう平和行進」が行われています。今年が28回目。朝7時30分に市役所の「核兵器廃絶都市宣言塔」から出発し、函館駅前の宣言塔(いまは塔から形がかわっていますが)まで行進して、原爆投下の8時15分に黙祷を行います。
雨が昨夜から降っていたので「できるかな」と心配していたのですが、開始時間にはきれいに晴れました。私も共産党を代表して決意表明して行進しました。
以前、8月6日をテーマに書いた文章を『道南新報』に書いたことがあります。紹介します。
さだまさしの自伝的小説だと言われる『精霊流し』を映画化したビデオを最近観ました。中学のころ、彼の同名の曲をよく聴いていたこともあり、タイトルに惹かれて借りたのですが、ストーリーのラストに、主人公の出生の秘密が、長崎への原爆投下による悲しい出来事とともにあきらかにされます。
さだまさしが、毎年、8月6日広島の日に地元の長崎でコンサートを開いていたのは知っていましたが、この映画を観て「そうだったのか」と思いました。
そういえば彼の曲に『広島の空』という作品があります。
「この町が燃え尽きたあの日/叔母は舞い降りる悪魔の姿を見ていた/気付いた時炎の海に/独りさまよい乍ら/やはり振り返ったら/稲佐の山が見えた」
「あの町が燃え尽きたあの日/彼は仲間たちと蝉を追いかけていた/ふいに裏山の向こうが/光ったかと思うと/すぐに生温かい風が/彼を追いかけてきた」
※この文章は、「道南新報」(2004.8.29号)に掲載されたものです。
雨が昨夜から降っていたので「できるかな」と心配していたのですが、開始時間にはきれいに晴れました。私も共産党を代表して決意表明して行進しました。
さだまさしの自伝的小説だと言われる『精霊流し』を映画化したビデオを最近観ました。中学のころ、彼の同名の曲をよく聴いていたこともあり、タイトルに惹かれて借りたのですが、ストーリーのラストに、主人公の出生の秘密が、長崎への原爆投下による悲しい出来事とともにあきらかにされます。
さだまさしが、毎年、8月6日広島の日に地元の長崎でコンサートを開いていたのは知っていましたが、この映画を観て「そうだったのか」と思いました。
そういえば彼の曲に『広島の空』という作品があります。
「この町が燃え尽きたあの日/叔母は舞い降りる悪魔の姿を見ていた/気付いた時炎の海に/独りさまよい乍ら/やはり振り返ったら/稲佐の山が見えた」
「あの町が燃え尽きたあの日/彼は仲間たちと蝉を追いかけていた/ふいに裏山の向こうが/光ったかと思うと/すぐに生温かい風が/彼を追いかけてきた」
※この文章は、「道南新報」(2004.8.29号)に掲載されたものです。
2012年8月3日金曜日
「東京ラブストーリー」の名セリフ
先月、私を招いてのお茶の間懇談会を、ある方のお宅で開いていただきました。話題は、消費税のことや福祉のこと、町会活動から本間市議の結婚まで多岐にわたり、楽しいものでした。
さて話は変わります。最近、『日本語のレトリック 文章表現の技法』(瀬戸賢一著 岩波ジュニア新書)を読みました。レトリックとは何か、著者はいいます。「ありきたりの表現ではなく、よりぴったりとした表現、より説得的な表現、より魅力的な表現のことです。ひと工夫した言い方です」。そして次の言葉が胸に沁みました。
「たとえ真実であっても、ことば不足の場合は、ことば巧みな不実に破れてしまいかねません。」
話の途中、参加していた女性のケータイが鳴りました。着メロに聞き覚えがあります。小田和正の『ラブストーリーは突然に』、私も好きな曲だったので懇談のあとに聞いてみました。すると「この曲を聴くと胸がキュンとなるんですよ」と乙女のように彼女は言いました。『ラブストーリーは突然に』はテレビドラマ『東京ラブストーリー』の主題歌。たしか20年くらい前に放映されたドラマだったと思います。
主人公の赤名リカ(鈴木保奈美)の「私の好きは負けない。1グラムも減らないよ」という台詞が記憶に残っています。「好き」という気持ちを、重さのあるものにたとえて「1グラムも減らないよ」と、心憎い台詞ですね。同じ内容でも、言葉一つで伝わり方が全然違うなあと思いました。このドラマ、名台詞があちこちにちりばめられていて、小田和正の曲と重なって、「胸をキュン」とさせています。言葉って大事ですね。
