ラベル 子ども の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 子ども の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2016年12月16日金曜日

北星余市高校教育相談会 わが娘もパネルディスカッションのパネラーに


12月14日付の「しんぶん赤旗」東北・北海道のページに「北星余市高校 存続へ運動続く 閉校の危機救え、地域住民ひとつに」という記事が載っていました。存続運動の一環として全国各地で教育相談会などが開催されていることが紹介されています。(存続の危機がない時でもやっていましたが・・・)


私の住んでいる函館では、10月22日に北星余市高校と函館のPTA(パドレスの会)の共催で行われ、卒業生でもある私の娘がパネルディスカッションのパネラーとして、自分の思いを語りました。親が言うのもなんですが、よくまとまったいい発言だったと思います。本人の了承を得たので、娘が書いた原稿を紹介したいと思います。

2016年6月26日日曜日

脱脂粉乳給食のあれこれ 「こども新聞」と「おもひでぽろぽろ」と「綱領教室」

毎週土曜日北海道新聞に折り込んでとどく「道新こども新聞 週刊まなぶん」に学校給食と脱脂粉乳のことが出ていました。
終戦の翌年の1946年、外国から援助された脱脂粉乳や缶詰を使った給食が始まりました。脱脂粉乳は牛乳から脂肪を抜いて粉にしたものです。これをお湯にとかして飲むのが、大切な栄養源でした。
50年代半ばには、牛乳にパンとおかずがつきました。戦後はアメリカから援助される小麦粉がたよりだったので、主食はパン。正式にご飯を使えるようになったのは76年からです。


2016年1月20日水曜日

ジブリ作品「おもひでぽろぽろ」のタイトルはなぜ旧仮名づかいなのだろう

テレビで「おもひでぽろぽろ」を見ました。2回目です。以前見たのはかなり前。

主人公タエ子は1955年生まれ。舞台は1982年の山形の農村。タエ子27歳。そしてタエ子小学校5年生の時の思い出、1965年。

小学5年生の時の忘れられない思い出。それは27歳のタエ子の人生にいまだ重い宿題を課しています。タエ子は山形に出かけます。そしてその宿題を現地の若者の力も借りて解いていくというお話です。堅苦しく言えばそういうことではないかと。

タエ子は年齢的に言えば、私の4つ上のお姉さん、世代的には私と同じです。このアニメに出てくる思い出も私の思い出と重なります。というかタエ子は私自身のような気がしてきます。

給食の脱脂粉乳のこと、バナナやパイナップルが高価だったこと、学芸会のセリフ、学級会の様子、週番、ひょっこりひょうたん島、あげればきりがないのですが・・・、あの風景も、生徒の思いも自分自身なのです。

さて「おもひでぽろぽろ」の「おもひで」が旧仮名づかいで書かれているのはなぜかということですが、タエ子にとっては、そんじょそこらの思い出とは違う重さがあるんですね。その重さの表現が「おもひで」なんです。旧仮名づかい表記をこのように使うことを思いつくなんてすごいと思いました。

追記
「ととろ」に出てくる「さつき」や「めい」も私のおねえさん世代だと思いますが私も子どもたちや孫のひまりと一緒に何十回もみました。

ちびまる子の「まる子」は、妹の世代かな。よくわかります。時代がわからない「サザエさん」よりまる子の方が好きです。

2015年12月30日水曜日

「風が見える」「カブトムシのにおい」 時として子どもは詩人だと思う

吹雪が2日ほどつづいたときに思い出しました。

もう10何年も前のことでしょうか。埼玉から弟の家族が函館に来て車に乗って出かけたんです。猛吹雪で雪がナナメにふってました。それを見て学校に上がる前の姪っ子が喜んで「風が見える!風が見える!」って。すごいなあと思いました。

それから去年のこと、夏休みにわが家で函館市内のオートキャンプ場にでかけました。借りたコテージには2段ベッドがあって、上のベッドからは屋根裏をのぞくことができました。ベッドにあがった孫のひまり。「わあ、カブトムシのにおいがする」と。ひまりだってカブトムシの匂いなんてしらないはず。どんな匂いなんだろう。いまだにわかりません。

