1.「経済的徴兵制」というのは、「徴兵制」のあり方のひとつではなくて、貧乏ゆえに軍隊に志願せざるをえない「志願制」の別名だということ
序章「経済的徴兵制」の構図 「貧弱の命を「消耗」する戦争」から
「経済的な利点を餌にしてリクルートするのは、民間企業でも普通にやっていることでは?」と思う人はいるかもしれない。
序章「経済的徴兵制」の構図 「貧弱の命を「消耗」する戦争」から
「経済的な利点を餌にしてリクルートするのは、民間企業でも普通にやっていることでは?」と思う人はいるかもしれない。
おれたちを踏みにじった人間たちに、この償いをさせなければならない。戦争がどれほど根こそぎ人間らしさを奪いつくすのか、子どもたちに伝えなければならない。
何としてもおれは生き延びよう。生き延びてさえいれば、いつの日か故郷へ帰れる日が必ず来る。
奪われ続けてきたおれの生きる意味を、生きて、生き抜くことで取り戻すのだ。
――1944年9月、日本軍により中国から連れ去られた劉連仁。過酷な炭鉱労働から逃亡し北海道の山中で13年間生き抜いた。奪われた人としての尊厳をとり戻すための孤独な闘いの物語。
建有川寨門
現在も、木古内町との境界は一部、建有川になっていますが、松前藩の頃までは川の流れそのものが境界だったようです。ところが、蛇行する川の流域は、雨が降るたびに変わり境界がはっきりしないと言う不便さがありました。その為、これに因って紛争が起きないように安政3年(1856)正月に両村で取り交わした約束が、この書簡です。内容は、「例え降雨で川の流れがどの様に変わっても、お互い文句は言わない。」というもので、知内村の名主豊吉、年寄八右衛門、百姓代吉兵衛、梅吉の署名があります。ここまでだけなら、川の2つ村境となっている川は氾濫をおこすので、それに代えて境界柱を建てたというだけの話ですが、単なる村境ではなかったんですね。
ところで、その頃幕府は蝦夷周辺へのロシヤの進出もあって、北辺警備のため安政2年蝦夷地を松前藩から取り上げ直轄統治とし、箱館奉行所を置いています。この時、知内から乙部までの間だけは松前領として残し、他は全て幕府直轄としました。松前領と幕府直轄地の接点になった建有川には警備のため寨門(砦)が設けられ、木古内側に箱館奉行所の番所、知内側に松前藩の番所があって通行人の手形、荷物の検査をしたと言われています。先の「為取替申境一札之事」はこの時、幕府領と松前領の境を明確にするために取り決めさせたものと思われています。単なる村境ではなく、幕府領と松前領の境だったんですね。興味深いです。
Taksan years ago, skoshi Cinderella-san lived in hootchie with sisters, poor little Cinderella-san ketchee no fun, have no social life. Always washee-washee, scrubee-scrubee, make chop-chop.
このピジンには「韓国バンプー英語 Korean Bamboo English」という名称がつけられている。これは1950年代の朝鮮戦争の頃、アメリカ兵と韓国人の間で使われたという。ここに挙がっている例は、アメリカ兵が語ったものである。
内容は、「シンデレラ物語」。朝鮮戦争の頃にアメリカ兵と韓国人の間で、どうして「シンデレラ物語」が語られたのか、そしてそれがどうして記録されたのか、いろいろ不思議である。
全体的には英語が基盤になっている。語順はSVOであり、前置詞も使われている。yearsやsistersでは、複数を示すsがきちんとついている。
だが語彙は韓国語というより、日本語がたくさん混ざってるところが注目である。つまり、アメリカ人が韓国人相手に日本語を混ぜたピジンを使っているわけだ。このアメリカ兵は日本に滞在した経験があるらしい。
日本語を知っているのは語り手だけではないはず。この話を聴いている韓国人もまた、日本語の語彙が分かることが前提でなければおかしい。アメリカ人と韓国人が日本語混じりのピジンを使っているとは、なんともユニークな光景である。
なかには分かりにくい語彙もある。hootchieは「うち」つまり「家」のことであろう。ketchee はcatch 、washee はwash、scrubeeはscrubだから「ゴシゴシこする」 という意味らしい。それを繰り返しているのは、その動作の反復を表すためである。chop-chop「切り刻む」も同じ。
Cinderellaにsanがついているのも面白い。日本語の「さん」 であり、名前に付ける敬称。そのCinderella-sanにskoshiが付いている。これは「小さい」「幼い」というつもりなのであろう。少ない語彙に多くの意味を持たせている例に違いない。
