2012年10月31日水曜日

縄文弁当とがごめこんこん

訪問活動で函館市と合併した旧南茅部町地域、旧椴法華村地域、旧恵山町地域に行ってきました。縄文の里南茅部では「縄文文化交流センター」を視察、国宝「中空土偶」にご対面しました。「北海道・北東北を中心とした縄文遺跡群」を世界文化遺産にしようというとりくみにも注目していたのでよかったです。視察後、隣の道の駅で「縄文弁当」をおみやげに買いました。がごめコンブを練り込んだこんにゃく「がごめこんこん」も。

その後、この地域の訪問活動に。「しんぶん赤旗」日曜版の大間原発特集のページを開いてみなさんに見せると、「ああ、これこれ、これはダメだ」と。すばらしい景色を満喫するとともに、3名の方に「しんぶん赤旗」読者になっていただきました。

2012年10月25日木曜日

「負けました」といえること

今日もいろんな出会いがありました。赤旗将棋大会の運営でお世話になった農業関連会社の社長さんを党函館地区副委員長の三国武治さんと訪問、お礼とごあいさつをしました。

「あ、高橋さんですね。お会いしたことありますよ」。もう今から十何年も前の赤旗将棋大会の開会あいさつに行ったときにお会いしていたとのこと。憶えていてくれてうれしかったです。

2012年10月23日火曜日

「クリーンな政党」と胸を張れる理由

北海道の各地から地区委員会の財政部長があつまる会議に出席しました。総選挙で「議席倍増」の躍進を支える財政をどう確立するのかというのがテーマでした。

私たちの党の財政活動は、他の政党と大きく違います。企業・団体献金を受けとらない、政党助成金を受けとらないところです。

2012年10月15日月曜日

道南赤旗まつり イン 八郎沼公園

「雨」の週間予報に反して晴れ渡った北斗市(旧大野町)八郎沼公園。14日開催の道南赤旗まつりは、日本の政治のあり方や進路を考えるととともに、家族や後援会のみんさんが楽しめるまつりとして大いに盛り上がりました。

記念講演あり、後援会対抗玉入れあり、合唱あり、バンド演奏あり、カラオケ大会あり、抽選会あり、たくさんの出店ありでみなさんに喜んでもらえました。

私が担当した記念講演も、合いの手、拍手、笑いなどでこたえていただき、大役を果たすことができました。

2012年10月11日木曜日

ウガノモクが佃煮になった

ウガノモクの製品化の記事が今日の北海道新聞の別刷り「みなみ風」に載っていました。

ウガノモクは函館の宇賀浦にちなんで名前がつけられた海藻です。健康にもよいことがわかり、ガゴメコンブとともに、函館の海の幸をまちおこしに活用できないか注目していました。

記事の内容をそのまま紹介しましょう。

「漁師も迷惑」やっかいものの海藻・ウガノモク
漁協と協力 佃煮に
七飯・中水食品工業が開発


ウガノモクは、福島県以北から北海道に分布する海藻。函館市の宇賀浦にちなんで名前が付けられた。4月から6月にかけて成長し、根元はハタハタなどの産卵場所になる。生態系に欠かせない海藻だが、これまではほとんど食用にならず、コンブ漁の際にスクリューに絡むこともあって、漁師から迷惑がられる存在だった。

海藻研究の第一人者である北大大学院水産科学研究員院の安井肇教授は、ウガノモクに食物繊維の有用物質・フコイダンが多く含まれることなどに注目。「かなりよい素材なので商品化できないか」と、つきあいのあった中水食品工業に提案していた。同社も「漁師にとっての厄介者を商品にできたら面白い」と製品開発に乗り出し、根崎漁協に協力をあおいだ。

同社の市川英樹部長は「シャキシャキとした食感を残すため、乾燥させたものではなく、生のものをつかっているのがポイント」という。砂糖やしょうゆで味付けし、女性や子どもでも食べやすいよう、まろやかな味に仕上げている。「ウガノモクという海藻があることを函館や近郊の人に知ってもらいたい」と力を込める。(以下略)

ウガノモクについては、私も以前にブログ「ガゴメの次はウガノモク」で紹介したことがありました。http://takahasikadai.blogspot.jp/2010/12/blog-post_729.html