時として子どもは詩人です。

2015年12月23日水曜日

ひまりからサンタさんへの今年の手紙

ひまりからサンタさんへの今年の手紙、やっと書けました。


サンタさんへ
こんにちは。
わたしは、サンタさんから、スプラトゥーンがほしいです。
でも、それにひつようなパッドがありません。
なのでわたしは、サンタさんから、スプラトゥーンと、それにひつようなパッドを、
サンタさんからのプレゼントとして、わたしの家にきて、
プレゼントをわたしのねているちかくにおいてください。
あと、かならず、げんかんからはいってください。
いちかいにあめがあるので、いちかいにいってからにかいにいってください。
ひまりより

追記
この手紙は、クリスマスにサンタさんが間違わないように、おかあさんが今日、サンタさんに届けるそうです。

2015年12月21日月曜日

「英語重視ばかりでは」という記事を読んで 私もヘンだなと感じていました

小学生の早いうちから英語の授業が始めるとかいう話を聞いて、漠然と何かヘンだなと思っていました。

ひとつめに、教育的に好ましいことなのかということです。九九でつまずきそうな2年生のわが孫を見ていて、また、英語という難題を抱えてやっていけるのかということが頭をよぎるのです。今日なんか、宿題の「8」の段をつまずいて、ちょっと訂正しようものなら、泣いて怒ってしまって、「もう四人も九九をセーハしたのに」と、消しゴムを投げるやら、「九九がんばりカード」を投げるやらで大変なんです。

ふたつめに思うのは、何で英語なんだろうかということです。英語が言語学的に世界の代表的な言語何だろうかと思うのです。昔というか、私が大学の頃、他の大学に入学した友人に「第二外国語は何をとった?」と聞かれたりしました。第一外国語は英語ということなんでしょう。その時もヘンだなと思いました。さいわい、私の大学では、第一、第二の区別はなく、2つの外国語、たとえば中国語とドイツ語を履修してもかまいませんでしたが。

みっつめに、それでなくても日本という国は、アメリカの属国のようになっているのに、言葉まで英語ばっかりになってしまったら、なんか植民地みたいだなと、そんなことを思ってしまうのです。

今日、北海道新聞で次に紹介する記事を読んで、なるほど、なるほどと思い、紹介します。この記事の中で紹介されている施光恒著「英語化は愚民化」(集英社新書〉を実は私も函館中央図書館から借りて手元にありますので、こちらも読んだら感想を書きたいと思います。
「風」 論説委員室から
「英語重視ばかりでは」
和田年正
北大植物園の宮部金吾記念館にあるそのノートは、見る者に強い印象を与える。
植物学の授業のノートだろうか。精密なスケッチ画ともに見事な筆記体の英文が連なる。日本の植物学の草分けで植物園の生みの親でもある、宮部博士の若き日の記録だ。
札幌農学校の2期生だった宮部や新渡戸稲造らは外国人教師から英語で受けた授業を筆記。寮で清書し、添削を受けて英語力を身につけた。
約140年前の明治初期。農学校を含め、日本高等教育のほとんどは英語など外国語で行うしかなかった。
それが明治20年ごろになると、日本語での授業が一般的になる。学術用語の翻訳が進み、外国人に学んだ日本人教師も育ってきたからだ。
宮部らの世代はいわば橋渡し役だった。明治の先人は母国語による近代化を選び、西洋文明を日本語の知識体系に変換することに成功した
ところが、最近の日本では政財界中心に、明治以来の近代化の歴史の逆を行くような、極端な英語化政策が推し進められつつある。
「グローバル化」を旗印に掲げ、「英語特区」構想や英語で抗議を増やす「スーパーグローバル大学」、さらに一部企業の英語公用化-。
これに警鐘を鳴らすのが政治学者の施光恒九大大学院准教授だ。著書「英語化は愚民化」(集英社新書〉は英語偏重の弊害を次のように説く
西欧の近代化は、ラテン語を解する特権階級だけの知識を各国語に翻訳したことが基礎になった。日本の近代化もまさにこれに重なる。
母国語でモノを考えることの大切さ、有利さは計り知れない。ノーベル物理学賞を受賞した益川敏英博士は英語嫌いでも知られるが、中国や韓国を訪れて、母国語で専門書を読める日本の優位性をしみじみと感じたという。
だが、グローバル化とセットになった新自由主義経済は言語や文化を障壁と見なし、英語を覇権言語とする秩序を強いる。そうした序列の下では、日本人はいくら学習しても、英米人や英語が不可欠な旧植民地のインドなどにかなわない。日本人は英語能力により、知的・経済的に分断され、良質な中間層と知的格差の小ささなど特質を失う-。鋭い考察と指摘が続く。
学校でも「グローバル社会で求められる英語教育」が進む。確かに「聞く」「読む」「話す」「書く」の4技能すべてができるのは望ましい。
しかし、小学校での早期教育には賛否両論がある。
文部科学省は次期学習指導要領で2020年から小3で英会話を導入し、高学年は授業時間も倍にする方向だ。
心配なのは、英語以外の基礎学力の行方だ。全国学力テストで北海道の成績は改善方向にあるものの、基本的な読み書き計算に難があるとされる下位層(全国平均の下位25%相当)は、道内の小学生のなお3人に1人に上る。
道内の教育関係者は「下位層の子どもは先生の話すの多くを頭の中で漢字に換えられず、文章題も理解できていない」と指摘する。
小学校での英語教育を進めるには、日本語の読み書きなど、子どもの基礎学力の土台をしっかりさせることが不可欠だ。他の教科がおろそかになるようであれば、英語教育の拡充も意味を失う。(北海道新聞12月21日付から)