不思議なピシンだ。アメリカ人ならふつうの英語でこれを語ることも充分できるはずである。それなのにわざわざ、こういう風変わりなことば遣いをする。これはひとえに、相手に分かってもらうためではないか。人はこんなにも、コミュニケーションに対する意欲が強い。要約というよりもほとんど引用になりましたが、ピジンとはどういうものなのか、面白く理解できました。
複数の言語が交流するようになると「上下関係」が生まれることがある。そうなればゆくゆくは一方が痕跡を残すだけで消滅してしまう。
しかし、そうばかりとも限らない。お互いに歩み寄って、両者が新しいことばを作るという方法だって考えられる。ピジンの始まりはここにある。
ピジンとは、接触する複数の言語のそれぞれから語彙や文法を採る入れて、ことばが通じない人たちの聞でコミュニケーションをとるために作られる、一種の「共通語」。その際、一分はある言語に近く、別の部分はほかの言語に近いというようなことが起きる。
ピジンが生まれるのは、必要に迫られたとき。とにかくその場がしのげればいい。発音とか文法とか、細かいことにこだわっている場合ではない。母語となったピジンがクレオール
ピジンは一般に語彙数が少ない。その代わり、1つの語に多くの意味や機能を持たせる。これを駆使することによってさまざまな事柄を表現するわけである。
ピジンは基本的にその場しのぎの即席なものである。しかし、はじめはその場しのぎにすぎなかったピジンが、いつしか共通語として、だんだんと定着していく。長期間にわたって絶えず接触していけば、そのピジンは社会全体で共有されることにもなりうる。
社会全体で使っていれば、ついにはその混成言語しか使わない子どもだって現われる。子どもがみんなの使っていることばを身につけるのは、自然なことである。このように、ピジンが母語の状態になったものを、クレオールという。
クレオールはピジンに比べて、使用目的が広がる。なんといっても、母語になっているのだ。その分、語彙も豊富になり、文法だって複雑になる。もはや「その場しのぎ」ではない。
このピジンやクレオールに、なにか共通する傾向はあるのか。まず、基盤となる言語に比べて単純化されている。だが、それはそれで独自の体系を築いていることを忘れてはならない。クレオールの評価
クレオールが形成されるまでには、その歴史的背景のため、長年「崩れた」「堕落した」「下品な」ことばという評価を受けてきた。「正しい」「純粋な」言語を好む人たちにとって、クレオールはむしろ撲滅の対象なのかもしれない。だが、今では有力言語となっているが、かつてはクレオールだったという例もある。
たとえばスワヒリ語で、タンザニア、ケニア、ウガンダなど、東アフリカで広く話されるこの言語。アフリカといえばスワヒリ語というくらい、イメージとして定着しているようだ。もちろん、アフリカ大陸全体をカバーするわけではない。
そのスワヒリ語は8世紀期の東アフリカで、アラビア語を話す商人とバンツー諸語の話者との接触により住まれた言語であるという。つまりはクレオール。
フランス語もクレオールだという考え方がある。フランス語は、ガリア語の上にラテン語が乗っかるようにして形成された。ガリア語とラテン語の間には「上下関係」ができて、ガリア語はラテン語に呑みこまれてしまう形になったが、ー部にはガリア語の痕跡も残っているし、複数の言語が接触して新しい言語が出来たことには違いない。それならクレオールではないか、というわけだ。
言語接触によって生まれたフランス語に対して、「崩れた」 「墜落した」「下品な」 という意見は聞かない。そう、フランス語は崩れていないし、堕落してもいないし、下品でもない。同様にスワヒリ語だってそうである。
言語はそれを使っている人にとって、かけがえのないものである。それに対して「崩れた」 「堕落した」といった評価を下す、その心が怖ろしい。ピジン・クレオーノレに対する偏見は、すでに完全に過去のものである。万がー、いまだに偏見を持っている人がいるとすれば、その人は言語について何も語る資格がない。要約というか、抜粋になってしまいましたが、「フランス語は下品か?」というタイトルをつけたのも、言語に「ダメな言語」という烙印を押すのなら、フランス語だってクレオールなんだから「ダメな言語」ということになってしまうよというところが一番心に残ったからです。
春はあけほのやうやうしろくなりゆく山きはすこしあかりてむらさきたちたる雲のほそくたなひきたる夏はよる・・・