さて話は変わります。最近、『日本語のレトリック 文章表現の技法』(瀬戸賢一著 岩波ジュニア新書)を読みました。レトリックとは何か、著者はいいます。「ありきたりの表現ではなく、よりぴったりとした表現、より説得的な表現、より魅力的な表現のことです。ひと工夫した言い方です」。そして次の言葉が胸に沁みました。
「たとえ真実であっても、ことば不足の場合は、ことば巧みな不実に破れてしまいかねません。」
2012年7月31日火曜日
計画停電のこと
あちこちのお茶の間懇談会におじゃまをすると北電の計画停電のことが話題になります。これをどう考えたらいいのか、先日、はたやま和也道政策委員長が函館に来て訴えた内容を、私もとなりでなるほどと思いながら聞いていました。はたやまさんの許可をもらいましたので、以下、はたやまさんの計画停電についての演説を紹介します。
調べてみたら、東北地方はこの夏計画停電の予定がありません。なぜかというと、この1年4ヶ月のうちに、新しい発電所を、東北地方で5つつくっているんです。だから北海道にも電力は融通できますよというところまで電力をふやしています。東北地方は1年4ヶ月、このように電力を確保して、計画停電がないにもかかわらず、北海道電力はこの1年4ヶ月何をやってきたのでしょうか。
私たちは北海道各地でいま、太陽光でも風力でも十分自然エネルギーが広がっている、そのとりくみをみてきました。先週は釧路に行ってきました。別海町では酪農家に太陽光パネルがつくられはじめていて、自分の家だけではなく、街まで電力を供給できる発電が一戸一戸の農家の単位でもうまれてきました。十勝管内の足寄町では牛や馬の糞尿を使ったエネルギーで、136人も、工場をつくるなどで、新しい仕事も生み出しています。やればできるということを、北海道の市町村が証明しています。問題は、こうやってできた電力を北海道電力が買い取っていないところに原因があります。電線が足りないって言うんです。
政府には4000億円も原発予算があります。燃料保管に1000億円必要ですが、3000億円を振り替えれば、ちゃんとこういう電線の整備をするお金が国にも十分あるんです。計画的に、原発事故のあと、1年4ヶ月、こういうとりくみをやっていれば、この夏の計画停電などしなくてもよかったのではないでしょうか。私は言いたい、原発にこだわっているから、必要な電力まで確保できない、これが真実だと思います。
日本共産党は、もちろん、こんな危険な原発をやめるために全力をあげてがんばります。ただ原発をなくすだけでなく、新しいエネルギーはこうやって確保するということをこの間訴えてまいりました。(以下省略)
計画停電についてははたやま和也さんのブログにも載っています。
2012年7月26日木曜日
ラジオ体操
小学校も今日から夏休み、ラジオ体操が始まりました。私も町会役員として、ラジオを持って、会場に毎日行くようになって10年くらいになります。以前ラジオ体操について書いた文章を紹介します。
「♪あたらしい朝がきた 希望の朝だ 喜びに胸を開け 大空あおげ ラジオの声に 健やかな・・・」――私が小学生の頃といえば、もう四〇年以上も前になりますが、あの頃と変わらないラジオ体操の歌。そして体操の仕方もまったく同じ。カードを首からぶらさげて、体操が終わると一目散にカードにハンコ(最近はシールのところもありますが)を押してもらいに列をつくる、そんな光景も昔と同じです。 町会の青少年部の役員となり、毎日ラジオをもって小学校のグラウンドへ。時間前からすでに学校に来ている教頭先生と、何人かの子どもたちが花に水をやりながら体操のときを待っています。それはとても平和で、とてものどかで、心が和みます。
無邪気なこどもたちの笑顔はもちろん、運動不足ですっかりなまってしまった体の筋肉痛もなぜか妙に心地よく、何かとても得をしたような気分になるのです。早起きは三文の得、ラジオ体操万歳です。
※この文章は2006年に書いたものです。