2015年12月20日日曜日

肉の読み「にく」は訓読みか音読みか

孫のひまりが学校の宿題をやっています。漢字の書き取りは「肉」の字。「肉まん」と3度書いて、「おじいちゃん、肉まん食べた~い」と。


さて「肉」と書いて「にく」と読む。これは音読みですが、では訓読みは?もともとは「しし」だったようです。

笹原宏之著「訓読みの話 漢字文化圏の中の日本語」(光文社新書 352)にはこんなことが書いています。
消えた和語
「肉」は、音読みである「ニク」が現在ふつうに使われているが、これは、実はもともとの和語である「しし」を駆逐したものである。「いのしし」も、元は「猪のしし(肉)」という意味であった。今では、「しし」は「宍戸」、「宍道湖」など固有名詞の中で化石のように残るだけである。
「肉」と「宍」とは全く違う漢字のように思えるが、元を辿れば、「肉」を書きやすくするために六朝時代(3~6世紀)の人々が変形させたものが「宍」であった。古代の日本では、当時の中国のそうした風潮に従い、「肉」よりも「宍」を用いたため、古語の「しし」に一時期流行した俗字「宍」が定着を見たのである。
消えた和語について他の例を挙げると、古くは「脳」には「なづき」(なずき)「地震」には「なゐ(ない)」(のちに「なゑ」とも)、「暗礁」には「いくり」という和語があった。しかし、今では東北地方や九州といった日本列島の周辺部などで方言や固有名詞に残る程度となっている。
 以前、訓読みについてこんなことを書いたことがあります。「政治の訓読み」

2015年12月17日木曜日

サンタさんへの手紙 今年はどんな手紙を書くのかな

サンタさんへ
まいにちサンタさんは、たいへんでしょう。
だから、ひまりのおうちには、おいしいおかしがあります。
そのおかしで、パワーをつけてください。
ひまりがほしいプレゼントは、青いバケツのレゴです。
おもちゃやさんにうっているとおもいますので、
よろしくおねがいします。
たのしみにしてます。
ひまりより

「養護学校分校標茶町にぜひ」の記事 実現できればいいなあと思いながら読みました

本日(2015年12月17日)付「しんぶん赤旗」北海道・東北のページを読んで気持ちがあったあかくなりました。そして実現できればいいなあと思いながら読みました。今後もこういう記事を書いてくれること願ってます。

私もかつて函館の盲学校の寄宿舎を視察したことがあり、帰省費補助の問題をとりあげたことがあり、寄宿舎生活の大変さに心を馳せたことがありました。

また、保護者のみなさんの思いが、町長も道議も巻き込み一緒に道教委に要請したというのがすごいですね。そして人口を超える署名というのも。きっと渡邊議員もすごく頑張ったんでしょうね。(残念ながら私は渡邊議員とは面識がないのですが・・・)

それから、標茶高校、日本一広い敷地というのがすごいですね。実は私の父が大野農業高校(北斗市)に赴任していたことがあり、そこでもさまざまな実習施設があったのでですが、それを思い出しました。

標茶町、先月行ったばかりでした。塘路湖などの湿原の湖、牧場の景色、そして一級河川釧路川を満喫。さらに標茶町は、北海道に5つあった集治監のひとつ、釧路集治監があったところ。資料館にも行きました。私は小学生時代、釧路市の小学校に通っていましたが、遠足で塘路湖に行ったこともありました。