※「やうやう」は「やう」は、踊り字と言って縦書きだと「〱」という文字ですが、横書きではうまく入力できませんでした。やっぱり読みにくいですね。昔の人が苦も無くよめたのは、「連綿体」で書かれていたからです。続け字です。一語と考えられる一まとまりは文字と文字とが切られないで連続して書かれていること(連綿)、語句と語句のあいだが切りはなされていること(分かち書き)で読みやすくなっているのだそうです。
韓国語の表記はハングルという固有の文字を使いますが慣れるまでちょっと手こずります。アラビア語も固有のアラビア文字があります。私はハングルは慣れたのですが、アラビア文字は続け字になっていてとっつきにくく入り口で学習がストップしています。→ アイヌ語を学び始めてアラビア語は活字体=筆記体なんでしょうか。これも連綿なんですね。続け字だけど一語がまとまっていると考えればいい、とっつきにくいなんて言ってちゃだめですね。
戊辰戦争は味方か敵か、恭順するか戦うか、そうした二者択一的な選択を迫った。
討幕派による王政復古のクーデターがその始まりとなったが、近代国家がこのような武力討伐によって成立したことが、その後の歩みを軍事国家にしていった、そもそもの根元であったのではないか。
平和的・穏健的に静かに徳川の世を終わらせていくことができたなら、もっと違った近代史がイメージできるようにも思う。著者は、討幕派だけを批判しているわけではありません。
幕府のなかにも戦争を避けようという人びとが少なからずおり、箱館奉行も事おだやかに新政府に引き継いだ。そこへ、外から榎本旧幕府軍が入り込んできて、占領地の人びとを混乱・不安のなかに陥れた。その責任は免れるものではない。
松前藩は、戊辰政変のなかで、過激尊皇派が反対派を血の粛清で権力奪取した。無理やりの反論統一が、その後も殺伐とした権力対応をとり、旧幕府軍以上の残虐な面をみせていた。
武力やクーデターによる権力奪取は「狂気」を含み、大きな不幸をもたらすといわねばならない。さて、最後になりますが、「あとがき」にはこんなこともー。
公正も進んだころ、憲法の制約を超えて海外で戦争できる国へ変えようとする政権のねらいが顕わになった。戦争への道をふたたび繰り返さない、そのための歴史研究と心得てきたが、こうした時期に刊行を迎えることになった。戦争について考える一助になるなら幸いである。はい、たいへん勉強になりました。ありがとうございました。
(志位)一言でいうと、日本国民の新たな歩みが始まった年となったのではないか。戦争法に反対するたたかいは、一人ひとりが主権者として、自分の頭で考え、自分の言葉で語り、自分の足で行動する、自由で自発的な行動がおこったという点で、戦後かつてない新しい国民運動といえると思います。もっと言えば、日本の歴史でも初めての市民革命的な動きが開始されたといっていい。そういう市民社会の動き、国民運動の動きを、いかに政治の変革につなげていくかが、今年の課題になってくると思っています。そしてその内容は何か 。1.「総がかり行動実行委員会」という統一戦線の組織が生まれたこと、2.95%の憲法学者が違憲だと声を上げるなど知識人が果たした役割は歴史的だったこと、3.「シールズ」、「学者の会」、「ママの会」と、主権者として自覚した方々が個人として連携し声を上げたことと整理されていました。
(中野)われわれ大学の教員と共産党というのは似ていて、同じようにうっとうしいように思われている(笑い)。常に正しい答えを知っていて説教しているようなところが、たぶんあるんだと思うんですね。そういう意味では、自戒も込めて申し上げているんですけども、いかに見られているのか、どのように受け止められているのか、どうすると伝えたい相手に対してよりリスペクトがこもった、メッセージの伝え方ができるのか、というようなことについて、共産党のみなさんにもぜひ取り組んでいただきたい。
(志位)それは、おっしゃる通りだと思います。私たちは、党をつくって94年になりますが、つねに相手方の攻撃にさらされます。苦しい状況が続くこともある。最近でも、90年代の「自民対非自民」のキャンペーン、2000年代の「自民か民主か」の「二大政党論」のキャンペーンなど、難しい情勢に直面し、それらと苦闘してきました。そういうなかで、「正しいことを言っているのだから必ず分かってもらえる」と確信をもって、それで頑張ってきたという面もあります。ただ、さらに広い国民に支持される党になるためには、いわれるような努力がもっと必要です。伝える相手へのリスペクトをもって、もっと謙虚にという努力が必要だと思います。ここのところは、前にもブログに書いたのですが、私の思っていることも、そこそこあたっているなと思い、うれしくなりました。