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2018年6月11日月曜日

駒ヶ岳七変化

駒ヶ岳は、見る位置によってまったく形が変わる不思議な山です。それで昨年の秋、ドライブがてら駒ヶ岳を時計回りで1周してみました。その時の写真です。
駒ヶ岳の景気にオモテとウラはあるのか?




















2017年4月21日金曜日

学芸員さんが親切に教えてくれた 知内のノスリ 八雲のアイヌ語の碑

私が住んでいる函館から知内町(しりうちちょう)に向かう途中、国道の歩道にうずくまっている鳥が‥。ワシ?タカ?車にぶつかってケガをしたのかと思ったのですが、目があった途端、獲物をぶら下げて飛びたち、森の方に消えてしまいました。去年のことです。

画像に含まれている可能性があるもの:屋外

この鳥は何なのか、知内町の町名はアイヌ語の「チリ・オチ」(鳥・居るところ)からきていると聞いたことがあるので、郷土資料館に行ったらわかるかもしれないと思い、ずうずうしくも知内町の郷土資料館で学芸員さんに「この鳥は何でしょうか」と聞いてみると、学芸員さん、図鑑とか見だして調べてくれています。

2017年4月16日日曜日

谷村志穂『大沼ワルツ』が朝ドラになればいいのに

谷村志穂さんの小説『大沼ワルツ』(小学館、2016.7初版第一刷発行)を読みました。私が住む函館の隣町、七飯町の大沼が舞台になっています。地元バカと思われるかもしれないけど、私はこの『大沼ワルツ』がNHKの朝ドラになればどんなにいいだろうと思うのです。



2016年10月21日金曜日

茂辺地川のサケ、「茂辺地」と「紋別」の地名の由来は同じ 

昨年(「茂辺地川のサケはサイコー」)につづき、今年も茂辺地川のサケを見てきました。

茂辺地川はあまり大きくない川なのでサケを近くで見ることができるので、数えきれないサケが遡上しているその姿が感動的です。この日(10月19日)は、観光客と思われる方々もタクシーに乗って見学に来ていました。


2016年2月23日火曜日

知内町のあれこれ、花井やすこさん応援記④

木古内町から知内町に行くには、木古内から津軽海峡に沿って国道228号線を南下するのですが、知内町の街中を過ぎると突然西に進路をかえ山道に入っていきます。知内町小谷石と福島町岩部の間に道路がないからです。難所なんですね。西に曲がるときれいな山の景色が目に飛び込んできます。



この山々が何という山なのかぜひ知りたいところですが、地図を見ても私にはよくわかりませんでした。前から感じていたのですが、雪をかぶった山の景色はグッと立体化して美しいのです。

山々が美しく見えるこのあたりをもう少し進むと花井やすこさんの住む湯の里です。ではまた。

知内町のあれこれ、花井やすこさん応援記③

今日も知内町へ。路面の状態もよく、行き帰りの景色を楽しむことができました。

さて、木古内町と知内町の境にこんなものが建っています。「建有川寨門(たてありがわさいもん)跡」と書かれています。


拡大するとこんな感じです。どんなことが書かれているでしょうか。書き写すのは大変なので、知内町のホームページに書かれていることをそのまんま紹介します。


建有川寨門
現在も、木古内町との境界は一部、建有川になっていますが、松前藩の頃までは川の流れそのものが境界だったようです。ところが、蛇行する川の流域は、雨が降るたびに変わり境界がはっきりしないと言う不便さがありました。その為、これに因って紛争が起きないように安政3年(1856)正月に両村で取り交わした約束が、この書簡です。内容は、「例え降雨で川の流れがどの様に変わっても、お互い文句は言わない。」というもので、知内村の名主豊吉、年寄八右衛門、百姓代吉兵衛、梅吉の署名があります。
ここまでだけなら、川の2つ村境となっている川は氾濫をおこすので、それに代えて境界柱を建てたというだけの話ですが、単なる村境ではなかったんですね。
ところで、その頃幕府は蝦夷周辺へのロシヤの進出もあって、北辺警備のため安政2年蝦夷地を松前藩から取り上げ直轄統治とし、箱館奉行所を置いていますこの時、知内から乙部までの間だけは松前領として残し、他は全て幕府直轄としました松前領と幕府直轄地の接点になった建有川には警備のため寨門(砦)が設けられ、木古内側に箱館奉行所の番所、知内側に松前藩の番所があって通行人の手形、荷物の検査をしたと言われています。先の「為取替申境一札之事」はこの時、幕府領と松前領の境を明確にするために取り決めさせたものと思われています
単なる村境ではなく、幕府領と松前領の境だったんですね。興味深いです。