なお、標茶(しべちゃ)は、アイヌ語で「シ・ペ・チャ」で「大・川・岸」という意味です。大川とは釧路川のことです。

記事の内容
40キロ離れた学校で寄宿舎生活。子も親も負担大きい・・・養護学校分校 標茶町にぜひ町と連携 保護者の運動広がる署名1万1600、町の人口超す
「障害を持つ子どもたちに身近な地域でゆきとどいた教育を」と北海道標茶町(しべちゃちょう・釧路管内)の標茶高校に釧路養護学校高等部の分校設置を求める運動が広がっています。(北海道・越智朋子)
標茶町の障害を持つ子どもたちは、約40キロ以上離れた釧路養護学校高等部、中標津高等養護学校に進学するしかなく、寄宿舎生活を余儀なくされ、週末ごとに保護者が送迎します。
北海道標茶高校は、高校としては日本一広大な敷地面積があり、総合学科で校内に食肉加工、乳製品加工、製菓・製パンの実習施設、酪農施設などがあります。
「進学は地元で」
分校設置の運動は障害を持つ子どもたちの保護者や支援者でつくる「標茶町手をつなぐ育成会会」を中心に行っています。
同会児童部会部長の金津紫織さんと夫の道博さんは、ダウン症の15歳の息子の来年の高校入学をきっかけに、十勝管内の幕別町に道内で初めて高等学校内に設置された養護学校の分校(2013年設置)があることを知り、「これからの子や親のためにも分校が必要。標茶にも標茶高校がある。生まれ育った町で進学し、社会生活を送ってもらいたい」と他の保護者らに相談し、今年3月に署名に取り組むことにしました。
すぐに25人の会員が賛同し、友人知人たちや町内を個別訪問して署名を呼びかけました。ダウン症の4歳の息子がいる伊藤光子さん、夫の宏さんは「現状や私たちの思いを知ってもらえてよかった。障害者が安心して暮らら」と話しますせる世の中は健常者にとっても過ごしやすい世の中なはずなのでみなさんに考えてもらえたら」と話します。
同会の副会長で次女が障害を持つ、日本共産党の渡邊定之議員は議会で分校設置を求めました。
近隣町村も期待
標茶町に分校ができれば、近隣の弟子屈(てしかが)町、鶴居村、厚岸町などからも「通わせたい」との声も多く寄せられ、署名は町の人口(約8千人)を超える1万1618人分が集まりました。
集まった署名は11日に池田裕二町長、教育長、自民党道議、副議長らと一緒に北海道教育委員会の柴田達夫教育長に要望書と共に手渡しました。
同会代表の橋本志津江さんは「寄宿舎生活は、うまくいく子もいるが精神的に負担が大きい。共働きやシングルマザーも増え、保護者の負担も大きい。標茶高校の充実した施設は、障害を持つ子たちの就労にもつながる技術を学習できます」と分校の設置を求めました。
柴田教育長は「1学年の在籍人数や教員の確保など課題も多いがつながる道もある」と応じました。
会のメンバーは「話を聞いてもらえてよかった。道は、通級指導を推進しているが、高校では、自立につながる専門技術を学んでほしいので分校が必要です」と話しました。
会では、今後も町と連携して、要請活動をさらに広げていきたいとしています。
追記
越智記者さんの当別町の記事もよかったですよ。

追記
標茶町の集治監のことは別な機会に書きたいと思います。

2015年12月8日火曜日

ひまりまた大泣き!

家に帰ってくるなり、「おじいちゃんっ」とひとこと言うなり大粒の涙を流しながら、ひくっひくっとしゃくりあげる小学2年生のひまり。

「ぼうしとマフラーがなくなった」と。教室の中もさがしたし、落とし物コーナーも見にいったけどなかったという。マフラーはおとといおかあさんに買ってもらったお気に入りらしい。

地雷を踏んでしまった! ひまり激怒

きのうのこと、ひまりの宿題は九九の暗唱。「さんいちがさん、さんにがろく・・・」、何とか三の段をつっかえつっかえ唱えたひまり。

「こんどは、つっかえないように、もう一回やろう」と言ったら、「ひまり、やりたくなーいっ!」と反抗。「くりかえしやったらできるよ」と励ましたつもりが逆効果。「だってできないし。先生も1日1回でいいといったも」と。吠えるように大泣きしながら、ソファの上でのたうち回っているひまり。

