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2016年5月20日金曜日

柳広司『象は忘れない』を読んで


最近、「小説っていいなあ」と思ったのは、桜木紫乃の短編集『起終点駅』と柳広司の『象は忘れない』。これも短編集です。短編だけど連作のようになっていて、いずれも3・11の原発事故をテーマにしており、胸に迫ってくるものがありました。

本のタイトル『象は忘れない』は、内容とまったく関係がないようですが、英語のことわざからとっているそうです。「象は非常に記憶力が良く、自分の身に起きたことは決して忘れない」という意味とのこと。

ひとつひとつの作品のタイトルも内容との関係が私にはわからないのですが、「道成寺」「黒塚」「卒塔婆小町」「善知鳥」「俊寛」のタイトルは能楽の謡本からきているとのこと。

これらのことは、「しんぶん赤旗日曜版」4月10日号のインタビュー記事を読んで知りました。

この記事はよくできているので、もう少し引用してみたいとおもいます。

2012年11月11日日曜日

津軽海峡をはさんでの握手

11月11日は東京で「1000000人大占拠」の原発ゼロをめざす行動があり、全国各地でこれに呼応する集会やデモがありました。全国の人々が同じ日に同じ思いで行動するなんてなんとすばらしいことでしょうか。

あわせて感慨深いのは、津軽海峡をはさんで北海道の函館市と青森県の大間町の両方で同時刻に集会が開かれたことです。思い出すのは、9月に、原発をなくす道南連絡会のみなさんと下北半島原発見学ツアーに行った時のこと、青森のみなさんと交流する懇親会がありました。

2012年11月6日火曜日

揺るがぬ道南の団結と日本共産党の躍進で原発即時ゼロ・大間原発建設中止を

11月5日、6日の両日は、函館市の隣の自治体、北斗市と七飯町で終日街頭宣伝をしました。

北斗市の高谷市長も、七飯町の中宮町長も、大間原発建設に異議を唱え、気骨ある発言を「しんぶん赤旗」日曜版に寄せていただいているので、私の演説でもそのことを紹介しました。

2012年10月25日木曜日

「負けました」といえること

今日もいろんな出会いがありました。赤旗将棋大会の運営でお世話になった農業関連会社の社長さんを党函館地区副委員長の三国武治さんと訪問、お礼とごあいさつをしました。

「あ、高橋さんですね。お会いしたことありますよ」。もう今から十何年も前の赤旗将棋大会の開会あいさつに行ったときにお会いしていたとのこと。憶えていてくれてうれしかったです。

2012年10月6日土曜日

大間は全国の原発問題の焦点のひとつに

5日電源開発本社に大間原発の建設を中止するよう抗議の申し入れに行ってきました。

たしか10月1日だったと思いますが畠山和也さんから私に電話がありました。「佳大さん、こういう状況だから電源開発に抗議の申し入れをしたいと思っているんです。佳大さんのスケジュールを教えてくれませんか」という内容でした。畠山さんのブログやFBの発信も大間原発の問題で力がこもっていたので、さらにもう一歩駒を進めることを私は喜びました。

私は枝野大臣の大間建設再開容認発言と1日の工事再開によって、大間原発の問題は、われわれ函館や道南だけの問題ではなくなった、全国の原発問題の焦点になったと思って動いていましたので。そして、スケジュールは電源開発行きを最優先にすることにしました。

紙智子さん(党参議院議員)の努力もあり、電源開発本社も了解してくれました。また紺谷よしたか函館市議も一緒にいくことになりました。

さて話は前後しますが、電源開発の幹部が函館に来たのが1日13時でした。私はてっきり大間の建設再開を説得しにくるもんだと思っていましたが、そうではなく、工事を再開したという事後報告でした。工藤函館市長が怒るのも当然です。この日の市長と電源開発の話し合いはマスコミに公開されていて、その場にいた本間勝美議員が詳細なメモをとり、ブログに乗せています。これを読むと電源開発幹部を寄せつけない市長の気迫を感じます。

さらに市長の決意を感じたのは、その次の日、市長と市民団体との懇談の席上での市長の発言です。これも本間勝美議員のブログ(http://honmakatsumi.blogspot.jp/2012/10/blog-post_2.html)が詳しい。その中で、①人間の尊厳をかけた闘い、途中で妥協するわけにはいかない、自分の生きるか死ぬかとの思いの中での闘いだと、②私ひとりの力では無理、国の力、電源開発の力は大きい、全国からの賛同が必要。沖縄にいこうかなという発言をしています。