「♪あたらしい朝がきた 希望の朝だ 喜びに胸を開け 大空あおげ ラジオの声に 健やかな・・・」――私が小学生の頃といえば、もう四〇年以上も前になりますが、あの頃と変わらないラジオ体操の歌。そして体操の仕方もまったく同じ。カードを首からぶらさげて、体操が終わると一目散にカードにハンコ(最近はシールのところもありますが)を押してもらいに列をつくる、そんな光景も昔と同じです。 町会の青少年部の役員となり、毎日ラジオをもって小学校のグラウンドへ。時間前からすでに学校に来ている教頭先生と、何人かの子どもたちが花に水をやりながら体操のときを待っています。それはとても平和で、とてものどかで、心が和みます。
無邪気なこどもたちの笑顔はもちろん、運動不足ですっかりなまってしまった体の筋肉痛もなぜか妙に心地よく、何かとても得をしたような気分になるのです。早起きは三文の得、ラジオ体操万歳です。
※この文章は2006年に書いたものです。
2012年7月24日火曜日
世直しの原石
中学3年の社会科の時間、先生が胸を張っていいました。「日本の税金のあり方は累進課税制といって、所得の多い人が高い税率で、少ない所得の人が低い税率で税金を納めるんだ」と。私は38年前に教えてもらったことを今でも正しいと思っています。その後導入された消費税は累進課税という考え方と正反対の税金です。
38年前のこの思い出を私は好んで街頭で紹介します。朝の宣伝では、色とりどりのランドセルを背負った子どもたちが次々と私の前を通って学校に向かいます。私が「収入のない子どものお小遣いにも税金をかける消費税は間違っています」とつけくわえると、子どもたちが、私の前で立ち止まり、ペコリとお辞儀して「おはようございます」と声をかけてくれます。門前に立つ校長先生になったようでした。
同様の話を森町で街頭でしました。終わると子どもたちが駆け寄ってきました。もじもじしながら「これ洗ってないんですけど」とプレゼントを私に差し出しました。足下に落ちていたと思われる小石でした。子どもと握手をしてありがたく受け取りました。「世直しの原石」という言葉が頭に浮かびました。
さて社会科の先生は私の担任でした。同期会で再会しました。先生はそのとき道教委の仕事をしていて「共産党にはずいぶんやられているよ」と笑って話していました。それでも同期生たちの前で「今度高橋佳大君が衆議院選挙に立起することになった。応援してくれ」と言ってくれました。私が96年に行われた衆議院選挙に立起表明をした時のことです。残念ながら先生は在職中に急逝されました。
38年前のこの思い出を私は好んで街頭で紹介します。朝の宣伝では、色とりどりのランドセルを背負った子どもたちが次々と私の前を通って学校に向かいます。私が「収入のない子どものお小遣いにも税金をかける消費税は間違っています」とつけくわえると、子どもたちが、私の前で立ち止まり、ペコリとお辞儀して「おはようございます」と声をかけてくれます。門前に立つ校長先生になったようでした。
同様の話を森町で街頭でしました。終わると子どもたちが駆け寄ってきました。もじもじしながら「これ洗ってないんですけど」とプレゼントを私に差し出しました。足下に落ちていたと思われる小石でした。子どもと握手をしてありがたく受け取りました。「世直しの原石」という言葉が頭に浮かびました。
さて社会科の先生は私の担任でした。同期会で再会しました。先生はそのとき道教委の仕事をしていて「共産党にはずいぶんやられているよ」と笑って話していました。それでも同期生たちの前で「今度高橋佳大君が衆議院選挙に立起することになった。応援してくれ」と言ってくれました。私が96年に行われた衆議院選挙に立起表明をした時のことです。残念ながら先生は在職中に急逝されました。
2012年7月17日火曜日
異常なし
党美原支部のみなさんと189回目の早朝宣伝が終わって病院へ。今日は大腸カメラの日でした。ポリープを切除後1年の検査でした。まず3時間かけて、紙コップになみなみと注がれた下剤を15分おきに、2リットルも飲みます。あのまずさはたとえようもないです。2番目につらいのがカメラがお腹の中でうごめいている時、腸を圧迫するのか、ひっかかるのか、2回ほどうめき声をあげました。何はともあれ、異常なしとのこと。めでたしめでたし。