さてこの横には知内特産「ニラ」の看板がありました。


こんなことを楽しみながら花井やすこさんのところに向かうのです。

2016年2月17日水曜日

知内町のあれこれ、花井やすこさん応援記② 白い闇の恐怖

今日も、花井やすこさん応援のため知内町に行ってきました。3日目です。花井さんといっしょに活動するのは楽しいのですが、一番大変なのは、往復130キロの雪道の運転です。函館から函館・江差自動車道に乗り、北斗市茂辺地で降りて、そこから国道228号線を走ります。

私はもともと雪道の運転が苦手なので、冬は函館市内でしか車には乗りませんが、選挙に勝つためにはそんなことをいってられません。

雪道のスリップの危険もそうなのですが、今日は、真っ白な道路、両サイドの真っ白な雪、景色の雪が、振ってくる雪と風が舞い上げる雪煙のせいであわいを失い、形容矛盾なのですが白い闇状態で、それはそれは怖い体験をしました。これがホワイトアウトっていうやつなんですね。

さて今日の活動ですが、花井やすこさんはインフルエンザの病み上がりですのでならし運転の活動です。地元の地域を訪問し、自分の政策やプロフィールが載ったチラシを配布しながら署名のお願い。こんな感じです。


ところで花井やすこさんは、この地、知内町の湯の里地域の小中学校に通いました。一緒に訪問すると、地元のみなさんから「やすこちゃん」「やすこちゃん」と呼ばれています。

高校はお隣の町の木古内高校を卒業後、道職員となりました。数年前におかあさんの介護のために知内にもどりました。実は夫の悠明(ひろあき)さんとは、木古内高校1年生、2年生の時の同級生。そのせいかどうか、二人の会話を聞いていてわかったのですが、おたがいを「ひろあき」「やすこ」とファーストネームで呼んでいるのが、なんともほほえましいのです。


今日はこれくらいにします。ではまた―。

2016年2月15日月曜日

知内町のあれこれ、花井やすこさん応援記①

フェイスブックでは書いてきたんですが、北海道知内町議会議員選挙が3月27日投開票で行われます。

この選挙に、花井やすこさんが立候補を表明しています。日本共産党の議席が空白なので、ぜひ当選してほしいと私も微力ながら応援に通いはじめました。

函館から津軽海峡に沿って西南へ、北斗市、木古内町を過ぎると、知内町です。さらに車を走らせ、福島町に近い地域、湯の里が花井やすこさんの住んでいるところ。

知内川にかかる萩茶里(はぎちゃり)橋のたもとに3つの看板。ひとつはこれです。


「チリ・オチ(鳥居る処)。知内(川、村 しりうち)の原名。この川の近傍、鷹のなるを以てこの名あり。」と書かれています。


2つ目の看板は橋の名。萩茶里は湯の里の元の地域名です。


そして、ここは青函トンネルの出口になっています。今日も雪の中、大きなカメラを構えた人が立ってました。

そしてこの橋を越えると湯の里地域です。今日はここまで、ではまた。

2015年11月20日金曜日

函館市恵山郷土資料館が廃止になる?

「恵山郷土博物館廃止へ」の記事

写真は北海道新聞10月29日付函館のページに掲載された「恵山郷土博物館廃止へ」の記事です。
「函館市は恵山地区の続縄文時代の土器などを展示する函館市恵山郷土博物館(柏野町)を本年度末で廃止する。施設の老朽化が進んでいるため。収蔵物の一部は廃止後、えさん小で展示する」という内容です。

2015年11月18日水曜日

ニシン街道を北上してみた

自分のルーツを調べていたら、父方の祖父母はどちらもニシンを追って北海道にきたのではないかと思うようになりました。それでこの夏から時間をみつけて北海道の日本海側のまちを訪ねました。

どこのまちにも写真のような「にしん街道」という標柱と説明板がありました。説明文はまちごとに違い、わがまちを控えめに自慢している説明文、思いっきり自慢している説明文など読んでいて面白くなります。

駒ヶ岳の景色にオモテとウラはあるのか?

フェイスブックのお友達が「大沼からみた駒ヶ岳の写真をアップして「私は中学生まではてっきり森町から(見た駒ヶ岳)の方が正面だと思い・・・、函館に嫁になってから、大沼から(見た駒ヶ岳の方が)正面だと聞かされました」と書いていました。


私はこれを読んで世の中では、駒ヶ岳の正面の景色はどれかということが会話の対象になっていることがわかりました。

2015年10月13日火曜日

アイヌ語を学び始めて

10月11日函館博物館の「やさしく学ぶ北海道南部のアイヌ語」講座(講師:大野徹人さん)に参加して、アイヌ語を学び始めました。講義を受けて思ったことを書いてみます。

アイヌ語と日本語は語順がほとんど同じ

語順が日本語と同じということは学びやすいということです。韓国語も日本語と語順がほぼ同じですが、韓国ドラマを見るとき、韓国語を聞きながら日本語の字幕を追うと、韓国語の単語と日本語の単語の対応がわかります。アイヌ語もそうだというのはなんともうれしいことです。