ここで思い出すのは、9月22日に青森県むつ市で行われた青森の人たちと函館の人たちの原発問題での交流の懇親会で青森の人が言った言葉です。「青森(下北)は核のゴミ捨て場、沖縄は基地のゴミ捨て場」と言って、青森と沖縄の共通性を語り、連帯の気持ちを表明していたのです。原発問題と基地問題がつながっている、そうかと思ったのです。函館市長の「沖縄に行こうかな」というのは、重要な視点だと思いました。

このように、函館では市長も経済界も市民も、さらに道南全体が一体となって大間原発再開をいかっているのです。

さて話を元に戻します。電源開発本社に着きました。びっくりでした。対応した方は、電源開発の渡部肇史常務、函館市長に会いにきたひとではありませんか。紙智子さんが話しなした。畠山和也さんが訴えました。紺谷さんも訴えました。そして私も。私が言ったのは現地の党の責任者として、「函館市民に説明もなく、来たと思ったら事後報告、函館市民を電源開発さん、どう思っているんですか、どうでもいいと思っているんですか」というと、常務の隣の人は、「函館市民をどうでもいいなんておもっていません。歓迎されなくても行ったじゃないか」的なことを、むっとした表情でいいました(私が受けた感覚です)。それにしても、アリバイ的な事後報告で「函館市民のことを考えている」なんて「よくいうよ。とんでもない」と市民ならみんないうでしょう。函館での説明会についても「今までどおり、情報提供します」と拒否です。

畠山さんが「なんでこの時期に再開なんですか」と聞くと、なんでそんなことを聞くのかというように、「ずっととまっていて、地元の方々の要望もあり・・・」、つまり、工事を再開したかったのにストップせざるをえなくなり、しかしやっと枝野さんがゴーサインを出したので、ということでしょう。あっけらかんと言ってました。聞いた畠山さん、あとで私に言いました。「想定外の回答でしたね」。それにしても民主党政権の大間再開容認は犯罪的です。

さて、この日はじめて、私は首相官邸前の金曜行動に一人で参加してきました。田舎ものなんでウロウロしながら最後尾にならび「なかなか動かないなあ」などと思いながら、うしろから聞こえる鼓笛隊?のリズムにあわせた若い男の人の掛け声、前から聞こえるドスの聞いた女性の掛け声にあわせて「再稼動反対!」「原発いらない!」「子どもを守れ!」とやってきました。その掛け声の中には「大間つくるな!」もちゃんと入っていました。やっぱり大間は全国の問題になっているとつよく感じました。

なお、電源開発への申し入れについての「しんぶん赤旗」の報道と畠山和也さんのブログ報告を紹介します。

【「しんぶん赤旗」6日付の関連記事】
日本共産党北海道委員会(西野敏郭委員長)は紙智子参院議員とともに5日、大間原発の建設中止を求める要請を電源開発株式会社と経済産業省に対して行いました。畠山和也・道委員会副委員長、高橋佳大・函館地区委員長、紺谷克孝・函館市議らが参加しました。

電源開発株式会社では、渡部肇史取締役常務執行役員らが対応しました。畠山氏は、「国のエネルギー政策の中での大間の位置付けもはっきりしない。活断層の指摘もあり安全性も確認されていない。函館市をはじめ北海道全体で不安と不満が出ており、要請をしっかり受け止めてほしい」と要請しました。

これに対して、渡部取締役は、「真(しん)摯(し)に受け止めたい」としながらも「化石燃料と新エネルギーに全てゆだねるのは難しい。原子力発電所は、今後の日本を支えるのに必要と判断している」と答えました。

また、函館市民に向けて住民説明会を求めたのに対しても「住民説明会は難しい。函館市に情報を提供しているので、市の方から情報を開示してほしい」としました。

経済産業省では、資源エネルギー庁原子力発電立地対策室長補佐が対応。住民説明会について、持ち帰って検討することを表明しました。

「赤旗」の記事は以上ですが、畠山和也さんの報告ブログはこちらからです。http://hatarogu.blogspot.jp/2012/10/blog-post_5379.html