たっぷり時間があったので、待ち時間中に読みかけの『日本人はなにを食べてきたか』(原田信男、角川ソフィア文庫)を読み終えました。米が神聖視されるに至った歴史、肉食が禁忌されるに至った歴史などなるほどなるほどと読みました。
地区委員会事務所に立ち寄り、書類を入れる私の棚に、「宮本顕治著作集第1巻」が入っていました。序文が昨日の「しんぶん赤旗」に出ていたので楽しみにしていたところでした。夜の市議会報告会の前と終わってからとで、最初の作品、「『敗北』の文学」を読みました。学生のころ一度読んでいたのですが、すっかり内容を忘れていましたが、すばらしいの一言です。感想はのちほど報告します。議員のみなさん議会報告会ご苦労様でした。
たっぷり時間があったので、待ち時間中に読みかけの『日本人はなにを食べてきたか』(原田信男、角川ソフィア文庫)を読み終えました。米が神聖視されるに至った歴史、肉食が禁忌されるに至った歴史などなるほどなるほどと読みました。
その後、市役所へ。先日上湯川支部のお二人と訪問先で伝えられた要望を、一緒に伝えてきました。要望は志海苔漁協前のバス停から上にのぼる急な道の両サイドの草刈りをしてほしいというもの。住んでいる人にとっては、手すりにおおいかぶさるくらいに生い茂った草はとてもじゃまなんですね。土木部管理課長さんが親切に対応してくれて、早急にやってくれるとのこと。支部の2人も喜んでいました。
地区委員会事務所に立ち寄り、書類を入れる私の棚に、「宮本顕治著作集第1巻」が入っていました。序文が昨日の「しんぶん赤旗」に出ていたので楽しみにしていたところでした。夜の市議会報告会の前と終わってからとで、最初の作品、「『敗北』の文学」を読みました。学生のころ一度読んでいたのですが、すっかり内容を忘れていましたが、すばらしいの一言です。感想はのちほど報告します。議員のみなさん議会報告会ご苦労様でした。
2012年7月16日月曜日
ハッピーアイランド
福島、福島、福の島、幸福の島、ハッピーアイランド、福島の原発事故がもたらした悲しさ、苦しさ、不安、怒りは、福島という地名の意味とは正反対でした。原発をなくして日本列島をホントのハッピーアイランドにしよう。一度言ってみたいと思っていました。7月14日の「さようなら原発函館集会」の党代表あいさつでとうとう言うことができました。
2012年7月15日日曜日
毒舌ばあちゃん
7月14日の「さよなら原発函館集会」で、清野きみさんにお会いしました。元気そうでした。7月8日付『ほっかい新報』の私の記事を読んでくれていて「よかった」といってくれたので、紹介します。
とても暑い日でした。買い物帰りの高齢の女性。帰宅したばかりだと見えて杖をついて玄関口に立っていました。少し離れたところから「こんにちは共産党です」とあいさつすると、大きな声で「そんなこと顔をみれば共産党だってわかる」。怒っているようにもみえます。近づいて名刺を渡して名乗ると「ずいぶん薄い名刺だ」、「すみません。お金がないもんで」とヘンな弁解をすると「それはわかる。でも名刺は顔だ」と。「病気になっても見舞いにも来ないでなんだ」と追い打ちがかかります。そして「いまの政治は何だ」と大きな声、あまりにも声が大きいので近所で庭の手入れをしていた人たちが注目のまなざしを向けています。「ヘンだな、支部からは、最近の選挙で結びついた支持者と聞いていたのに。支持者じゃないのかな」と。
「ところで清野(清)さんは元気かい」と聞かれました。清野さんは63年から83年まで旧北海道3区候補者として8回挑戦した党の顔、昨年亡くなりました。私が葬儀委員長を務めました。そのことを告げると「私はね、清野さんだったら、今の政治についてなんて言うだろうと考えていたところだよ」と。昔からの党の支持者だったことがわかりました。そして生い立ち、生まれながらの身体障害者として、当時は社会に触れることもなく、時計の見方がわかったのも19歳だったと語ります。「たまには喫茶店でコーヒーを飲みたいさ。ガチャン(自動販売機)のジュースを飲みたいこともあるさ。だけどそのお金があれば豆腐の一丁も買える。少ない障害年金暮らしさ。共産党だけは、このことをわかってほしい」としんみりした口調に。「でもしっかり自分の考えを話されて元気そうでよかったです」と別れのあいさつをしようとすると、「元気にも、カラ元気というのがあるんだ」と一転、毒舌ばあちゃんに戻って言いました。精一杯のおしゃれだと思われる両の耳につけていた黒っぽい耳飾りが印象的でした。