まいったなあ。「孫の心、じいちゃん知らず」か? 孫育てはむずかしいのです。

2015年11月30日月曜日

函館市の亀田地区の公共施設統合について一言あり その1

いま函館市では、市の亀田地区の5つの公共施設を廃止、ひとまとめの統合施設にするという計画の素案が出されています。さらに亀田支所の窓口をも押し込むということのようです。

ひとまとめにする5つの施設は、亀田福祉センター、亀田青少年会館、亀田公民館、美原老人センター、美原児童館です。

2015年11月26日木曜日

のび太のママの気持ちがよくわかる

「のび太、宿題やったの?!」-ドラえもんに出てくるのび太のママのセリフです。最近のび太のママの気持ちがよくわかるんですよね。

2012年10月25日木曜日

「負けました」といえること

今日もいろんな出会いがありました。赤旗将棋大会の運営でお世話になった農業関連会社の社長さんを党函館地区副委員長の三国武治さんと訪問、お礼とごあいさつをしました。

「あ、高橋さんですね。お会いしたことありますよ」。もう今から十何年も前の赤旗将棋大会の開会あいさつに行ったときにお会いしていたとのこと。憶えていてくれてうれしかったです。

2012年10月1日月曜日

おじいちゃんは人気者

家族のみんなが出張とか早くからの実習とかで、いよいよおじいちゃんのおでまし。チャイルドシートを積んで横にひまりを乗せて保育園にいざ出発!

「ちがう、ちがう、もどって! おじいちゃん」。いつもの道順と違うようです。Uターンすること2回、「そこをみぎにまがって」、指の方向は左なんですけどね。ひまりも自信がないのか、その後は指さしだけ、「そこのみどりをこっち」、「『ありた』(ひらがなで書いてある看板)をこっちにいけばほいくえんだよ」。

玄関でもってきた靴を靴箱にいれて、「おじいちゃんちがうよ、うえにいれるの」。はいはい、すみません。「ひまりぃ」「ひまりぃ」、先にきていた子どもたちに声をかけられてひまりは人気者だな。そうそう、玄関では出席簿にマルをつけるんだっけ。

ばらぐみの部屋に入って、ふとんにシーツをかぶせて、リュックをかけて、着替えはホールの箱の中、全部、ひまりの指示ですませることができました。

よし、保育園のひまりをぱちりと記念写真。われもわれもと子どもたち。いい写真が撮れましたよ。すると「ぼくもやりたい」「ぼくも」「ひまりも」。みんなにシャッターを押させて、おじいちゃんは一躍人気者に。そこへ先生がやってきました。「大人のだいじなもの触っちゃダメよ」、すみませんでした。保育園のしつけのじゃまをしちゃったようです。

まだシャッターを押してない子は「やりたい!まだやってない!」と背中を向けて泣き出してしまいました。ごめんよ、こんど、ひまりのおじいちゃんと遊ぼうね。

2012年9月21日金曜日

ランドセル

赤や黒はもちろん、ピンク、青、水色、うす紫、黄色もありましたね。ランドセルの色です。函館市本通の交差点、昨日までの雨が上がり快晴。朝の宣伝をしていると、「おはようございます」と子どもたちが声をかけていってくれるので、楽しい宣伝でした。

2012年7月26日木曜日

ラジオ体操

小学校も今日から夏休み、ラジオ体操が始まりました。私も町会役員として、ラジオを持って、会場に毎日行くようになって10年くらいになります。以前ラジオ体操について書いた文章を紹介します。

「♪あたらしい朝がきた 希望の朝だ 喜びに胸を開け 大空あおげ ラジオの声に 健やかな・・・」――私が小学生の頃といえば、もう四〇年以上も前になりますが、あの頃と変わらないラジオ体操の歌。そして体操の仕方もまったく同じ。カードを首からぶらさげて、体操が終わると一目散にカードにハンコ(最近はシールのところもありますが)を押してもらいに列をつくる、そんな光景も昔と同じです。  町会の青少年部の役員となり、毎日ラジオをもって小学校のグラウンドへ。時間前からすでに学校に来ている教頭先生と、何人かの子どもたちが花に水をやりながら体操のときを待っています。それはとても平和で、とてものどかで、心が和みます。

無邪気なこどもたちの笑顔はもちろん、運動不足ですっかりなまってしまった体の筋肉痛もなぜか妙に心地よく、何かとても得をしたような気分になるのです。早起きは三文の得、ラジオ体操万歳です。