2012年10月1日月曜日

「30年代原発ゼロ」のいかさまを象徴する大間原発建設再開

集まった市民の熱気に感動しました。大間原発の事業者である電源開発が工藤函館市長に会いに来るというので緊急の抗議集会。

「大間原発 大間違い!」「MOX燃料とんでもない!」「大間原発 しりめつれつ!」「核燃料サイクル ほんまつてんとう!」のかけ声に力がこもります。

そこへ電源開発幹部の車が玄関前に到着。みんな玄関の方を向き、「電源開発は帰れ!」「大間原発やめろ!」の叫び。

電源開発の幹部が中に消えた後、参加者は市長室のある6階を見上げながら「市長がんばれ!」「市長負けるな!」「工藤がんばれ!」「工藤負けるな!」の大合唱。

会場でささやかれた、「大間原発建設はもう再開する」の言葉。ホントでした。北海道新聞の夕刊。「大間原発 建設再開」「電源開発 16年にも稼働」の記事。

函館市民の怒りは限界点に達しています。

「30年代原発ゼロ」のいかさまを象徴しているのが大間原発ですね。

2012年9月23日日曜日

下北半島原発見学ツアー 津軽海峡秋景色の旅

9月22日と23日の両日「原発をなくす道南の会」の仲間17人で「下北半島原発見学ツアー」 に行ってきました。

2012年9月20日木曜日

大間原発建設再開容認発言の波紋

今日の北海道新聞の函館のページに枝野経産相、藤村官房長官が大間原発の建設再開容認発言についての記事が掲載されていました。「『大間』建設再開容認」「逢坂氏『政府が暴走』」「自民・前田氏 共産・高橋氏 民主の迷走批判」という見出しです。私も昨日記者からコメントを求められ、話したことの一部が書かれています。その部分についてだけ今日は解説を加えたいと思います。

まず、私のコメントがどのように書かれているのか、紹介します。
「共産党の高橋氏は大間原発が建設されれば『今、生まれた子どもが40歳以上になるまで函館市民は原発の恐怖に日本一長くさらされる』と強調。脱原発を訴える逢坂氏について「政党としても同じことを言えるのか」と分裂する民主党を皮肉った」というものです。

私は記者に聞かれて「民主党政権の新しいエネルギー戦略が原発ゼロ、新増設なしを打ち出してすぐに大間原発容認とは許しがたい」と言って、記事で紹介された「今、生まれた子どもが・・・」とまずコメントしました。

次に「脱原発を訴える逢坂さんとの違いは何ですか」と聞かれたので、①「共産党は原発ゼロの期限について、再稼働なしでもこの夏を乗り切ることはできたし、国民世論もただちにゼロを求めていることから、共産党はただちにゼロと政策を発展させました」、②「政党というのは中央でも地方でも同じことを主張することが大事で、民主党は中央と地方でいうことが違います。この点、私たちは中央でも地方でも一貫性があります」と答えました。言いませんでしたけれど、これは自民党にもあてはまることです。

逢坂さんとは、7月に女性団体の集会で会った時、私に「原発は反対ですから。笠井さん(共産党の衆議院議員)とも一緒にやってますから」と言ってたので、逢坂さんの脱原発の心に私はいつわりはないと思います。ただ、それぞれが自分の信念で所属している政党には責任を持たなければならないということです。新聞では私が「皮肉った」と書かれていましたが、大まじめでいったことなのです。

2012年9月7日金曜日

ぜったいゼロっ!

「いまNOといわなければ」「脱原発」「大間原発オーマイゴット 大間原発大間違い」などの原発ゼロの思いが書かれた行灯が今日はきれいでした。毎週金曜日の首相官邸前の反原発行動に呼応して、函館でも函館市役所前で、原発ゼロの行動が毎週行われています。

主催者を代表してのピーターハウレットさんのあいさつ。「政府のエネルギー戦略の内容はとてももやもやしてしまいます。だから私たちの行動が大事です」というような内容でした。まったく同感でした。

函館の行動はちょっと変わっています。函館市役所玄関前を出発して、市庁舎をぐるりと行進。また、出発点に戻りスピーチ、また出発という感じです。ウォークのかけ声がおもしろいですね。

「原子力発電ぜったいゼロっ!」「大間原発とめるには ゼロだぁゼロだぁ」「笑い声取り戻すにはゼロだぁゼロだっ!」「函館で平和に暮らすにはゼロだぁゼロだっ!」「原発事故を心配しないで暮らすにはゼロだぁゼロだっ!」「未来の人に感謝されるのはゼロだぁゼロだっ!」「自然エネルギーに真剣に取り組むにはゼロだぁゼロだっ!」

こんなのもありました。「野田にはノーだ。ノーノーノーだ!」「放射能にはノーノーノー!」「原発をやめる勇気を持とう」「子どもにきれいな海を残そう!子どもにきれいな川を残そう」「工藤市長の凍結宣言を応援するぞぉ!」(工藤函館市長は大間原発の建設は永久凍結と言っています)、「工藤市長は初志貫徹しろぉ」。

行進中、お坊さんがお経を唱えながら、太鼓(? あれ何て言うんでしょうか)のようなのを叩いて歩いていました。

今日の参加は70人だったとのことです。