「ところで清野(清)さんは元気かい」と聞かれました。清野さんは63年から83年まで旧北海道3区候補者として8回挑戦した党の顔、昨年亡くなりました。私が葬儀委員長を務めました。そのことを告げると「私はね、清野さんだったら、今の政治についてなんて言うだろうと考えていたところだよ」と。昔からの党の支持者だったことがわかりました。そして生い立ち、生まれながらの身体障害者として、当時は社会に触れることもなく、時計の見方がわかったのも19歳だったと語ります。「たまには喫茶店でコーヒーを飲みたいさ。ガチャン(自動販売機)のジュースを飲みたいこともあるさ。だけどそのお金があれば豆腐の一丁も買える。少ない障害年金暮らしさ。共産党だけは、このことをわかってほしい」としんみりした口調に。「でもしっかり自分の考えを話されて元気そうでよかったです」と別れのあいさつをしようとすると、「元気にも、カラ元気というのがあるんだ」と一転、毒舌ばあちゃんに戻って言いました。精一杯のおしゃれだと思われる両の耳につけていた黒っぽい耳飾りが印象的でした。
2012年7月10日火曜日
パンモゴッソヨ?
「パンモゴッソヨ?」(ご飯食べましたか?)-韓国ドラマで頻繁に出てくる会話のフレーズです。食事のシーンも多いです。食べることを大切にしているんですね。日本はどうでしょうか。母親の息子への思いが切なく響くさだまさしの『案山子』の一節、「元気でいるか/街には慣れたか/友達できたか/寂しかないか/お金はあるか/今度いつ帰る」、あれっ、「ご飯は食べてるか」がないですね。そういえば『源氏物語』には食事のシーンがないそうです。でも母親が一人で暮らす実家に私が立ち寄った時、「ご飯食べたかい」と、母は必ず食事を用意します。ドラマや歌に出ても出なくても食べることはやはり生きる土台です。
さてこんなことがありました。支部の仲間とあいさつに伺った女性のお宅。年金の一人暮らしだそうです。玄関横の一間幅のプランター台にたくさんの花が並んでいました。「これは何という花ですか」、花の名に疎い私に「それはアマリリスです」と教えてくれました。もうひとつ訊くと花の名ではなく「それは、今日、花屋さんで買いました。380円でどうしようかと悩んだけれど、一食がまんすればいいやと思って」と嬉しそうに話してくれました。「食事を抜かなくても花が買えるようにしたいですね」、出かかった言葉を呑み込み、お別れしました。
2012年7月5日木曜日
記者会見
久しぶりの更新です。私は6月15日、記者会見し、次期衆議院選挙で北海道8区(渡島管内、桧山管内、函館市、北斗市)から日本共産党公認で立起することを表明しました。以下は会見用に書いた原稿です。
2011年8月4日木曜日
ふしぎの植物学 「たたかうトマトは美しい」
紫外線は目や皮層に当たると活性酸素を発生させます。紫外線が目や皮層に当た力って発生させる活性酸素は白内障や皮層ガンをもたらすので、私たちは紫外線を避けます。
植物はどうでしょうか。植物たちは自然の中で降りそそぐ太陽の光を避けずに暮らしており紫外線を多く浴びるはず。でも野菜はどんなに強い太陽の光に当たっていようとも、みずみずしく緑に輝いているし、花々も鮮やかな色を保ち、果実も太陽の日差しをいつぱいに受けながら美しく実っています。
逆に紫外線を吸収するフィルムで覆われたビニールハウスや温室では、有害な紫外線が当たらないにかかわらず、栽培されるトマトやナスの色が悪くなるし、カーネーションやバラの花の色も鮮やかさを失ってしまうそうです。
それでは植物は紫外線を浴びても活性酸素を発生させないかというとそうではありません。植物たちは、約四億年前に陸上で生活しはじめてからずっと、紫外線によって発生する活性酸素の恐ろしさを知っているのだそうです。