2012年10月9日火曜日

ありのままの自分で

恒例の「道南赤旗まつり」(10月14日 北斗市八郎沼公園)に記念講演の弁士である畠山和也さんが来れなくなってしまいました。党の中央委員会総会と日程がぶつかってしまい、中央役員の畠山さんはそちらに出席。記念講演の弁士のおはちが私のところへ回ってきました。さあ大変です。

児玉健次さん(元衆議院議員)のアドバイスを思い出しました。たしか、聴衆の多い演説会ほど準備を念入りにということを教えてもらったことがありました。

児玉さんとの思い出はいろいろあります。私が函館市議だったことを知っている人は多いのですが、その前、16年前の衆議院選挙にも出たことがあるんです。そうです、道3区予定候補の森つねとさんと同じくらい若かったころです。

児玉さんの活動に学ぼうと1週間児玉さんについて歩きました。研修です。最後の日は児玉さんのところに泊めていただき、そこに紙智子さんまで来てくれてはげましてくれました。感激でした。そのとき、児玉さんは言いました。「はったりはいけません。必ずぼろが出ます」と。そうか、選挙に出るからと言って自分の虚像をつくることは間違いなんだ、ありのままの自分でたたかうんだと自分の心に誓いました。

ある時、児玉さんから電話が来ました。「気軽に聞いてほしいのですが」と前置きしたあと、演説のアドバイスでした。一緒の演説会での私の演説のまずい点を指摘してくれました。たしか「演説は有権者の関心のあるところから入りましょう」ということでした。

明日からがんばって準備しなくちゃ。「道南赤旗まつり」の日は天気予報では雨模様です。晴れることを願っています。みなさん、お気軽にご来場ください。

2012年10月8日月曜日

尖閣諸島問題と彼岸花

嬉しかったですね。

今日(10月8日付)「しんぶん赤旗」の「読者の広場」に「中国からきた彼岸花は言う」という投稿が載っていたんですよ。ちょっと内容を拾い読みしてみましょう。

「日曜版配達の途中、土手に鮮やかに咲き誇る彼岸花を見た」「緑と赤のコントラストが見事・・・」

「奇しくもこの日は日中国交正常化40周年だが、尖閣諸島の問題で日中関係はどん底で先が見えない状況だ」

「彼岸花はコメと同時に中国から渡ってきた。球根には毒があるが、水にさらすと食用になる」「食糧難のとき、何度お世話になったことだろうか」

「憲法の精神を生かし、胸襟を開き冷静に丁寧に話し合いをと、土手を埋め尽くしている彼岸花が言っている気がした」

この投稿は、領土問題の解決と日中友好の願いを彼岸花と結びつけているんですね。

実はこの彼岸花のことが、昨日紹介した「植物はすごい 生き残りをかけたしくみと工夫」(田中修著 中公新書)」に詳しく書かれています。

この本では彼岸花の毒について説明があり、さらに彼岸花の名の由来について「この植物は墓地や田や畑の畦に育ってきました」「お墓に植えられたのは土葬だった時代、埋葬した遺体を食べに来るモグラやネズミを寄せつけないためでした」「畦に多いのはモグラやネズミが畦を壊すことを防ぐためでした」と書かれています。

また、「作物が不作の年、球根で飢えをしのぐ救荒植物の役割があった」「球根には、多くのデンプンが含まれているからです」「毒さえ抜けば、空腹を満たす食べ物になります」とも。

そして、こうまとめているんです。「私たちとヒガンバナとの昔からの長いつきあいは人間と有毒な物質を持つ植物との共存、共生の典型的な例です」。

冒頭、私が嬉しかったといったのは、きのう読んだ本のことが、今日の新聞に出ていたこと、「人間と植物との共存、共生」に加えて、「日中友好の願いをかけることができる花」ということがわかってとても嬉しかったということなんです。

2012年10月7日日曜日

はずかしながら「えぐい」の意味いまさら知りました

「植物はすごい 生き残りをかけたしくみと工夫」(田中修著 中公新書)がおもしろかった。

はずかしい話しですが「えぐい」の意味がはじめてわかりました。あく抜きしていないタケノコの味だそうです。「あくが強く、のどをいらいらと刺激する味」、「人を強烈に不快にさせる」という意味もあるそうです。民主党政権を形容する語彙がもうひとつ私の中に増えました。

私が「道南新報」に書いているミニエッセイ「たたかうトマトは美しい」のヒントもこの著者の「ふしぎの植物学」からヒントをもらいました。FBにも「いいね!」の他に「すごい!」があればいいなと思います。