※この文章は2006年に書いたものです。

2012年7月24日火曜日

世直しの原石

中学3年の社会科の時間、先生が胸を張っていいました。「日本の税金のあり方は累進課税制といって、所得の多い人が高い税率で、少ない所得の人が低い税率で税金を納めるんだ」と。私は38年前に教えてもらったことを今でも正しいと思っています。その後導入された消費税は累進課税という考え方と正反対の税金です。

38年前のこの思い出を私は好んで街頭で紹介します。朝の宣伝では、色とりどりのランドセルを背負った子どもたちが次々と私の前を通って学校に向かいます。私が「収入のない子どものお小遣いにも税金をかける消費税は間違っています」とつけくわえると、子どもたちが、私の前で立ち止まり、ペコリとお辞儀して「おはようございます」と声をかけてくれます。門前に立つ校長先生になったようでした。

同様の話を森町で街頭でしました。終わると子どもたちが駆け寄ってきました。もじもじしながら「これ洗ってないんですけど」とプレゼントを私に差し出しました。足下に落ちていたと思われる小石でした。子どもと握手をしてありがたく受け取りました。「世直しの原石」という言葉が頭に浮かびました。

さて社会科の先生は私の担任でした。同期会で再会しました。先生はそのとき道教委の仕事をしていて「共産党にはずいぶんやられているよ」と笑って話していました。それでも同期生たちの前で「今度高橋佳大君が衆議院選挙に立起することになった。応援してくれ」と言ってくれました。私が96年に行われた衆議院選挙に立起表明をした時のことです。残念ながら先生は在職中に急逝されました。

2011年7月27日水曜日

ふしぎの植物学  「モヤシっ子はたくましい」

『ふしぎの植物学 身近な緑の知恵と仕事』(田中修著 中公新書)をおもしろく読みました。感動したことを紹介したいと思います。

最初はモヤシのことです。モヤシは、色白で長身で、力がなさそうにヒョロヒョロと伸びます。だから、私たちは、背の高い細身の子を「モヤシっ子」と表現し、「モヤシ」をひ弱さを象徴する語として使います。しかし、「モヤシ」は、ほんとうに、ひ弱さの象徴にふさわしいのだろうかと。

著者はラジオ番組に出演してこう説明したそうです。モヤシは、暗黒の中で発芽した芽生えが、「早く光に会いたい」と、光を探し求めて、一生懸命に上へ上へと伸びている姿です。「太陽は上にある」と信じて、ただひたすら背丈を伸ばし、生きようとするたくましい姿なのです。だから、光が当たれば、上に伸びるのをやめます。この内容がCMとなってラジオで流されたそうです。

太陽の光を見失った暗闇の中での植物の生き方がモヤシの姿。真っ暗な箱の中で発芽したモヤシは、「なんとか光の当たっているところに出よう」と思い、太陽の光を探し求めて、すべてのエネルギーを注いで懸命に背丈を伸ばします。

う~ん、なんか感動ですね。ところでモヤシという名前の植物はないそうです。以下、モヤシの説明を引用しましょう。 

「モヤシが暗黒の箱の中で育った植物であることを知らない」という人や、「モヤシという植物の種類がある」と思っている人が、意外に多い。この人たちには、「モヤシという植物は、光の当たるところでも、あのような形態に育つ」と思われているようである。

「モヤシ」という植物種は存在しない。モヤシは、植物の種類の名ではない。植物の種子が、光を与えられず、十分な水をもらって育てられると、「モヤシ」になる。市販されているものは、ダイズなどのマメ類の種子に十分な水を与え、光を遮った暗黒の箱の中で発芽させ、しばらく成長させたものである。イネやムギの種子でも、十分な水を与え、光を遮った暗黒の箱の中で発芽させ、しばらく成長させた芽生えは、「モヤシ」と呼ばれる。

そうか、そうか。韓国ドラマの買い物シーンで「まめモヤシください」というシーンをみたことがありますが、そういうことだったのかと納得しました。

2010年12月22日水曜日

ふたたび戸井高校の存続を求める大義について

12月6日付の投稿「戸井高校の存続を求める大義」にコメントをいただきました。私がブログを始めてから初のコメントで大変うれしく思いました。さて戸井高校の存続についての問題意識を直接12月議会の一般質問でぶつけました。以下、質問の大要です。