紫外線は植物の細胞の中に入り込み恐ろしい活性酸素をつくり出すますが、植物たちのからだには、私たち人間にはない特有の、活性酸素を消去する「抗酸化物質」であるといいます。ビタミンE、ビタミンC、カロテン、アントシアニン、リコペンなどです。植物たちは、このような物質をからだの中につくって、活性酸素と闘っているのだそうです。
カロテンは緑黄色野菜の葉っぱに多く含まれニンジンの色を出す色素、アントシアニンは多くの花やナスやリンゴの色をだす色素、リコペンもトマトやスイカに含まれる赤い色素です。
そして著者は次のように述べます。「結局、葉や花や実の色となる物質が、活性酸素を消去する働きをもつのだ。だから、強い紫外線が当たると、活性酸素から身を守るために、植物はこれらの物質を多くつくる。その結果、葉や花や実は、きれいな色になるのだ。葉や花や実は、きれいな色になって、紫外線と闘っているのだ。まったく無防備に見える植物たちは、自分たちのからだをちゃんと守っているのだ」。
ひとことでいうと「たたかうトマトは美しい」ということになるでしょうか。奥が深いですね。私たちの活動にもいえるなあと思うのです。たたかう姿を輝かせようと。
植物はどうでしょうか。植物たちは自然の中で降りそそぐ太陽の光を避けずに暮らしており紫外線を多く浴びるはず。でも野菜はどんなに強い太陽の光に当たっていようとも、みずみずしく緑に輝いているし、花々も鮮やかな色を保ち、果実も太陽の日差しをいつぱいに受けながら美しく実っています。
逆に紫外線を吸収するフィルムで覆われたビニールハウスや温室では、有害な紫外線が当たらないにかかわらず、栽培されるトマトやナスの色が悪くなるし、カーネーションやバラの花の色も鮮やかさを失ってしまうそうです。
それでは植物は紫外線を浴びても活性酸素を発生させないかというとそうではありません。植物たちは、約四億年前に陸上で生活しはじめてからずっと、紫外線によって発生する活性酸素の恐ろしさを知っているのだそうです。
紫外線は植物の細胞の中に入り込み恐ろしい活性酸素をつくり出すますが、植物たちのからだには、私たち人間にはない特有の、活性酸素を消去する「抗酸化物質」であるといいます。ビタミンE、ビタミンC、カロテン、アントシアニン、リコペンなどです。植物たちは、このような物質をからだの中につくって、活性酸素と闘っているのだそうです。
カロテンは緑黄色野菜の葉っぱに多く含まれニンジンの色を出す色素、アントシアニンは多くの花やナスやリンゴの色をだす色素、リコペンもトマトやスイカに含まれる赤い色素です。
そして著者は次のように述べます。「結局、葉や花や実の色となる物質が、活性酸素を消去する働きをもつのだ。だから、強い紫外線が当たると、活性酸素から身を守るために、植物はこれらの物質を多くつくる。その結果、葉や花や実は、きれいな色になるのだ。葉や花や実は、きれいな色になって、紫外線と闘っているのだ。まったく無防備に見える植物たちは、自分たちのからだをちゃんと守っているのだ」。
ひとことでいうと「たたかうトマトは美しい」ということになるでしょうか。奥が深いですね。私たちの活動にもいえるなあと思うのです。たたかう姿を輝かせようと。
2011年7月27日水曜日
ふしぎの植物学 「モヤシっ子はたくましい」
『ふしぎの植物学 身近な緑の知恵と仕事』(田中修著 中公新書)をおもしろく読みました。感動したことを紹介したいと思います。
最初はモヤシのことです。モヤシは、色白で長身で、力がなさそうにヒョロヒョロと伸びます。だから、私たちは、背の高い細身の子を「モヤシっ子」と表現し、「モヤシ」をひ弱さを象徴する語として使います。しかし、「モヤシ」は、ほんとうに、ひ弱さの象徴にふさわしいのだろうかと。
著者はラジオ番組に出演してこう説明したそうです。モヤシは、暗黒の中で発芽した芽生えが、「早く光に会いたい」と、光を探し求めて、一生懸命に上へ上へと伸びている姿です。「太陽は上にある」と信じて、ただひたすら背丈を伸ばし、生きようとするたくましい姿なのです。だから、光が当たれば、上に伸びるのをやめます。この内容がCMとなってラジオで流されたそうです。