ちなみに「えぐい」の漢字は「蘞い」と書くそうです。

2012年10月6日土曜日

大間は全国の原発問題の焦点のひとつに

5日電源開発本社に大間原発の建設を中止するよう抗議の申し入れに行ってきました。

たしか10月1日だったと思いますが畠山和也さんから私に電話がありました。「佳大さん、こういう状況だから電源開発に抗議の申し入れをしたいと思っているんです。佳大さんのスケジュールを教えてくれませんか」という内容でした。畠山さんのブログやFBの発信も大間原発の問題で力がこもっていたので、さらにもう一歩駒を進めることを私は喜びました。

私は枝野大臣の大間建設再開容認発言と1日の工事再開によって、大間原発の問題は、われわれ函館や道南だけの問題ではなくなった、全国の原発問題の焦点になったと思って動いていましたので。そして、スケジュールは電源開発行きを最優先にすることにしました。

紙智子さん(党参議院議員)の努力もあり、電源開発本社も了解してくれました。また紺谷よしたか函館市議も一緒にいくことになりました。

さて話は前後しますが、電源開発の幹部が函館に来たのが1日13時でした。私はてっきり大間の建設再開を説得しにくるもんだと思っていましたが、そうではなく、工事を再開したという事後報告でした。工藤函館市長が怒るのも当然です。この日の市長と電源開発の話し合いはマスコミに公開されていて、その場にいた本間勝美議員が詳細なメモをとり、ブログに乗せています。これを読むと電源開発幹部を寄せつけない市長の気迫を感じます。

さらに市長の決意を感じたのは、その次の日、市長と市民団体との懇談の席上での市長の発言です。これも本間勝美議員のブログ(http://honmakatsumi.blogspot.jp/2012/10/blog-post_2.html)が詳しい。その中で、①人間の尊厳をかけた闘い、途中で妥協するわけにはいかない、自分の生きるか死ぬかとの思いの中での闘いだと、②私ひとりの力では無理、国の力、電源開発の力は大きい、全国からの賛同が必要。沖縄にいこうかなという発言をしています。

ここで思い出すのは、9月22日に青森県むつ市で行われた青森の人たちと函館の人たちの原発問題での交流の懇親会で青森の人が言った言葉です。「青森(下北)は核のゴミ捨て場、沖縄は基地のゴミ捨て場」と言って、青森と沖縄の共通性を語り、連帯の気持ちを表明していたのです。原発問題と基地問題がつながっている、そうかと思ったのです。函館市長の「沖縄に行こうかな」というのは、重要な視点だと思いました。

このように、函館では市長も経済界も市民も、さらに道南全体が一体となって大間原発再開をいかっているのです。

さて話を元に戻します。電源開発本社に着きました。びっくりでした。対応した方は、電源開発の渡部肇史常務、函館市長に会いにきたひとではありませんか。紙智子さんが話しなした。畠山和也さんが訴えました。紺谷さんも訴えました。そして私も。私が言ったのは現地の党の責任者として、「函館市民に説明もなく、来たと思ったら事後報告、函館市民を電源開発さん、どう思っているんですか、どうでもいいと思っているんですか」というと、常務の隣の人は、「函館市民をどうでもいいなんておもっていません。歓迎されなくても行ったじゃないか」的なことを、むっとした表情でいいました(私が受けた感覚です)。それにしても、アリバイ的な事後報告で「函館市民のことを考えている」なんて「よくいうよ。とんでもない」と市民ならみんないうでしょう。函館での説明会についても「今までどおり、情報提供します」と拒否です。

畠山さんが「なんでこの時期に再開なんですか」と聞くと、なんでそんなことを聞くのかというように、「ずっととまっていて、地元の方々の要望もあり・・・」、つまり、工事を再開したかったのにストップせざるをえなくなり、しかしやっと枝野さんがゴーサインを出したので、ということでしょう。あっけらかんと言ってました。聞いた畠山さん、あとで私に言いました。「想定外の回答でしたね」。それにしても民主党政権の大間再開容認は犯罪的です。

さて、この日はじめて、私は首相官邸前の金曜行動に一人で参加してきました。田舎ものなんでウロウロしながら最後尾にならび「なかなか動かないなあ」などと思いながら、うしろから聞こえる鼓笛隊?のリズムにあわせた若い男の人の掛け声、前から聞こえるドスの聞いた女性の掛け声にあわせて「再稼動反対!」「原発いらない!」「子どもを守れ!」とやってきました。その掛け声の中には「大間つくるな!」もちゃんと入っていました。やっぱり大間は全国の問題になっているとつよく感じました。