太陽の光を見失った暗闇の中での植物の生き方がモヤシの姿。真っ暗な箱の中で発芽したモヤシは、「なんとか光の当たっているところに出よう」と思い、太陽の光を探し求めて、すべてのエネルギーを注いで懸命に背丈を伸ばします。
う~ん、なんか感動ですね。ところでモヤシという名前の植物はないそうです。以下、モヤシの説明を引用しましょう。
「モヤシが暗黒の箱の中で育った植物であることを知らない」という人や、「モヤシという植物の種類がある」と思っている人が、意外に多い。この人たちには、「モヤシという植物は、光の当たるところでも、あのような形態に育つ」と思われているようである。
「モヤシ」という植物種は存在しない。モヤシは、植物の種類の名ではない。植物の種子が、光を与えられず、十分な水をもらって育てられると、「モヤシ」になる。市販されているものは、ダイズなどのマメ類の種子に十分な水を与え、光を遮った暗黒の箱の中で発芽させ、しばらく成長させたものである。イネやムギの種子でも、十分な水を与え、光を遮った暗黒の箱の中で発芽させ、しばらく成長させた芽生えは、「モヤシ」と呼ばれる。
そうか、そうか。韓国ドラマの買い物シーンで「まめモヤシください」というシーンをみたことがありますが、そういうことだったのかと納得しました。
2011年7月13日水曜日
あれから4ヶ月
4ヶ月以上の空白。あの大震災があって、自分の思いをどう言葉にしていいかわからず、その後もタイミングを失って今日になってしまいました。
大地震の日の夕方、急遽、古岡ともやさん(道議予定候補)、紺谷よしたか市議、市戸ゆたか市議、それから本間かつみさん(市議予定候補)に党地区委員会事務所にあつまってもらい、古岡さんを本部長に、災害対策本部長を起ちあげました。避難所になっている市役所の8階の会議室、電車道路に面した窓にへばりついて避難した方々が見つめる先は、電車道路あたりまで迫っていた津波。外は真っ暗ですが、光の反射で津波の位置がわかりました。それ以上津波が寄せてこないことをたしかめ、「何か困ったことがあったらいつでも連絡くださいね」といい残して、その日は避難所をあとにしました。それ以降のことは、古岡ともやさんのブログ(http://furuoka.cocolog-nifty.com/blog/)が詳しいです。
家には、たまたま石巻から函館に里帰りをしていた娘のあさひ、地震直後に夫のともやくんから「大丈夫だった」のメールがあったと。翌日からともやくんとの連絡が取れなくなりました。それからずっとあさひはネットで、ともやくんの妹と、女川に住んでいるともやくんのおかあさんの安否確認の毎日でした。
テレビでみた仙台市若林区の津波映像。あの場所は私たち家族にとって思い出の場所でした。私たちは塩釜市に住んでいました。保育園が休日で、妻も私も仕事があり、名取市の妻の両親に子どもたちをあずけるとき、中間地点のコンビニで待ち合わせをして、おじいちゃんの車に乗り換える場所でした。いたたまれない気持ちになりました。
ともやくんのおかあさんと妹が大丈夫だとわかってからちょっとしたころ、福島市に住んでいる妻の妹一家は、放射能の影響を逃れるために、福島を脱出し、新潟からフェリーで苫小牧を経由し、函館にやってきました。妹はパニックになっていました。娘のはなちゃんを合格したばかりの福島の高校に入学させるか、だれも知り合いのいない新潟の高校に入れるか悩んでいました。気持ちが10分おきにかわると。1週間ほど函館に滞在して結局福島に帰っていきました。
大地震の日の夕方、急遽、古岡ともやさん(道議予定候補)、紺谷よしたか市議、市戸ゆたか市議、それから本間かつみさん(市議予定候補)に党地区委員会事務所にあつまってもらい、古岡さんを本部長に、災害対策本部長を起ちあげました。避難所になっている市役所の8階の会議室、電車道路に面した窓にへばりついて避難した方々が見つめる先は、電車道路あたりまで迫っていた津波。外は真っ暗ですが、光の反射で津波の位置がわかりました。それ以上津波が寄せてこないことをたしかめ、「何か困ったことがあったらいつでも連絡くださいね」といい残して、その日は避難所をあとにしました。それ以降のことは、古岡ともやさんのブログ(http://furuoka.cocolog-nifty.com/blog/)が詳しいです。
家には、たまたま石巻から函館に里帰りをしていた娘のあさひ、地震直後に夫のともやくんから「大丈夫だった」のメールがあったと。翌日からともやくんとの連絡が取れなくなりました。それからずっとあさひはネットで、ともやくんの妹と、女川に住んでいるともやくんのおかあさんの安否確認の毎日でした。
テレビでみた仙台市若林区の津波映像。あの場所は私たち家族にとって思い出の場所でした。私たちは塩釜市に住んでいました。保育園が休日で、妻も私も仕事があり、名取市の妻の両親に子どもたちをあずけるとき、中間地点のコンビニで待ち合わせをして、おじいちゃんの車に乗り換える場所でした。いたたまれない気持ちになりました。
ともやくんのおかあさんと妹が大丈夫だとわかってからちょっとしたころ、福島市に住んでいる妻の妹一家は、放射能の影響を逃れるために、福島を脱出し、新潟からフェリーで苫小牧を経由し、函館にやってきました。妹はパニックになっていました。娘のはなちゃんを合格したばかりの福島の高校に入学させるか、だれも知り合いのいない新潟の高校に入れるか悩んでいました。気持ちが10分おきにかわると。1週間ほど函館に滞在して結局福島に帰っていきました。
2011年3月8日火曜日
函館の人口減は全国2番目
先日の一般質問で、人口減の質問で西尾市長の答弁を受けたあと次のようなことを語りました。
そして弥生時代には大陸から人が入ってきたりして生産力が高まるのと同時に人口も増えていったのでしょう。私は専門家でないのでよく解かりませんが、おそらく人口が減るということは、飢饉がおきたり、あるいは伝染病の発生とか、あるいは戦争とか、そういう時に人口が減ったのだと思います。ですからこのような形で日本という国が、今まるごと人口が減少するという状況に至っていることは、そういう飢饉だとか、伝染病の発生とかと同様な大変な事態が起きているのだと私は思っています。
2011年3月5日土曜日
低所得者が入れるグループホーム
若手の古岡ともや道議予定候補と本間かつみ市議予定候補が介護保険事業者の方々からたくさんの要望をお聞きしました。その内容は「たくさんの要望ありがとう」(http://takahasikadai.blogspot.com/2011/02/3700-2200.html)にまとめていますが、そのなかから二人のアドバイスを受けて一般質問をしました。その内容を紹介します。ぜひ二人が当選して、自らこれらのことを道議会、市議会で質問してほしいと願っています。
2011年3月3日木曜日
タクシー地域計画
昨年は、「実りあるタクシー地域計画を」と、古岡ともやさんや党市議団(高橋佳大・丸尾りゅう子・市戸ゆたか・紺谷よしたか)と、道運輸局、函館運輸支局、道庁、渡島総合振興局、函館市などの行政機関、函館ハイヤー協会、各労働組合などに申し入れをしたり、懇談をしたりとがんばってきました。タクシー地域計画のその後について質問しました。
34億円の財源不足 生活保護費が増えたせいでない
私の一般質問の内容を紹介します。函館市の新年度予算が発表されると、財源不足34億円について、新聞各紙はいっせいに生活保護費の増嵩に原因があるという記事を書きました。しかしこれは事実とは違いました。そのことを明らかにした質問です。
2011年3月2日水曜日
最後の一般質問 議会質問のあれこれ
函館市議会第1回定例会で今日、一般質問をしました。私にとっては最後の一般質問でした。特別な事情があるときをのぞいてほぼ毎回質問に立ってきました。質問は議員にとって一番大切な仕事だと思います。演説も大変ですが、演説とも違う独特の大変さが議会質問にはあります。大変ですが議員ならではの醍醐味もあります。
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