なお、電源開発への申し入れについての「しんぶん赤旗」の報道と畠山和也さんのブログ報告を紹介します。

【「しんぶん赤旗」6日付の関連記事】
日本共産党北海道委員会(西野敏郭委員長)は紙智子参院議員とともに5日、大間原発の建設中止を求める要請を電源開発株式会社と経済産業省に対して行いました。畠山和也・道委員会副委員長、高橋佳大・函館地区委員長、紺谷克孝・函館市議らが参加しました。

電源開発株式会社では、渡部肇史取締役常務執行役員らが対応しました。畠山氏は、「国のエネルギー政策の中での大間の位置付けもはっきりしない。活断層の指摘もあり安全性も確認されていない。函館市をはじめ北海道全体で不安と不満が出ており、要請をしっかり受け止めてほしい」と要請しました。

これに対して、渡部取締役は、「真(しん)摯(し)に受け止めたい」としながらも「化石燃料と新エネルギーに全てゆだねるのは難しい。原子力発電所は、今後の日本を支えるのに必要と判断している」と答えました。

また、函館市民に向けて住民説明会を求めたのに対しても「住民説明会は難しい。函館市に情報を提供しているので、市の方から情報を開示してほしい」としました。

経済産業省では、資源エネルギー庁原子力発電立地対策室長補佐が対応。住民説明会について、持ち帰って検討することを表明しました。

「赤旗」の記事は以上ですが、畠山和也さんの報告ブログはこちらからです。http://hatarogu.blogspot.jp/2012/10/blog-post_5379.html

2012年10月1日月曜日

「30年代原発ゼロ」のいかさまを象徴する大間原発建設再開

集まった市民の熱気に感動しました。大間原発の事業者である電源開発が工藤函館市長に会いに来るというので緊急の抗議集会。

「大間原発 大間違い!」「MOX燃料とんでもない!」「大間原発 しりめつれつ!」「核燃料サイクル ほんまつてんとう!」のかけ声に力がこもります。

そこへ電源開発幹部の車が玄関前に到着。みんな玄関の方を向き、「電源開発は帰れ!」「大間原発やめろ!」の叫び。

電源開発の幹部が中に消えた後、参加者は市長室のある6階を見上げながら「市長がんばれ!」「市長負けるな!」「工藤がんばれ!」「工藤負けるな!」の大合唱。

会場でささやかれた、「大間原発建設はもう再開する」の言葉。ホントでした。北海道新聞の夕刊。「大間原発 建設再開」「電源開発 16年にも稼働」の記事。

函館市民の怒りは限界点に達しています。

「30年代原発ゼロ」のいかさまを象徴しているのが大間原発ですね。

おじいちゃんは人気者

家族のみんなが出張とか早くからの実習とかで、いよいよおじいちゃんのおでまし。チャイルドシートを積んで横にひまりを乗せて保育園にいざ出発!

「ちがう、ちがう、もどって! おじいちゃん」。いつもの道順と違うようです。Uターンすること2回、「そこをみぎにまがって」、指の方向は左なんですけどね。ひまりも自信がないのか、その後は指さしだけ、「そこのみどりをこっち」、「『ありた』(ひらがなで書いてある看板)をこっちにいけばほいくえんだよ」。

玄関でもってきた靴を靴箱にいれて、「おじいちゃんちがうよ、うえにいれるの」。はいはい、すみません。「ひまりぃ」「ひまりぃ」、先にきていた子どもたちに声をかけられてひまりは人気者だな。そうそう、玄関では出席簿にマルをつけるんだっけ。

ばらぐみの部屋に入って、ふとんにシーツをかぶせて、リュックをかけて、着替えはホールの箱の中、全部、ひまりの指示ですませることができました。

よし、保育園のひまりをぱちりと記念写真。われもわれもと子どもたち。いい写真が撮れましたよ。すると「ぼくもやりたい」「ぼくも」「ひまりも」。みんなにシャッターを押させて、おじいちゃんは一躍人気者に。そこへ先生がやってきました。「大人のだいじなもの触っちゃダメよ」、すみませんでした。保育園のしつけのじゃまをしちゃったようです。

まだシャッターを押してない子は「やりたい!まだやってない!」と背中を向けて泣き出してしまいました。ごめんよ、こんど、ひまりのおじいちゃんと遊ぼうね。